どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載17)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載17)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正



実演と批評


  談志はなぜ落語家を全うしなかったのであろう。こんなことを書くと、「なに言ってやんだい、談志は死ぬまで落語家だったじゃねえか、このうすらとんかち、さっさと引っ込みな」ぐらいのことを言う熱狂的な談志ファンは一人や二人ではないだろうと思うが、しかしわたしは談志は落語批評家としての側面をきちんと見ていかなければいけないと思っている。
  落語家が落語批評することを悪いなどと言っているのではない。寄席で落語をやる場合に、その席で落語論を展開する必要はないだろうと思っているだけである。たとえばすごい例をだそう。ドストエフスキーは小説『罪と罰』の中で、自分の『罪と罰』論なんぞは展開しないということである。ドストエフスキーは『罪と罰』を書いた。読者の一人であるわたしがそれを批評する。それでいいのだ。
  ところが、談志は著書だけでなく実演すべき場所で落語論をぶってしまう。おそらく、ここには落語家、落語評論家、そして観客に対するイラダチがある。「なんで俺のこの落語のすごさがわからないんだよ、おまえら」こういった思いが積み重なって、場所を問わずにリクツを口走ってしまうようになったのだろう。
  落語界の巨匠古今亭志ん生文楽、円生の落語には感服しても、同時代の落語家たちには大いなる不満を感じていたのだろう。談志は古今亭志ん生の息子・志ん朝や円生の弟子・円楽の落語はそれなりに評価しただろうが、落語に対する情熱は誰にもに負けないという自負を持って生きていたことは確かである。






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