清水正の『浮雲』放浪記(連載68)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載68)
平成△年8月25日
贅沢は敵だという、戦争中のスローガン〉のもとに必死に戦っていた日本人と、〈戦争の話なぞには何の興味もない、自分たちの生活を愉しんでいた〉仏蘭西人の対比は冷静に検証しなければならないだろう。日本軍の南方占領など点と線の占領に過ぎず、その他の広大な領地は依然として旧来の暮らしを保っていた。ランビァン高原に悠々と暮らす仏蘭西人の贅沢な生活を見るゆき子の眼差しは、林芙美子のそれを大いに反映していたと見ることができる。〈三十六〉章は「他人を見る眼のとげとげしさに訓練させられている日本人の生活の暗さが、ランビァンの楽園にいる時は、何とも不思議な人種に見えて、ゆき子は、生涯をランビァンに暮すつもりで、日本の遠さを、心のうちではよその民族を見るような思いでもいた。」で終えている。
 日本人を〈不思議な人種〉に見る、この突き放した眼差しを持ったゆき子をきちんと確認しておかなければならないだろう。ゆき子に祖国愛はない。少なくとも国家が強制するような祖国愛は微塵もない。ゆき子がひたすら求めたのは〈富岡兼吾〉であって、〈富岡兼吾〉を超えて夢中になれるものは何一つなかった。ゆき子が〈富岡兼吾〉一人と徹底して関わったように、日本という国家と徹底して関わった人間がはたして何人いたのだろうか。ゆき子と富岡兼吾との延々と続く腐れ縁を執拗に辿って来ると、ふと、こんなことを思ったりもする。

〈三十七〉章を読む

  歴史は一貫して、数かぎりもない人間を産んで行った。政治も幾度となく同じことのくり返しであり、戦争も、いつまでも同じことのくり返しで始まり、終る……。何が何だか悟りのないままに、人間は社会という枠のなかで、犇めきあっては、生死をくり返している。(307〈三十七〉)

 一人の人間が率直に歴史について戦争についてコメントを求められればこのようになる。人間は歴史の主役になれはしない。ましてや歴史の演出家になることはできない。気がつけば世界の中に投げ出されてしまっている人間に、歴史(世界の時空)の枠の外にあって、歴史を指揮することはできない。小林秀雄は「僕は歴史の必然性といふものをもつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無智だから反省なぞしない。利功な奴はたんと反省してみるがいいぢやないか」と言ったが、まさに戦争という〈大芝居〉についての反省など、したくてもしようがなかろう。初めてトルストイの『戦争と平和』を読んだ時に感じたのは、戦争という大きな渦の中に巻き込まれた人間はもはやその渦の中から逃れることはできないということである。人間の個人的な意志などではどうすることもできない渦が生まれ、その渦が収まるまではどうにもならない。大軍を指揮する将軍も、名もない一兵士も、その立場は異なっても、渦のただ中に巻き込まれている点では同等である。
 必然、運命、巡り合わせ、何と呼んでもかまわないが、人知を超えたものを感じ、人間社会の次元で戦争の良し悪しを問題にすること自体が滑稽に思える。なるようにしかならない、これは戦時中に生きた者も、敗戦後を生き続けた者も、同じく心の内で感じた率直な思いではなかろうか。戦争という〈大芝居〉の脚本を最初から最後まで読み切っていた者などいなかっただろうし、そもそもその〈脚本〉を書いたのが人間であるとは思えない。被造物の人間は〈歴史〉という舞台に登場させられている人物に過ぎず、もし〈歴史〉の責任を問うというのであれば、〈歴史〉(世界)を創造した者に問うほかはないだろう。畢竟、人間は人間に責任を問うことはできない。その意味で『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンの神へ向けての抗議はその究極の姿をさらしている。