清水正の『浮雲』放浪記(連載43)

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清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載43)

平成△年7月27日
さりげなく富岡がゆき子の小舎に一泊して行ったことが記されている。あまりにもあっけなくかかれているが、男と女の腐れ縁を延々と描いている作者のこの書き方に物足りなさを感じる。伊香保から東京へ戻って、すぐに別れるのかと思いきや、富岡はのこのことゆき子の小舎にまで付いてきて、酒を一升も飲み干している。ゆき子は腹ごしらえをして、明日からの生活をどうするかを真剣に考えている。
さて、泊まることになった富岡とゆき子の間に何の関係もなかったのかあったのかは、今までの叙述の流れから言っても重要なことで、あっさり一行で片づけられることではない。富岡は一升ぐらいの酒で酔いつぶれてそのまま眠ってしまうような男でないことは、伊香保のおせいとの関係を思い出すまでもない。しかも、富岡が妻の邦子のところへ帰れば、今度いつ会えるか分からないのだ。ゆき子の性格を考えれば、富岡と何の関係も持たずにおとなしく寝てしまったとは思えない。もともと二人の関係は倫理の次元から逸脱した男と女の関係であるから、富岡がおせいと関係したことぐらいで破綻を迎えるとは思えない。
もし二人の間に、その夜関係があったとすれば、富岡はそこでおせいのパンツを脱いで関係したことになる。この場面を描いてこそ〈腐れ縁〉のどうしようもなさ、富岡とゆき子の堕ちるところまで堕ちたぐちゃぐちゃの関係が露わになると思うのだが、林芙美子はそれを描かなかった。具体的に描かずとも、関係があったのかなかったのかの報告ぐらいはしておいた方が、今後の二人の関係を追っていく上ではよかったのではないかと思う。