小林リズムの紙のむだづかい(連載47)
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『ドラえもん』の凄さがわかります。
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紙のむだづかい(連載47)
小林リズム
【カップ体制を整えてほしいのです】
まるかいて、ちょん!まるかいて、ちょん!
って、歌がある。たぶん幼少期かなんかに聞かされた絵描き歌だと思うのだけど、あの「まるかいてちょん」って結局なんなんだろうっていうのが最近の疑問だった。…というのも「まるかいてちょん!まるかいてちょん!」って2つ書くと、もうまさにあれは女性の胸にしか見えなくって、それって幼い子たちに聞かせる歌としてどうなのよとか、まるじゃなくて半円みたいなのじゃいけないのとか、とにかく貧乳の私としてはケチをつけたくなってしまうのだった。
で、どうにも気になって調べてみたら、なんと「まるかいてちょん!」はドラえもんの「目」にあたる部分だったらしくて、まるっきり胸と関係なくて、なんかもう文句つけてごめんなさいねって感じ。勘違いしててごめんなさいねって感じ。これってコンプレックスによる被害妄想みたいなものなのかもしれない。
それにしても、なんで女性ばっかり貧乳だとか巨乳だとか微乳だとか美乳という言葉に振り回されないといけないんだろうってつくづく腹が立つ。胸なんて日常生活において、脳みそとか目とか耳とか、手とか足よりだいぶ役に立たないポジションなのに、なんであんなに迎合されるのか、特別扱いなのか、本当に意味不明だと思う。「お願い許して♡」とか「うーん、わかんない♡」というのが通ってしまうというか、「だってー、こっちは意識してないのに向こうからアタックされて〜」みたいなうざったさとか、あの「私はここにいるだけで価値があるのよ!」っていうずば抜けたアピールを男性にも見習ってほしい。
つまりは、なんで男性にはカップによる格付けがないんだろうという、この不公平さを訴えたいのだった。あれ、おかしいなぁ、女性と同じでサイズありませんでした?え?みんなちがってみんないい?じゃあなんで貧乳には「貧しい」っていうこのうえなくストレートな表現が含まれるんですかね?いやー、実に不思議ですわー…と、思いを馳せれば馳せるほどエキサイトしてしまうのだった。
あぁ、安倍さん。アベノミクスの安倍さん。男女平等社会と叫ばれてからどれくらいの歴史を積み上げてきたのか知らないけれど、女性が働きやすい環境を整えるために論議しているのも素晴らしいと思うのだけど、そういう日常のささやかでデリケートな部分。男女関わらず堂々とひとりひとりがカップ判定の事実を受け入れる体制を。真の平等を。そこのところをもっと、なんとか。どうぞよろしく。