清水正の『浮雲』放浪記(連載42)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載42)
平成△年7月26日

 〈三十四〉章を読む

  七草の日には、ゆき子は、伊庭の家には行かなかった。富岡が帰って以来、ゆき子は四五日は家のなかで暮した。どこへも出て行く気がしなかったし、何をしようという気持ちもなかった。心に突き刺した傷はなかなか、恢復する模様もない。ゆき子は、伊香保のおせいのところと、横浜の蓑沢にいるという、加野のところへハガキを書いた。 (295〈三十四〉)

 〈三十四〉章に入って、ジョオのことについてはいっさい触れられない。ジョオは、ゆき子が富岡の速達に答えて待ち合わせの赤坂見附駅に向かった時点で切り捨てられてしまったのだろうか。否、ジョオにはジョオのゆき子に対する思いがあっただろう。ここはやはり、作者の側にゆき子とジョオの関係を書き継いでいく気持ちがなかったと見た方がいいだろう。小説家はなにもかも書くことはできない。ゆき子とジョオの関係よりは、ゆき子と富岡の関係に照明を与え続けた方がよいという創作者としての意識が強く作用したのであろう
。富岡とおせいの関係は、富岡とゆき子のマンネリの腐れ縁を活性化させるために準備されたと言っても過言ではない。さらにゆき子が加野と会うという設定も、小説に膨らみを持たせるために考えられたと言ってもいい。作者に、ゆき子と富岡の腐れ縁に幕を下ろす決断が下されない限り、富岡とおせいの関係も、ゆき子と加野の関係も、ましてやゆき子とジョオの関係にも何ら独自の発展性を期待することはできない。ゆき子とジョオ、富岡とおせいの関係が独自に発展していけば、富岡とゆき子のドラマは自然消滅するほかはない。林芙美子は小説世界が二分されることを回避するために、富岡とゆき子の腐れ縁のさらなるさ続行にこだわったと言える。

  おせいのところへは、わざと主人からよろしくと書いておいた。どのような反応で、おせいから返事があるかが、ゆき子にはおもしろいいたずらでもあった。加野には、近いうちぜひ尋ねたいが、いつが都合がよいかという問いあわせの文面を出した。案外なことには、ハガキを出して間もなく、おせいの亭主が、雪もよいの日に、ゆき子を尋ねて来た。おせいは、ゆき子たちが東京へ戻って行った翌朝、身一つで家を出てしまい、いまだに戻って来ないと言った。 (295〜296〈三十四〉)

 ゆき子は富岡が帰った後、富岡と決別して一人、東京で新たに生き直そうとはしなかった。ゆき子はおせいと闘い、富岡をおせいから奪い返すことにする。ゆき子という女は、引き下がることができない。自ら身を引いて相手の幸福を願うなどということは間違ってもできない。二十歳にもならない田舎での〈猿ッ子〉相手に真剣勝負を挑む。ゆき子にとって富岡は〈主人〉であり、おせいは旅先での〈主人〉の単なる浮気相手でしかない。そういった虚勢を張った、いたずら半分の挑戦的な手紙を書かずにはおれないのがゆき子である。が、このゆき子の手紙は空振りに終わった。すでにおせいは富岡と別れた翌日には身一つで東京へと出立していた。このことを、ゆき子は上京してきた向井清吉から直に聞くことになる。
 林芙美子はこの重要な事実を実にあっさりと書いている。若い妻に逃げられた向井清吉は、気の毒というよりは、あまりにも愚かな姿を晒している。が、林芙美子はその向井の姿を具体的に詳細に描くことはしなかった。その結果、向井は人間というよりは妻に逃げられた〈哀れな亭主〉という図式化された客体物のごとき存在と化してしまった。以後、向井清吉という男の内心の言葉は完璧に抹殺され、人間としての喜怒哀楽は封印されてしまった。
 身一つで東京へ出立したおせいと、身一つで東京の小舎に生きるゆき子が、今後、富岡をめぐってどのような闘いを展開していくのか。読者の興味は、俄然この二人の動向へと向けられる。はたして叙述はどのように展開していくのか。

  ゆき子は、富岡のことがすぐ頭のなかに浮んだ。一夜泊って帰って行った富岡は、どこかでおせいと逢う約束が出来ていたのかも判らないと思った。二人のはっきりしたところを見たわけではなかったけれども、見送りに来たおせいの涙は、あれは、ただごとではない女の涙だと、ゆき子は心ひそかに睨んでいたのだ。いま、こうして、おせいの亭主に尋ねて来られると、富岡が、おせいには所をいいかげんに教えておいたと言ったことも、嘘にとれたし、何かが二人の間に約束されているのではないかと考えられたのだ。 (296〈三十四〉)