「文芸特殊研究Ⅱ」は宮沢賢治の童話が題材(連載2)

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本日は「文芸特殊研究Ⅱ」の最終授業。一年間を総括。授業を終えて、学科事務室の前にいた受講生を記念撮影。


雪渡り』を演じてみて

 松崎みゆき(文芸学科二年)

 私が授業の中で『雪渡り』演じたのはおそらく2回だった。どちらも狐の役をやったと覚えているけれど、満足のいく演技ができたとは思えていない。『雪渡り』は非常に神秘的な雰囲気を持った作品である。独特の音の響きと言葉が、その世界観をとても引き出している。しかし、私は自分が演じることによって、その重要な音や言葉たちが非常に稚拙な響きに変わってしまうのを感じた。私のイメージでは、狐の言葉というのは冷たく静かな場に響く、鐘の音のようなものを想像していたのだが、私自身にそれを表現することはできなかった。神秘的にしたい声はただ堅いだけの緊張した声になり、冷えた空気感を出したいと思ったのは、場を白けさせただけだった。私が演じた雪渡りに関しては、私は非常に好きではなかった。
 しかし、他の人たちが演じる『雪渡り』は非常に感動した。とくに光憂さんのされた狐が素晴らしかった。四郎とかん子の無邪気な演技がさらに雪渡りの持つ、なんとも言えない不気味さを引き立てていたように思う。四郎とかん子はとても元気で、雪の中を遊びまわっている。その様子はとても死んでいるようには感じられない。それに対して突如現れて、四郎とかん子に異様に親切にする狐の子の存在の不可解さが神秘的であり、危険な香りをさせている。なぜ、狐の子は四郎とかん子の前に現れたのか。それは、最初のセリフ「堅雪かんこ、しみ雪しんこ」の言い方でわかる。狐の子は、四郎とかん子を現実の世界ではない、死の世界へと呼びにきたのだ。みんなが演じた中で、狐のこのセリフの言い方を文にするとこんな感じである。「かぁたゆきーかんこー、しぃみゆきーしんこー」。まるで誰かを呼んでいるような響きではないだろうか。四郎とかん子は最初から死の世界に呼ばれていたのである。そのため、四郎とかん子は雪の積もるなか飛び出したのだ。いつもは歩けない黍きびの畑の中でも、すすきで一杯いっぱいだった野原の上でも、四郎とかん子はどこまでも行くことができたのだ。なにしろ、二人のためにすでに死の世界への道は用意されていたのだから。そのため、狐の子は二人の前に現れたのである。そして、二人に団子を食べさせようとして失敗し、とても悔しがる。しかし、次にそれは喜びに変わる。四郎とかん子を「幻燈会」へ誘うことができたのだ。四郎とかん子は、その幻燈会が一体何なのかを疑問にも思わずその招待にお呼ばれするのだから、なんと恐ろしいのだろう。
 ここで私の素朴な疑問なのだが、この話の第一話の後半で出てくる鹿の子は一体何なのだろうか。一度目は「北風ぴいぴい風三郎、西風どうどう又三郎」と細いいい声が、二度目は「北風ぴいぴい、かんこかんこ 西風どうどう、どっこどっこ」とすうっと遠くで風の音か笛の音か、又は鹿の子の歌かわからないものが聞こえてくるのだ。これも演劇をしてみてよくわかることだが、四郎とかん子、狐の子のいる世界に突然横やりが入ってきたもののように感じる。狐の不気味な感じとはまた違う、独特の神聖さをまとっている。狐の子が、四郎とかん子を死の世界へ連れて行こうとしている時ならば、きっとこのときこの三人のいる場所は限りなく死の世界に近い場所といえる。それならば、鹿の子の声が聞こえてきた向こうとは一体どこなのか。果たして現世なのか、あの世なのか。どちらかによって、この鹿の子のもつ役割は全く変わってしまう。現世ならば四郎とかん子を呼びもどすための声、あの世ならば四郎とかん子を引きずり込むための声。両極端な意味をもつことになる。私はおそらくこの鹿の声はあの世から聞こえていると考える。向こうとは、四郎とかん子と狐の子がいる森のもっと奥、さらに深い場所から聞こえているのだ。次に四郎とかん子がやってくるときを待って、二人のことを呼んでいるのが鹿の子である。本当は鹿の子かどうかもわからない。大いなる意志、神の声なのかもしれない。
 『雪渡り』という話は演じてみるとより一層その雰囲気を変える。文字だけでみると、その文章の上手さに気付かない違和感も、言葉と動作にしてみるとわかってくる。四郎とかん子、そして狐の子の会話は交わり合ってはいない。楽しい雪遊びは死への導き、仲良くなった友達との会話は死への誘い、なんと恐ろしいことだろう。しかし、雪に包まれたその世界は恐ろしさだけでなく、どこか美しさと神秘的な雰囲気も持ち合わせている。それは、白銀の世界が生み出すものだろうか。
 やはり、私は自分が演じた『雪渡り』には不満だらけである。『雪渡り』のよいところを全く出せなかった。しかし、いわゆる選抜メンバーの人たちがやってくれた『雪渡り』はとても見ていて、世界観がつかめていると思えた。できれば、第二話も通して選抜メンバーの人たちがやってくれる劇を見てみたかった。もしも来年も『雪渡り』をやり、劇もするのならば、ぜひ第二話までやらせてあげてほしい。