清水正の『浮雲』放浪記(連載60)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載60)

平成△年8月17日
もしそういうことであれば、ダラットに派遣されたタイピストのうちの二人が、日本へ引揚げて来てから、堅気の仕事につけなかったということになる。敗戦は、富岡や加野、それに伊庭といったゆき子に深く関わった男たちばかりではなく、女たちの運命をも大きく変えたということである。春子もゆき子も自立して生きていかなければならない状況にある。富岡の妻邦子や母は全面的に富岡の経済的庇護のもとに置かれている。富岡が転ければ一家は壊滅状態に陥る。富岡との結婚をはたせず、富岡が事業に失敗した今、ゆき子は経済的自立の途を模索しなければならない。その一環として加野訪問の打算もあったかもしれないが、加野の置かれた窮迫を見て、その打算は木っ端微塵に砕かれる。頼みの綱として残された男は、伊庭のほかにはいないということになる。

〈三十六〉章を読む

    人身を享けて あすの日の
    何をもたらすと 測るなかれ
    また栄耀の 人を見て
    いく時か かくあらむとも。
    世のうつろいの 迅やかなる
    翔ひろの 蜻蛉のあしも
    かくはあらじ

  一週間ほどして、加野から、ゆき子の見舞いをよろこんだ手紙の末尾に、こんな詩のような文句が書いてあった
。世のうつろいの迅やかなると言う一節が、ゆき子の心に焼きついてきた。病の絶望の底に到って、自嘲めいたこの言葉が、いまの加野のいっさいなのだと、ゆき子は加野へ対して、同情しないではいられなかったが、現実に逢った加野へ対しては、もう何一つ惹かされるものはない。仏印でのいっさいはもうみんな、世のうつろいの迅やかなるであろうか。ゆき子は返事を出さなかった。(304〈三十六〉)
 
 ひとはみな死に直面すれば「世のうつろいの迅やかなる」を感じずにはおれない。神を信ずる者にとっては天国や地獄が具体的にイメージされるのであろうか。仏教徒は浄土を想って安心立命の境地へと誘われるのであろうか。加野は来世に関しては何も発言していない。加野の眼差しは「世のうつろいの迅やかなる」という、不断に生成し消滅する現実世界の諸相を諦念のうちにあるがままに認める眼差しである。
林芙美子は、独り貧しい狭い部屋に置き去りにされたかのような加野をゆき子に対面させ、加野の母親や弟を描くことはなかった。そのことで病床に伏した加野の孤独と寂寥はいやが上にも迫って来た。ゆき子は加野のその孤独な姿に自らの孤独を重ねて、おそらく生理的に嫌悪すべきものを触感したかもしれない。中途半端な同情や謝罪の気持ちは、本能的、生理的な感情を超克することはできない。結果としてゆき子は、加野から逃げるようにして自らの貧しい小舎へと戻って来た。

加野の寝ている二階の貧しい小部屋は、ゆき子の寝起きしている貧しい小舎へと直結する。ゆき子はその間に眼に見えぬ堤防を築いて、加野の思いが流入してこないように防御線を張り巡らす。ゆき子は加野からの手紙に返事を出さないことで、加野との縁を断ち切った。再び、富岡との関係に乗り出すために、加野はここでもゆき子によって利用されたに過ぎない。惚れていない男に対して女はどこまでも冷酷になれるものらしい。