清水正の『浮雲』放浪記(連載49)

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 清水正の『浮雲』放浪記(連載49)
平成△年8月4日

ゆき子は思い切って、横浜の蓑沢に加野を尋ねて行った。ベアリング工場とか、印刷屋だのがごみごみした通りの、掘り返した道路に面した番地を、たんねんに探して、ゆき子はやっと、狭い路地の中に、加野の下宿先を探しあてた。バラックの小さい小舎同然の並んでいる、長屋のはずれに、アンゴラ兎を家のなかで飼っている二階家に、加野は間借りをしていた。ちょうど、伊香保のおせいの家のようなぐらぐらした家で、二階に加野は寝ていると階下の子供が言うので、ゆき子はかまわず二階へ上って行った。天井の低い、一部屋だけの、梯子段の上り口から、七輪や炭の俵の置いてあるところを通って、破れた襖ぎわへ立つと、あの聞きおぼえのある、加野の疳高い声で
 「むさくるしくしてますが、お這入り下さい」と言った。(297〈三十四〉)


 なぜゆき子は思い切って加野に会う気になったのか。ひとつは富岡との関係が行き詰まって、加野に何らかの期待を寄せたのかもしれない。この期待の寄せかたは、加野と特別な関係になるかもしれないということではない。
 ゆき子が加野に抱かれる可能性があったのは、ダラットで最初に会った日以外にはない。あの日の夜、もし加野が富岡の呼び声を無視するだけの力を持っていれば、ゆき子と加野の関係ももっと深いものになっていたであろう。
 あの時、ゆき子と加野は慾情に燃えていた。加野が強引に迫れば、ゆき子は富岡に対する復讐の思いもあり、不本意ながらも加野に軀をまかせたかもしれないのだ。が、加野は決定的な時を先送りしてしまった。そのことで、加野はゆき子を富岡に奪われてしまった。
 ゆき子にとって加野は、いつも富岡との関係をより親密にするための一種のスパイスのような存在であって、はっきり言えばゆき子は加野を単に利用しているに過ぎない。加野にもプライドがあり虚栄があるから、自分が単にゆき子にいいように利用されているだけの存在とみなすことはできない。だからこそ、加野は恋敵となった富岡に激しい嫉妬と殺意まで抱いて刀で切りかかったのである。この時点で加野の運命は狂った。富岡をかばったゆき子の腕を傷つけた加野は逮捕されサイゴンへと送られた。農林省の役人としても、研究者としての未来も閉ざされた加野が、日本へ引き揚げてきてから数奇な運命を辿らざる得なかったことは容易に察することができる。
 加野にとってゆき子は自分の運命を狂わせた張本人である。ゆき子がどのような文面のハガキを送ったのか、その具体を書かれたままに知ることはできないが、ぜひ会ってお詫びしたいくらいのことは書かれていたのであろう。幕が降りてしまった舞台に、新たな発展的関係を結ぶことのできない男と女が立ってはいけない。ダラットでの過去の出来事など忘れてしまうのが一番いい。特にそれは、ゆき子よりも加野に言える。ゆき子のハガキに応えてしまうところに加野のひとの良さがあり弱気がある。
 今、ゆき子が加野に会わなければならないと思った二つ目の理由として、富岡を越える何かを加野のなかに発見したいという思いにかられたことがあったかもしれない。富岡の魅力は性愛的な側面を抜きにすれば、彼の抱え込んでいる虚無にこそある。なにしろ富岡は『悪霊』の愛読者でニコライ・スタヴローギンの虚無をそれなりに引き継いだ卑劣漢である。誠実とか善良などという概念がすでに崩壊していたのが富岡である。
 そんな富岡以上に、何か魅力を備えた男を造形しようと思えば、どんな大作家でも苦闘せざるを得ない。加野ははたしてどのような男として再登場して来るのか。林芙美子は加野をいきなりゆき子の前に登場させるのではなく、彼が住んでいる貧しいごみごみした街の光景を描くことから始めている。
 〈掘り返した道路〉〈狭い路地〉〈下宿先〉〈バラックの小さい小舎〉〈長屋のはずれ〉〈間借り〉〈ぐらぐらした家〉……林芙美子はこれでもかこれでもかといった具合に、加野の置かれている困窮した状況に迫っていく。もうこの描写だけで加野の〈現在〉は余すところなく描かれてしまったと言っても過言ではない。
 が、作者はさらに加野の置かれたどうしようもない現況を晒していく。どんなに貧しい状況にあっても、本人が健康で働いてさえいればまだ希望はある。しかし、階下の子供は「二階に加野は寝ている」と告げる。昼間から寝ている大人の男は尋常ではない。もうこの時点で不吉な予感が走る。

  襖を開けると、加野は汚れた手拭で鉢巻きをして毛布を被って寝ていた。裸電気が、まるで氷の袋のように、加野の頭の上でゆらゆらゆれている。むくんで蒼黒い顔をしていた。昔のおもかげもないような風貌の変化である。(297〜298〈三十四〉)


 襖は〈破れ〉、鉢巻にした手拭は〈汚れ〉ている。とうぜん毛布も汚れていたであろう。加野の頭の上には〈裸電気〉がまるで〈氷の袋〉のにようにゆらゆらゆれている。この裸電気は夜になると加野の〈むくんで蒼黒い顔〉を照らし続けるのであろうか。
 富岡兼吾は加野とドストエフスキーの『悪霊』について話すことがあっただろうか。ゆき子が眼にした加野の置かれた光景は、わたしの内ではキリーロフが死の恐怖と戦うその具体的な光景と重なる。〈氷の袋〉のようだと形容された〈裸電気〉は、キリーロフの言う〈大きな石〉にも見えてくる。加野の頭上に彼の命を奪う大きな石はぶら下がっていないが、しかし〈氷の袋〉は彼の命を救ってくれないことは確かなのである。不治の病を抱えて、床についている加野は不断に死の恐怖と闘っている。突然の死ではなく、加野は緩慢な死と闘っている。絶対的に信奉できる思想や信仰によって死ぬのならまだしも、加野はゆらゆら揺れる裸電気を頭上に眺めながら、やがて確実に訪れるであろう死を見つめ続けていかなければならない。

 「まア! どうなすって? お風邪ですか?」
  足の踏み場もなく取り散らかった、加野の枕もとに行き、ゆき子は加野をのぞき込むように言った。加野はぽっと顔を赧くして、いかにもなつかしそうに笑った。白い歯をしていた。
 「駄目になっちゃったンですよ。ここをやられて、昨夜も少し喀血したンです……」
  と、他人事のように言って、壁ぎわの綿のはみ出た座蒲団を眼で差して、それに坐ってくれと加野は言った。ぷうんと四囲に石灰酸の匂いがした。
 「軀がすっかり参っちまってね。少しばかり、荷揚げの人夫をやっていたンですが、雨にあって冷えたのがもとで、もう四十日ばかり寝込んでいます。生きながらの死骸ですね。ーー富岡君と一緒じゃなかったの?」
 「いいえ一人で来たのよ。富岡さんとは久しく逢わないンですの……」
 「ふうん、結婚していないの?」
 「誰と?」
 「富岡君と幸福に暮してるのかと思ったンですがね……」
 「あら、私は一人だわ。富岡さんは富岡さんですわ。ーー加野さんのご病気は、いったい誰が看ていらっしゃるの?」(298〈三十四〉)