林芙美子の『浮雲』を読んだ感想(2)

平成26年度「文芸批評論」夏期課題。
林芙美子の『浮雲』を読んだ感想(2)


伊庭から人付き合いを考える

嶋津きよら

 

恋人にするなら、自由な人がいい。生き様や性格ではなくて、誰にもとらわれない内面を持っている人。周りから影響されて考え方を変える人はどうしても苦手だ。直すべきところは改善していけばいいけれど、根本的な部分は変わらないでほしい。たぶん、世間一般で、そういう人は「自分勝手」と呼ばれるのだろう。例え、そうだとしても、周囲の目を気にして自分を殺してしまうくらいなら、多少我の強い方が好ましい。どんなに一時の感情であっても、自身の意思へ忠実に動く人間は、誰よりも成長の可能性を秘めている。
経験があってこその反省だ。また、反省あってこその成長である。多少の後悔はあれども反省はしない、そんな人も多いだろう。しかし、何事も場数を踏むことが必要である。「人の振り見て我が振りなおせ」も観察という経験であるし、「百聞は一見にしかず」も聞く行為を経て何かを見るという経験だ。自身の内面を成長させる為には、まず自分から動かなければならない。他人任せでは意味がないのだ。だからこそ、私は『浮雲』に登場する伊庭という男を、誰よりも好ましく思う。
浮雲』を読み返してみると、つくづく自分と伊庭は違う考えの人物だと実感する。私自身は、あまり他人との関係に気を配るたちではない。「浅く狭く、広くするなら更に浅く」を念頭に置いた上で生きている女である。激しい情を抱く対象と出会えば、離れる方が楽だと考える。逆に、興味のない対象にはわざわざ近づく必要もないだろう。お互い一線を引いて付き合える関係が何より気楽でいい。得意や不得手といった話ではなく、他人にまで気を回すのが面倒なだけである。難しく考えてばかりいたら疲れてしまうではないか。簡単に、かつ単純に過ごせるならそれでいい。
正直な話、名前と顔だけ覚えていれば、誰と関わるにしろうまくやっていける。挨拶のみ必ずするようにしていれば、大体を顔見知りという関係へと持っていけるからだ。「関係」は他者と同じ空間にいるだけでできあがってしまうもので、広い範囲で見れば「他人」も関係のひとつである。「友達」や「恋人」と呼称される関係と同列に考えてもいいだろう。たぶん、皆、難しく考えすぎなのだ。人類は平等であると誰かが言った。ならばそれになぞらえて、「自分以外の人間は皆同じ、ただ何かしらの肩書きを付けてあげなければいけないだけ」くらいの気持ちでいた方が、ずいぶん楽に人付き合いのできるものである。
時折、好き嫌いや感情論で周囲の人間を区別していく人がある。非常に手のかかる作業だと分かっているのに、どうして面倒なことをやりたがるのだろうと不思議に思う。簡単に考えればいいのだ。わざわざ無理に仕分けをする必要はない。大まかに分類した上で軽いお付き合いをしていくのが一番楽な方法である。いちいち誰かを槍玉に挙げたところで、自分にも相手にも得などない。なるたけ誰かひとりを特別に見るなんて面倒なことは避け、静かに生きていくのが得策だと、私は考えている。だからこそ、伊庭のゆき子への想いを、異質に受け取ってしまうのだろうけれども。伊庭が目の前にいたら「不倫ならもっとすっぱりさっぱりやれ、できないならやるな」と説教をしたい。複数の女に情を抱くのは結構、だが、相手に期待を持たせるべきではない。割り切った付き合いができないのなら、間を情で結んでしまうのなら、そんな関係は続けない方がましである。後に厄介の種になる可能性は徹底的に排除するべきなのだと、言ってやりたい。ずいぶんと自分勝手な持論ではあるが、持っていないよりはまだいいだろう。
普段、前述したことを話すと、相手に理解してもらえぬことが多々ある。考え方の違いはやはり大きい。元々、人間関係に気を配るのは、あまり得意ではない。こちらからしてみれば、誰かを気遣って行動するということは、自身の内面を大きくすり減らす作業である。皆が皆、こうしたことが得意なわけではなく、私にいたっては不得手だと自覚までしているのだ。もし「やらなくていいよ」と言われたら、喜んで首を縦に振る自信がある。自分抜きで話が進むなら、それは何よりだとほっとする性格だ。笑って「みんなで楽しんできてね」と送り出せる。ごく親しい間柄となれば別だが、できる限り関係の薄い人との外出は控えたく思う。その点、浅い付き合いであれば、不必要なまでに絡まれることもなく暮らしていけるわけだ。平和が一番。なるべく面倒な人とは関わらないが吉である。
しかし、性格の不一致ばかりはどうしようもない。相手がこちらと合わないと感じるなら、ただ避けるだけでいい。けれども、こちらの嫌悪感が相手に伝わらない時ほど厄介なものはない。ゆき子も、伊庭に対して、これと似た感情を持っていたのではないかと推測できる。まあ、思惑通りにいかないのが人生だ。早々に諦めて流されていけばいいのではないかと、『浮雲』を読みつつ思う。