ユートピアから解く『世界文学の中のドラえもん』・柴明華

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京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
 『世界文学の中のドラえもん』 (D文学研究会)

全国の大型書店に並んでいます。
池袋のジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされていますので是非ごらんになってください。この店だけですでに?十冊以上売れています。まさかベストセラーになることはないと思いますが、この売れ行きはひとえにマンガコーナーの担当者飯沢耕さんのおかげです。ドラえもんコーナーの目立つ所に平積みされているので、購買欲をそそるのでしょう。
我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」のサブカルチャーコーナーに置いてあります。
江古田校舎購買部にも置いてあります。

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四六判並製160頁 定価1200円+税

平成24年度 雑誌研究 夏季課題
ユートピアから解く『世界文学の中のドラえもん』
柴明華

 今回課題に選ばれた、「世界文学の中のドラえもん」を読み、いくつか気になる内容があった。もちろん、雑誌研究が始まったばかりの4、5月に聞いていた内容が中心だったので、恐らく何の知識もない人よりはいくらか理解もしているだろう。しかし、それでも集中して考えないとわからない、気になるものがあった。それは、「ユートピア」という単語である。本の中にも何度も出てきたが、そこが私はとても気になった。なので、このレポートでは、ユートピアという単語を中心にまとめようと思う。
 まず、ユートピアが本の中、つまり清水先生の考えではどういう意味合いなのかまとめてみる。56ページの『のび太の願望』からユートピアという単語を見つけた。ここから読み解くと、「ドラえもん」という物語が展開されている時空、つまり、ドラえもん達が存在・生活をしている世界そのものをユートピアと定義していた。第一巻の第一話から主人公が死んでいる、とも説かれている物語の舞台がユートピアだというのだ。
 ここで、これから先をまとめる前にユートピアについて詳しい知識を持っていなかったので、まとめてみる。
 ユートピア(utopia)理想郷。ラテン語で「どこにもない国」の意味。トマス・モアの造語。人間の本性は基本的に善であるとする儒教主流派の中心概念である性善説によりかかっている。これが、インターネットを利用してまとめた結果だ。余談ではあるが、私の好きな曲の一つにゴダイゴの「ガンダーラ」という曲がある。その曲の歌詞にも『遥かな世界』『何処かにあるユートピア』とある。つまり、ユートピアとは誰もが羨む存在で、誰もが恋焦がれる場所で、そして地上世界のどこにも存在しない、簡単に解説するなら夢のような場所なのだ。
 こうしてユートピアについて知った上で、ドラえもんの世界を思い返してみる。描かれた時代が時代なだけに、今のように進化していない世界だ。どこか昔懐かしく感じる家の造り、今では消えてしまった場所の多い町並み、商店街、空き地…そう言ったものからはとてもじゃないが“理想郷”とは言えないように思う。ほとんどが数十年前には当たり前に見ることができた、あって当たり前の世界なのである。恐らく、ドラえもんのある時空に行きたいかと聞かれたら、進歩している今を選ぶ人が多いだろう。事実、私も行きたいと思ったことはなかった。ましてあの世界をユートピアだ、と感じたこともなかった。
 では、なぜ清水先生はドラえもんの世界をユートピアと表したのだろうか。どこも理想とは離れているようなあの時空を。昔懐かしさすら感じる、時の止まった世界を。
 ここからは私の憶測と、本を読み進めるうちに浮かんだ勝手な解釈なのだが、ここでの世界は、のび太を始め、彼らが生活する世界そのものではなく、ドラえもんという未来のロボットが存在するという点から、理想郷―ユートピアと清水先生は書かれたのではないだろうか。たしかに、よく考えてみるとわかる。ドラえもんが出す数々の道具だ。どこにでも繋がっているドア、机の引き出しの中には時空を移動できる乗り物、大きさを自由に変えることのできるライト…今パッと思い返しただけでも、いくつもの素晴らしい道具が出てきた。そんな未知なる道具を無償で提供してくれるドラえもんは、それはもう私たちの理想ではないだろうか。夢ではないだろうか。ドラえもんを観たことのある人間なら、年齢の上下に関わらず道具に思うはずだ。何度あれがあったら、これに乗れたらと憧れたか。誰しもが一度は後悔し、あの時に戻れたらやり直せるのに…という願望を、ドラえもんは無償で叶えてくれるのだ。つまり、ドラえもんという最大の理想が存在しているあの世界は、ユートピアと称しても納得ができるのだ。
 これが私の、ドラえもんの世界=ユートピアという清水先生の考え方に対する解釈である。ドラえもんは、今のままで進めば、恐らく私たちの世界には生まれてこないであろうと思う。むしろ、ドラえもんの持っていた道具の一つですら生まれないだろう。ドラえもんが存在するという事実を得ているあの世界は、理想郷なのだ。
 ここで一つ気になることをあげたい。もしこの理想であるドラえもんを、今の私たちが手にしたらどう使うのだろうか。理想郷が私たちのいる“今”に突然現れたら。私が思う『もしも、』の世界をまとめてみる。
 まず、人間は頑張ることをやめるだろう。テストで失敗しても単位を落としても、過去に戻れるから大丈夫だろう。ドアを開けたら待ち合わせ場所だから、焦ることはないよ。蒟蒻を食べれば言葉だって通じるし、無理して覚えることないって。荷物なんてライト一つでこんなに軽くなるんだぜ。こうして、人間は行動することに無理をしなくなり、頑張るという思いが消えてしまうだろう。そして最終的には、ドラえもんを巡って、否、ドラえもんの道具を巡って争い始めるだろう。道具さえあれば頑張らなくても生きていけるのだ。無敵な存在になれる、憧れ続けた理想を自分は持ち続けられるのだ。人間は誰だって自分が可愛い。そして、人間はどんな動物よりも良くも悪くも、欲深い生き物だ。自分さえ楽になれるなら、他人を壊してでも欲しいものを奪える力がある。つまり、理想郷は笑い合える世界ではなく、汚い人間の溜まり場に化してしまうのだ。
 これはあくまでも私が思う『もしも、』の世界なので、これが絶対とは限らない。実際はドラえもんの誕生すら怪しいのだ。全てが私の空想で妄想であるのをわかっていただきたい。また、これは考える人によって全く違う答えになるだろう。
 最後になるが、冒頭でも書いたが、私は雑誌研究の講義中で、多少なりともドラえもんの世界について清水先生から学んでいた。しかし、こうして清水先生の言葉を文字という形で読むと、今まで聞いてきた以上に多くのことを知り、理解することができる。無論、全てを理解するにはまだ読み足りなく、今も理解できているのか不安だ。しかし、私なりに理解し、今回こうやってレポートにまとめることができた。悔しいのが、私自身の知識の少なさだ。ユートピアを調べたように、わからない単語がいくつかあった。これはもっと様々な方向の本を読み、学ばなければいけないな、と思わされた。人生日々学習、である。
 これから先、清水先生と同じように、私の好きな漫画やゲーム作品を読んでみようと思う。作品の物語だけでなく、作者の意図や登場人物の思いが今まで以上に理解できるはずだ。こんな新しい漫画の読み方に出会わせてくれた清水先生に感謝したい。また、ドラえもんの新たな世界、考え方を教えてくれたことにもお礼が言いたい。そしてぜひ、これから先もこうして漫画を始め、様々な作品を批評して、それを私たちにぜひ、解説してほしい。もっとたくさん清水先生の考え方を知りたい。そんな清水先生へのわがままなお願いを、このレポートの結びと代えさせていただく。