清水正の『浮雲』放浪記(連載50)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載50)
平成△年8月5日
加野の置かれている状況には何の救いもない。肺病は当時にあっては不治の病であり、加野が再び健康を取り戻して元気に暮らしていける可能性はない。病床に伏して余命いくばくもない加野の眼に、久しぶりに逢ったゆき子はどのように映ったであろうか。
 加野はゆき子が富岡と結婚していないと聞いて意外に思うが、こういった認識しかできないところに加野の甘さと純情がある。加野はゆき子に対する未練を断ち切れずに、ゆき子からハガキが来るとそれに応じてしまうが、肺病は伝染性があるのだから、その点からもゆき子を招いてはならなかった。肉体的にも経済的にも追いつめられた現状を晒すということは、ゆき子に対する一種の復讐とも見える。復讐は相手が豊かで幸福であればあるほど効果は高まるが、ゆき子は富岡と結婚もせず、一人で加野を訪ねて来た。加野の眼に、ゆき子は決して幸せな女には映らなかったであろう。
 同病相哀れむとは言えないまでも、ゆき子の置かれた現状も加野と似たりよったりである。富岡は経済的にはまったく頼りにならないし、富岡の気持ちがおせいに向かっていることは確実で、今更ゆき子が女の魅力を発揮して富岡に迫ることもできない。生きることもできないが死ぬこともできないという状況は、まさに氷の袋のようにゆらゆら揺れている裸電球の下に寝ている加野の悲惨な状況とさして異なるものではない。
 富岡は魂のなくなってしまった人間、加野は〈生きながらの死骸〉である。戦争に負けて、日本の男子はみな駄目になってしまった。富岡は農林省を辞めて材木事業に乗り出すが失敗、加野は肉体労働に生の活路を見出そうとするが病に犯されて挫折する。
 ゆき子はなんのために加野と逢ったのだろう。「私は一人だわ。富岡さんは富岡さんですわ」とゆき子は口にする。ここにゆき子という女の魔性が露呈しているが、未だ女のなんたるかに関して初な加野はゆき子の魔性に気づいていない。ゆき子が正直に、富岡にどうしようもなく惹かれていることを話せば、加野がゆき子に対して錯覚することはなかったであろう。が、ゆき子は加野を、富岡の気を引くために利用した。加野は女心を知らず、ひたすら自分の思いだけでゆき子と接していた。ダラットで傷害事件を犯すまでに利用されながら、加野は今でもゆき子の戦略的な言動を的確に把握することができない。富岡とゆき子の関係、その強靱な、切れそうで切れない〈腐れ縁〉は、当事者にも正確には理解できないものであったろうが、武者小路実篤が好きな加野は、ここで単純に「私は一人だわ」というゆき子の言葉をそのまま信じたかもしれない。