小林リズムの紙のむだづかい(連載92)

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紙のむだづかい(連載92)
小林リズム

【なんか好きって言われたい】

「ね、わたしのどんなところが好き?」
と恋人(いつかできたら)に聞いてみたい。愛情の確認というよりは、ひたすら「褒めて、喜ばせて」という気持ちが先行しているから、自分に対する評価とか執着にはすさまじいものがあるよなぁと思う。

 かといって「うーん、おもしろいところ?」とか「やさしいところ」なんていう無難な褒め方じゃ満足できない。「かわいいところ」とか「笑顔」というのもイマイチだ。じゃあ、なんと言われたいかというと「全部好き!」っていう貪欲さなのだけど、やっぱりそれも嘘っぽいから却下。一番いいのは「うーん…なんか好きなんだよなぁ。なんか良いんだよなぁ」と言われることだ。

 「なんか好き」っていう、その言葉で説明できない曖昧さが素敵だ。感覚で生きている私には、この「なんか」は最上級の褒め言葉である。根拠のない自信も、証拠もなくうまくいくと言われる将来も大好物。反対に、根拠や証拠はあまり重要ではない。

 たとえば「この間、階段で転んでいたおあばさんに駆け寄っていったでしょ?あの優しさが好き」と言われたらどうするのか。そのときはおばあさんに駆け寄っていったかもしれないけれど、私はゴミの分別もできないし、実のおじいちゃんに対して苛々することだってある。それって少なくとも地球に対しては優しくないし、また赤の他人であるおばあさんに親切にしたところで、それが優しさとは限らないのではないか。
 もし相手が「知らないおばあさんに親切にした私の優しさが好きな理由」だというのなら、それは安易すぎるし、危うい。すぐに散ってしまいそうな気がする。
 そんなことを理由にされるくらいなら、「賞味期限切れの食べ物を捨てずに食べていたところ」とか「食べ物を美味しそうに頬張るところ」と言われたほうが救われるのだ。

 納得いく理由づけなんて、案外簡単に作ってしまえるものだから信用できない。信用できないものを「ここが好き」と言われたらたまったもんじゃない。それだったら「なんかわからないけど好き」っていうそのもやもやした思いを打ち明けてほしい。「理屈じゃない!なんか好きなんだ…!」そしたら嬉しいなぁ…。
 と、思っていたら「なんか好き、なんて誰に対してでも言えるよ。それだったら、思いがけないエピソードを言われたほうが嬉しい。自分のこと見ていてくれたんだなって思うもん」と友達に言われたのだった。そうかぁ。確かに自分だけっていう特別感もほしい…。女心の複雑さよ…。

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