清水正の『浮雲』放浪記(連載51)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載51)

平成△年8月6日
ここに引用した最後の場面でのゆき子のセリフをきちんと検証してみよう。ゆき子は「私は一人」だと言い、「富岡は富岡」だとも言っている。続いてゆき子は「加野さんの御病気は、いったい誰が看ていらっしゃるの?」と訊いている。加野もまた〈一人〉であることをはっきりと確認したゆき子がこのセリフを口にしている。主導権はきゆき子が握ってしまったことを見逃してはならない。病床に四十日間も伏していた加野であれば、久しぶりに訪れたゆき子の〈一人〉の実相を直観しなければならない。ここでゆき子が加野に発しているセリフ「いったい誰が看ていらっしゃるの?」は、むしろ加野がゆき子に向かって発しなければならないセリフであったはずなのである。

平成△年8月7日
 ゆき子を〈看るひと〉が富岡でないことは確かであるが、加野が富岡に代わってゆき子を看ることはできない。加野が今、置かれている状況を打開する途はない。せめて加野に死を超脱する信仰でもあれば別だが、彼の頭上に揺れる裸電気は、彼を希望に導く光を発してはくれない。久々に加野に対面したゆき子が、加野における菩薩となることもできない。いったい二人は再会して何を確認したかったのであろうか。

 「おふくろと弟がいるンですが、弟はついこの先の文寿堂って印刷工場に植字工で働きに出ています。戦争中は特攻隊の一人だったンですがね、いまは、植字工になっておふくろと二人暮しで、僕を待っていてくれたンです。何しろ焼け出されで、家もないもンで、こんな処にいますがね。これでも、現在の僕たちには、金殿玉楼ですよ」(298〈三十四〉)

平成△年8月8日

 今の時点で興味深いことは、加野は母親と弟については触れているが、父親のことに関しては一言も触れていないことである。加野に限らず、ゆき子の父親に関しても、富岡の父親に関しても作者林芙美子はいっさい語っていない。林芙美子自身も実の父親宮田麻太郎に関してほとんど何も語っていない。加野が父親のことに全く触れないのに、ゆき子はそのことに疑問もなにも感じていないように振る舞っている。父親についてはお互いに触れないでおこうという暗黙の了解が存在していたかのようである。
 加野は富岡の東京高農の後輩である。戦争前に東京農林高等学校を卒業して農林省に入っているくらいであるから、加野の家柄も中流の上であったと思われる。当然、父親がどのような職業についていたのか、現在何をしているのかは読者にとっても関心のあるところだが、作者はそういうことに関しては何の配慮もしない。
 弟は戦争中は特攻隊の一人だったが、今は印刷工場で働いているという。戦争で家は焼かれ、母親と弟の二人が加野の帰りを待っていてくれたという。父親がどうしたのかはわからないが、加野が一家にとって頼みの綱であったことは確かである。加野は長男として一家の杖となり柱とならなければならない。農林省に勤め、軍属としてダラットに派遣された加野の存在は一家にとって誇りであったと思われる。ところが、加野はダラットで傷害事件を起こし、日本に引き揚げてからは、今までの夢を断ち切って、新しい人生を肉体労働を通して模索し始める。
 加野は共産主義思想に共鳴し、そこに未来の自分を託したのかもしれない。しかし、もともと頑強でない肉体を酷使して肺病にかかってしまう。貧乏な一家が一人の不治の病人を抱えて暮らして行くことは、経済的にはもちろんのこと、精神的にも追いつめられていく。肺病は伝染性の病であるから、家族の心労も尋常ではない。加野は貧相な住まいを〈金殿玉楼〉と言っているが、ここですら追い出される可能性はあった。弟に感染すれば、もう加野一家の破綻は避けられない。そんな逼迫した状況の家へとゆき子はやってきたのである。しかも、加野の肺病のもともとの原因はゆき子の存在にあったと言っても過言ではない。罪滅ぼしのために、わざわざ加野を訪ねて来たという理由は、付けようと思えば付けられるが、そんな理由は本能で生きている女ゆき子にはまったくふさわしくない。富岡の心中妄想と同じくらい説得力がない。
 富岡とゆき子の腐れ縁に膨らみを持たせるというのであれば、加野を富岡以上に魅力的な男として登場させなければならない。それはおせいにおいても同じである。おせいがゆき子以上の存在感を持っている女として描けなければ、富岡とおせいの新たな関係は発展しない。もしここで、加野がダラットの加野ではない、まったく新しい男として再登場しているのであれば、ゆき子にとって加野は富岡とは対照的な存在として新たな関係性を築けたかもしれない。しかし、すでに加野は生きながらの死骸であり、二人の間に今後、魅惑的な関係が成立する可能性はゼロである。加野とゆき子の再会の場面に、読者は微塵のわくわく感を覚えることはない。二人が、いかに交わる接点のない存在であったかは、ダラットでの短い描写場面によってすでに十分に証明されている。
 
