小林リズムの紙のむだづかい(連載119)

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紙のむだづかい(連載119)
小林リズム

【マスター、いつもの】
 
 ここのところ毎日のように通い詰めているカフェがあって、そこでアイスティーを頼むのだけど、いつもレモンもミルクも入れない私を覚えていてくれて、頼まなくても勝手にストレートティーを出してくれるのがちょっと嬉しかったりする。そこの店員のお姉さんが清潔感もあって綺麗だから2割増しくらいで得した気分になるのだけど、この前なんとなくアイスティーにレモンをつけたくなった。
 なんせ暑いし、さっぱりした味を楽しみたいというか、日常生活にうるおいが足りていないぶん、口の中だけでもすっぱい気分を味わいたくなったのだ。でも例のお姉さんは「いつものストレートティーですね?」ってにっこり笑ってくれるから、そこに「いや、今日はレモンを」なんて言ったりしたら、お姉さんと私のひそやかな関係性みたいなものが崩れてしまうのではないかとか、せっかくこちらから言わなくてもストレートティーを提供してもらえるようになったのに気分で頼んだレモンがきっかけで台無しになってしまったら嫌だなとか、思ったら結局レモンを頼めくていつものアイスティーをずるずるとストローで吸うしかないのだった。

 そう考えると、「マスター、いつもの」っていうあれは実際どうなんだろう。阿吽の呼吸というか、暗黙の了解というか、わかりあっている常連感みたいなものがそこにはあって、私はあの一連のやりとりにずいぶんと昔から憧れていたのだけど、本当の心中をお察しするとそんなにいいものでもないのかもしれない。「いつもの」という関係性から脱するのってわかりあっていればこそハードルが高いし、そんなに大したことでないけれどやっぱり裏切ってしまったという気持ちも芽生えてしまう。だったらもう「いつもの」専用の場所をつくるのがいいのかもしれない。

 たとえば長年通っているハンバーグが美味しい個人経営のレストランがあるとしたら、そこにはもう「ハンバーグ専用」として通う。もちろんほかのメニューにカレーだとかオムライスもあるのだけど、それはそれでほかに「カレー専用」とか「オムライス専用」のお店をつくっておく。ハンバーグが食べたくなったときにだけそのお店に行くから、今日はスパゲッティが食べたいとかドリアが食べたいという間違いが起こらない。そうやって「いつもの」と言えるお店をたくさん作っていくのだ。
 でもやっぱり距離とか場所とかもあるからそう簡単には「いつもの専用」お店をつくれるものではなくて、近場で済ませたかったりもするし、そう考えるともう「マスター、いつもの」っていう台詞は最初からないほうがいいのかもしれないとか。…いや、でもやっぱりあったほうがいい。世の中のものはなんでもかんでもバンバン移り変わっていくし、それはホント、スピードも量もすごくって、変わらないっていう関係性が難しいからこそ、そういう「いつもの」って言える場所を欲していて。だから「あぁ、ここは変わらないなぁ」って思えるのって安心するよね。だからやっぱりレモンよりも「いつものストレートティー」を飲んでいることに後悔はないよ。



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