清水正の『浮雲』放浪記(連載65)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載65)

平成△年8月22日

 ひとは列車やバスに乗って車窓から流れゆく風景を眺めながら〈時間〉を意識する。過ぎ去りゆく風景は二度と戻って来ることのない〈過去〉であり、それを眺めている〈今〉もまた容赦なく〈過去〉へと葬り去られていく。ゆき子は今、夢も希望もない〈現在〉にあって、ダラットでの富岡との愉しい交渉を懐かしく思い出しているが、その〈過去〉へと舞い戻ることはできない。ゆき子は富岡との愉しい交渉場面を想起しながら、二人の関係の背景として存在した南方の豊かな自然に対しても思いを強くする。この豪華な背景がなければ、富岡との関係も〈貧弱〉なものに終わったかもしれない。
 ゆき子が富岡の姿を初めて見たのは小パリと呼ばれていたサイゴンの旅館の食堂においてであった。窓ぎわの涼しい場所でいつも本か新聞を読んでいるその男は「ゆっくり孤独を愉しんでいるような茫洋とした風貌をして、酒を飲んでいる」。まだ名前さえ知らない富岡に対して、ゆき子は〈冒険的な気持ち〉を抱いた。ゆき子と富岡の交渉のきっかけの場所が、絵に描いたような美しい都サイゴンであったことを忘れてはならないだろう。美しく華やかな都や自然の背景があってこそ男と女の色恋沙汰も引き立つというものだが、日本へ戻ってからの富岡とゆき子の交渉は焼け野原に林立したバラックや露店や安ホテルなどといった貧弱なものを背景として展開して行った。
 富岡から何の音沙汰もなくなったゆき子は、華やかな背景の前で演じられた〈恋のトラブル〉をなつかしくしびれるような思いで夢見ている。確かに、この時点において、ゆき子は富岡との南方での〈恋のトラブル〉を取り戻すことのできない過去の出来事として、夢見るように思い出している。要するに、ふつうこのように思った時点で、二人の関係は幕を下ろしている。作者の側に立っても、いったいこれから二人の関係をどのように展開させていくのか、そのビジョンは明確ではなかったように思える。
 林芙美子は『創作ノート』(昭和二十二年八月二十日)の中で「私は、小説を書く前に、その小説の筋をいろいろと組みたてゝ書くと云う事を一度もした事がありません。このようなものを書きたいと思って筆を取っても、いつの間にか、私の筆は別な方面へ、その筋立ての外側へ流れ出ている場合が多いのです。流氷が何処へ流れていくかも判らないような、自然な流れにまかせて書く場合が多いのです」と書いている。