清水正の『浮雲』放浪記(連載63)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載63)

平成△年8月20日
 作者は「兵隊のみんなが、生死をかけて戦っている時に、ゆき子だけは、富岡と不思議な恋にとりつかれていた」と書いている。国家の存亡を賭けた〈戦争〉と〈不思議な恋〉のどちらに比重を置くかによって、その人の人生観が露わになる。戦争中に〈恋〉などにうつつを抜かしていれば非国民扱いされたことは言うまでもない。芸能も宗教も戦争勝利の為に協力を要請され、その国家方針に逆らう者は容赦なく弾圧される。ダラットでの富岡とゆき子と加野の三角関係などはそれ自体が厳しく弾劾される性格のものであって、ましてや富岡とゆき子の悦楽の日々はなおさらのことである。しかし、恋愛や性愛は国家がどのような弾圧的制裁を課しても押さえきることはできない。
 かつてわたしは昭和十一年の女、阿部定の供述書を批評したが、まさに阿部定にとっては国家の存亡などよりは石田吉蔵という男一人が大切であった。阿部定は石田を自分だけのものにするために、首を締めて殺し、石田のペニスを牛刀で切断し、胸懐に入れて逃亡し、死に切れずに逮捕された。当時の新聞は阿部定による石田殺害事件を妖婦による猟奇事件として報道したが、世の中がどんどん暗い方向へと向かっている時代にあって、阿部定はひたすらただ一人の男に執着した。その異様な、だが一途な恋は世の多くの男性の心をとらえた。殺人を認めるわけではないが、阿部定の男に執着する、そのエゴイスティックな所有欲は男を震撼させると同時に感動も起こさせたのである。そこまで惚れられたら男として本望だ、という思いが男のうちにはあるらしい。
 戦争で命を失うのと、色恋沙汰で命を失うのとどちらがいいかという問題は、それほど単純ではない。「一杯の旨いお茶が飲めれば世界など滅びてもかまわない」と言ったのはドストエフスキーの地下室人である。好きな男と一緒にいられれば国など滅びてもかまわない、と思う女がいてもべつに不思議なことではない。色恋沙汰が戦争をも超えたドラマにならなければ、そんなものは本当の色恋ではないのだという考え方もある。ゆき子が富岡に執着するその思いには、戦線で命がけの戦いを展開している兵士の思いにひけをとらないものが込められている。

  ツウランの駅から、縦貫鉄道で、サイゴンへ向う車中での、一つの運命が、ゆき子を、富岡へめぐりあわせたのであろうか。時速四二キロの直通列車で、ゆき子は、自分一人だけ皆と別れてしまう淋しさを考えていた。篠原春子は陽気に歌ったりしていた。その汽車に、やがて、ゆき子は富岡と乗ることがあろうなぞとは考えもしなかったのだ。あれはいつだったかしら、春だったか、夏だったか、季節の変化のないところなので、思い出のなかに月日の念が薄れてしまっている。車中で、富岡が、ゆき子の手を握り、人目につかないかくしかたで、車窓に乗り出すようなかっこうで、走り去る疎林を指差し、あすこはベンベン、サオ、ヤウ、コンライ、バンバラと教えてくれた。疎林は落葉し、林床には野火の跡があり、線路近くまで延焼して来ていた。凄んだ林野も瞼に浮ぶ。そのなかを、ときどき、おそろしくこんもりした密林があり、棕梠竹や下草が密生して、いわゆるジャングルの状を示している処もあった。そのジャングルのまわりを、パラと言う椰子の一種が、巨大な掌状葉を拡げているのが、ゆき子には印象的だった。(306〈三十六〉)

 ここでゆき子は富岡と出会うことになった〈一つの運命〉〈めぐりあわせ〉を考えている。これらの言葉が向井清吉の口からも、加野久次郎の口からも発せられていたことを忘れないならば、『浮雲』の人物たちは例外なく〈運命〉を強く意識していたと言える。『罪と罰』のロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフは〈偶然〉を意識し、その偶然は〈悪魔〉と〈神〉の意志と深く関わっていたが、『浮雲』においては〈運命〉と〈めぐりあわせ〉に絶対神の意志が介入して来ることはない。『浮雲』の富岡やゆき子を、ユダヤキリスト教の神が支配する舞台に乗せれば、彼らは予め神の口から吐き出された〈生温き人〉ということになる。
 ゆき子は列車に富岡と一緒に乗ったことを懐かしく思いだす。車中での富岡はゆき子の手を握り、人目につかないように車窓に乗り出し、走り去る疎林の木々の名前を教えてくれる。富岡は東京農高の出身で、山林事務官として派遣されてきた男であるから、当然、植物には専門的な知識がある。ゆき子は惚れた男の教養や知識にも心地よさを感じていたであろう。
 ゆき子は、何の音沙汰もない富岡との交渉は一応ピリオドを打ったと思わざるを得なかった。しかしゆき子は、現在の富岡との交渉が切れたと感じると、今度は過去の富岡との濃密な関係を思い起こして、それを現在へと接着させようとする。現在の希薄な関係に、過去の濃密な関係を注入して、瀕死の関係を蘇生させようとする、涙ぐましい必死の試みと言ってもいい。ゆき子は富岡のことで本気で断念したことはない。作者は「富岡との交渉はこれで、一応はピリオドを打ってしまったと言ってもいい」と書いていた。作者はここで〈一応〉という言葉を挿入している。この〈一応〉の言葉一つで、富岡とゆき子の関係は完全に断ち切られることはない。ダラットでの過去と敗戦後の現在の狭間に鉈を振りおろして切断しても、豊穣な過去が平坦な荒れ地の現在に津波のように襲ってくるのである。ゆき子は富岡との豊穣な過去を空虚な現在の荒れ地へと誘引するかのように、過去の出来事を次から次へと思い出しているのである。
 富岡とゆき子は手を繋ぎ、同じ列車に乗っている。どちらかが飛び降りでもしない限り、二人は運命を共にしている。二人で同じ風景を眺め、二人で同じ方向へ向かっていることの至福をゆき子はからだ全体で感じている。この運命共同体としての〈列車〉から一足先に降りて、日本へ引揚げてしまったのが富岡であった。そこから二人の間にどうしても埋め合わせることのできない淵が露わになった。ゆき子がどんなに速度を上げて追いかけても、富岡に追いつくことはできない。たとえ肉体を重ねて悦楽の時を過ごしても、富岡の内なる〈貧乏ゆすり〉は止まらないのである。