清水正の『浮雲』放浪記(連載41)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載41)
平成△年7月26日

「煙草ないかい?」
  富岡が手を出した。ゆき子は、ハンドバッグから光の箱を出して、その手に渡した。そして、炬燵の上に転っている、二つのさいころを手にとって、ゆき子は暫く、そのさいころを握って自分勝手なことを考えていた。何をして働くべきかが重くかぶさって来る。事務的な才能もいまはなくなっている。まして女中にはなれない。細君になるのも嫌だった。何かをしなければ飢えてしまう。どの仕事を選ぶべきかとゆき子はさいころを振りながら、寒い風に吹かれて、街の女になっている自分の姿をひそかに空想していた。
 (295〈三十三〉)

 煙草を所望する富岡にゆき子は自分のハンドバックシから光を出して渡す。この時、二つのさいころは炬燵の上に転がっている。富岡はおせいからもらったさいころをポケットに隠すなどせずに、炬燵の上に放置した。ここにすでに富岡とおせいの関係の破綻はすでに予告されている。富岡が密かに何かを賭けて振り続けたさいころの目は〈二と五〉で、彼が〈最も嫌な数字〉であった。奇数が出たら〈死〉(自殺)、偶数だったら〈生〉(おせいと生き直す)などと思ってさいころを振っていたのかもしれないが、作者はこういった点に関してはいっさい言及しなかった。
 いずれにしても、富岡はおせいから特別の意味をこめられて密かに渡されたさいころを、ゆき子の小舎の炬燵の上に放置し、今そのさいころは煙草を渡したゆき子の手に握られてしまった。おせいが富岡に賭けた思いは、ゆき子の手に収まった、つまり握りつぶされてしまったという隠喩である。
 ゆき子はさいころを握りながら、もはやおせいのことなぞ考えてもいない。ゆき子は現実主義であって、空想や幻想に酔いしれるロマンチストではない。どんなに富岡の浮気のことで嫉妬しても憎んでも悲嘆にくれても、飯を食うことを忘れはしない。生きることは飯を食うことであり、それから性欲を満たすことである。
 事業に失敗して心中まで空想した富岡を当てにすることはできない。富岡が小舎を出て行った後、ゆき子はどのような仕事につくかを真剣に考える。ゆき子は事務員、女中、細君になることはできないと踏んで、〈街の女〉になった自分の姿を思い浮かべる。前にも一度、ゆき子はそういった思いにかられて砂漠のような新宿の街をあてもなくさまよい歩いて、そこでジョオに声をかけられた。あの時、ゆき子には富岡から離れて、娼婦として生きていく道が開かれたはずであった。しかし、作者はゆき子とジョオの関係だけは簡単に描いたが、ゆき子が外人兵士相手の本格的な娼婦(オンリー)になったかどうかについてははっきりとは描かなかった。
 ゆき子が富岡と伊香保に行っていた一週間ばかりの間に、ジョオが心配して何回か小舎に訪ねてきたのではないかと考えられるが、作者はゆき子とジョオの関係についてさらに描く気持ちになれなかったのか、ジョオのことはあまり触れないようにしている。わたしだったら、富岡がおせいからもらったさいころなどを振っている時に、とつぜんジョオが訪れ、富岡とジョオの対決を描くことで、二人の男の性格、その特質性を際だたせたいところである。が、林芙美子は富岡と邦子の夫、富岡と加野、富岡と伊庭、富岡とジョオ、富岡と向井清吉など、男同士の直接対決を一度見も描かずにすませてしまった。