  紙を張った硝子窓から、にぶい午後の陽射しが縞になって、汚れた軍隊毛布に射し込んでいた。ゆき子は人の身の上の激しいうつり変りを見るような気がした。ひげののびた蒼ざめた加野の顔は、痩せてとがっていた。まんまるい子供の顔のようだった加野は、まるで十年も年を取ったような老けかたであった。寝ている加野の現在の風貌からは、南方の生活の様子はなかなか思い出せないのである。まるで違った人の顔をして、そこに横たわっているのだ。二人には何の過去もなかったような、赤の他人同士の間柄にしか考えられない。(298〈三十四〉)

 林芙美子は「紙を張った硝子窓から、にぶい午後の陽射しが縞になって、汚れた軍隊毛布に射し込んでいた」と書いている。光と闇の、軍隊毛布にできた縞模様を見つめているのはゆき子であり、作者である。〈紙を張った硝子窓〉〈にぶい午後の陽射し〉〈縞〉〈汚れた軍隊毛布〉のひとつ一つをなめるようにして味わうこと、林芙美子の小説は読み流してはならない。言葉一つひとつが重い現実を背負っている。
 肺病で四十日間も床に伏している加野の弱りきった体が〈汚れた軍隊毛布〉の重みをどのように感じていたのか。縞になったにぶい午後の陽射しをどのように感じていたのか。ゆき子は加野のひげののびた蒼ざめた加野の顔を見つめながら〈人の身の上の激しいうつり変り〉を感じている。加野を見るゆき子のまなざしは冷徹と言ってもいい。
 女は、本当に好きになって軀を委ねきった男の不幸や悲劇にはつきあうことができても、そうでない男のそれには本心から同調することはできない。ゆき子は加野に対して猫の目のような冷徹さを失うことはない。ダラットでは〈まんまるい子供のような顔〉だった加野は、今は十年も老けて痩せてとがっている。時の移り変り、人の身の上の移り変りをそこに感じても、ゆき子に加野に対する同情は希薄である。ゆき子は現に、加野の傍らにいて彼と言葉を交わしているのに、どこか醒めている。ゆき子の頭の中には、彼ら二人を冷徹に見つめているカメラが設置されているようにも思える。富岡を前にすると、感情を露わにして泣いたりわめいたりするゆき子が、加野の前では完璧に感情をコントロールできる女になりきっている。二人を描く作者もまた冷徹である。わざわざハガキを出してまで、加野に会うことにしたゆき子の内心の思いを「二人には何の過去もなかったような、赤の他人同士の間柄にしか考えられない」と、あっさりと書いている。
 加野とゆき子の関係が〈他人同士の間柄〉であることなど、読者はとうの昔から知っているが、この〈他人同士〉を再会させておいて、このように書いてしまう作者がおもしろい。ゆき子が加野の老けかたを見て、そこに富岡を重ね合わせ「二人には何の過去もなかったような、赤の他人同士の間柄にしか考えられない」と思うのなら、ゆき子にも新しい一歩が踏み出せたかもしれないが、作者は〈富岡とゆき子〉の腐れ縁の糸だけは絶対に切断することはなかった。

 「お変りになったわね……」
 「吃驚したでしょう?」
 「ええ」
 「まア、今日は、昔話でもして行って下さい。ゆき子さんのハガキが来た時、とても嬉しくてね……。あなたは、僕になンか、たよりをくれる人じゃないと思いましたからね……」
 「まア、そんなことはありませんわ。富岡さんから、加野さんのアドレスを知らして来たものですから、とても逢いたくて……」
 「ほほう、そりゃアどうも……」
  ふっと、お互いに気まずいものが心を走った。ちょっとの間、二人は黙りあっていた。(298〜299〈三十四〉)

 ゆき子は加野の風貌が変わったことを言ってるだけのことで、加野は基本的には何にも変わってはいない。富岡もゆき子もその点は同じである。ゆき子は富岡から加野のアドレスをきいたことをここで口にしている。加野が富岡に自分の住所を知らせることは考えられない。富岡は農林省関係の者から聞いて知っていたと考えるのが自然であろう。
問題は、なぜ富岡が加野のアドレスをゆき子に知らせたかである。ここにも富岡の狡さがうかがえる。富岡はダラットでゆき子と結婚の約束をしながら、日本に引き揚げてきてからは、ゆき子ときっぱり別れることばかり考えていた。だが、ゆき子に執拗にまとわりつかれてなかなか実行できないでいた。富岡はゆき子が外国人相手に娼婦まがいのことをしても、そのことを責めるようなことはしない。富岡にはゆき子を全面的に引き受ける気持ちがないので、ゆき子がほかの男と関係して彼を相対化してくれた方が気が楽なのである。事業が成功して思わぬ大金が入っていれば、ゆき子を自分だけの女として囲うこともできただろうが、金儲けに走って失敗し、家まで人手に渡してしまった富岡にできることと言えば、〈生温い卑劣漢〉であり続けることぐらいであった。
 加野はゆき子の口から富岡の名前が出ただけで不快な思いにかられる。その加野の思いは瞬時にゆき子に伝染する。「お互いに気まずいものが心を走った」とあるが、この気まずさの実体を彼ら二人が正確に認識していたとは限らない。〈富岡〉の名前を出したことで気まずさが二人の心を走ったというのであれば、加野も、ゆき子も〈富岡〉を引きずっていたことになる。