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紙のむだづかい(連載48)
小林リズム
【無職22歳女性、寂しさの自己処理を覚えます】
清く正しく美しく…の正反対の道をまっしぐらしつつ、なんやかんやで無職生活を謳歌してきたのだけど、この間職を失くしてからはじめてダークサイドへと導かれてしまった。なんかもう、無職についてだとか、ほじくり返した恋愛の意味不明さだとか、いろんな現状が交錯して、混乱して、絶望に打ちひしがれていたのだった。
ついには「ワタシの胸に、いつもあなたは…」とか「未来はそう、きっとキミのなかに…」とか、危うくツイッター上でポエマー化する寸前にまで追いやられてしまって、「うわ、やばい、これはもう泣くしかない!」と慌てて無職友達に連絡をしたのだった。
泣きたいときは、ひとりで家にこもって泣くのが大人のたしなみかもしれないけれど、それじゃあちっとも満足できない性分で、泣いている自分を誰かに見せつけることで浄化したい、という迷惑さ。あぁ、私、今、泣いてるの…悲劇なの…というグロテスクなマイワールドを誰かに見届けてほしい。信じる者が救われるかどうかは知らないけど、泣いている姿を見せつけることは救われる率高しなのだ。間違いない。
よくわからないけれど無性に寂しくなることはたぶん半年に1回とか、2回とか、多くて3回とか4回くらいはある。そういうとき、男の人がさらっと自分で性欲を処理するみたいに、女の人も寂しさの処理はさらっと自分で行うものなのかもしれない。「今どこでなにしてるの?」とか「毎日ちゃんと連絡してよ」とか「私のこといつも忘れないでね」っていうのは、いつ何時場所を選ばず欲を解消してくれと頼んでいるようなもので、「いや、無理だから。自分でどうにかしてよ。頼むから耐えてくれ」っていう感じなんだと思う。「わたしのこと性欲処理だと思ってるでしょう?」と「俺のこと寂しさ処理だと思ってるだろう?」は、たぶん別物じゃない。
と、男女の恋愛観に思いを巡らせていたのだけど、恋人がいようがいなかろうが、家族がいようがいなかろうが、生きている限り寂しさから逃れることはできないのだから、そこはもう腹をくくって、レッツ寂しさの自己処理!とか、ポップに言いたかったんだけど、そんな簡単にコントロールできるものないしねぇ。身体はともかく感情なのでねぇ。まあ、うまくコントロールできればいいよねっていうくらい?…と、半ばヤケになっていたら、清水先生から届いたメールに先輩女性方の酔っ払いエピソードが書かれていて、「寂しい女はあなただけではないようです」の文章とともに締めくくられていて、私は心底励まされたのだった。
たぶんこの日本、ていうか都内なら半径100メートル以内には今日も寂しくなっている人がわんさかいるはずで、どうやら、そこそこ、そこのあなた。大丈夫、今日も寂しいのはあなただけじゃないみたいです。