清水正の『浮雲』放浪記(連載32)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載32)
平成△年6月28日
富岡が速達を出してゆき子を四谷見付駅に呼び出した場面は、映画ではがらりと変更されている。まず駅自体が■赤坂見附に変わっているし、画面を見る限りこの日はよく晴れていて、富岡とゆき子の背後には集まった労働者たちが声張り上げて労働歌を歌っている。水木洋子のシナリオでは「富岡が雨の中に佇んでいる。/まばらな乗客が押し迫った暮の気忙しさで眼の前を通って行く」とあり、原作における雨の日という設定は変更されていないし、また労働歌の合唱場面もない。ただ、水木は「鉛色の光った坂道を、濡れ鼠になった雑種の犬が、よろめきながら、誰かを探し求めるように歩きまわっている」そういった、惨め極まる富岡の実存様態を端的に示す隠喩的光景を重視することはなかった。成瀬の映画は、原作において的確に表現された、経済的にも精神的にも追いつめられ、消耗しきった富岡の実存の姿を映し出さない。富岡は成瀬の映画の中では決して〈濡れ鼠になった雑種の犬〉と化すことはない。森雅之演ずる富岡は未だにダンディな格好いい男の相貌を崩してはいない。

〈三十二〉章を読む

  二人は、五日の夕方東京へ戻った。
  東京を去る時よりも、もっとひどい憂鬱さで、ゆき子は自分の避難所へ富岡を連れて戻って来た。母屋の荒物屋へ帰った挨拶に行くと、お姉さんは厭な顔をしていた。ゆき子は、そうした顔に行きあたると、思いがけない旅路の長さを思い、他人の家へ這入るような気兼な気持ちで小舎の鍵を開けた。引いて貰ったばかりの電気をつけ、ソケットをコードについで、電気コンロのスイッチをひねった。部屋のなかは何となくかき乱されていた。炬燵の上には手紙が置いてあったが、それは伊庭の置手紙であった。二日ほど、ここでゆき子を待つために泊ったことや、一度郷里に戻って来いということが記されていた。鷺の宮には、七草の日に、伊庭一家が集ることになっているから、その日はぜひ泊りがけで来てくれるようにともある。ゆき子は、すぐ、それをぴりぴりとれ破って七輪に投げ込んだ。火を熾して、炬燵に入れると、ゆき子はコオヒイを電気コンロにかけた
。 (288〜289〈三十二〉)

 富岡がゆき子と四谷見付駅であったのが昭和二十一年十二月二十九日、伊香保温泉に着いたのが同日の夜更けである。ふたりが金太夫旅館に滞在したのが二十九、三十、三十一日、翌二十二年の一月一日に向井清吉にオメガの腕時計を一万円で買って貰う。二人は一日の夕方、金太夫旅館を後にして向井のバーに寄り、そのまま何日か向井の家に厄介になっていたことになる。

平成△年6月29日
 描かれた限りでみれば、富岡とおせいが関係をもったのは正月一日から二日にかけての深夜であり、温泉の脱衣場でゆき子が富岡とおせいの関係に疑惑を抱いたのは二日である。この日、ゆき子は富岡に向かって「明日朝早く、私、ここを発ちたい」と言っているのであるから、ふつうに考えると、富岡とゆき子が伊香保を発ったのは翌三日の午前中となる。ところが、作者は二人が東京をへ着いたのは五日の夕方と書いている。伊香保から東京へ着くまでの間に、読者には全く報告されない何かがあったということなのであろうか。それとも単なる日付計算の間違いなのであろうか。
 ゆき子は自分の〈避難所〉へ富岡を連れて戻ってくる。その時のゆき子の心情は「東京を去る時よりも、もっとひどい憂鬱さで」あったと書かれている。〈憂鬱〉と書かれてしまえばどうしようもないが、この〈憂鬱〉はゆき子自身が招き寄せているものである。そもそも富岡の呼び出しに応じなければよかったのであり、たとえ応じても富岡を眼前にしてきっぱりと別れの言葉を投げつければよかったのである。しかし、富岡に「惚れてしまった」ゆき子にはそれができない。小舎を訪ねて来た富岡がゆき子にこっぴどくやられて去って行った後、ゆき子は炬燵にもぐり込み、獣のように身を揉んで泣く。罵倒し、泣きわめき、身をもだえて泣く女は、自分からきっぱりと相手の男を突き放すことができないのであろうか。
 小説には省略が必要である。読者は伊香保を発って東京へ着くまでの間、富岡とゆき子がどのような会話を交わしたのか、何一つ報告されない。何一つ報告されないが、伊香保の石段で交わされた会話の場面から、いきなりイ池袋の小舎へと場面が移っても、何ら不自然さを感じることはない。富岡とゆき子は、伊香保の石段から同じ憂鬱を抱えて東京へと戻ってきたのである。伊香保の最後の場面で不在であったおせいが、やがて富岡の前に姿を現すことはすでに小説上のお約束である。
 ゆき子の留守中に伊庭が訪ねて来て二日ほど泊ったことが記されている。ゆき子は富岡と別れられないと同じく、伊庭との関係もきっぱりと断ち切ることができない。伊庭の置手紙に一度郷里に戻って来いとあるが、親戚の娘と三年間も関係を続けた伊庭が親族のあいだでどのようなとぼけた顔をしているのかじっくり見てみたい気もする。ゆき子は一度も故郷静岡の実家に帰っていない。十九歳で上京し、三年間伊庭の世話になってタイピスト学校を卒業し、ダラットに派遣されて三年、敗戦後帰国したゆき子はすでに二十歳半ばである。その間、一回も帰郷しないゆき子にとって、父や母はどのような存在であったのか。「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」とは『放浪記』の有名な一節であるが、ゆき子もまた故郷を持たない放浪者であったということであろう。
 映画で伊庭杉夫を演ずる山形勲はなかなかいい味を出している。銀行に勤めていた謹厳実直な男が、陰では妻に隠れて親戚の若い娘とねんごろになっている。描かれたかぎりでは、妻は夫の浮気に気づいていないようであるから、伊庭は妻に対してもまめに対応していたのであろう。戦争中は田舎に疎開して百姓までしたというのであるから、伊庭は伊庭で敗戦で何かを喪失した男であり、彼もまた空虚な魂を抱いた放浪者の一人であることに間違いはない。伊庭はインチキ宗教を創始して金儲けに精を出しているが、彼は本物の宗教の存在自体を信じていない。彼にとってはあらゆる宗教がインチキなものとして認識されている。彼の空虚な魂は、金儲けの情熱と女に対する肉欲の発散によってかろうじて満たされているだけである。要するに、元銀行員であった伊庭も、農林省の元官吏であった富岡も、敗戦後は金儲けに走った、女好きの男ということではまったく同じ存在である。ゆき子に嘘をつかなかったという点では、富岡より伊庭の方がまだましである。二人とも卑劣漢には違いないが、卑劣度の高さにおいては富岡の方がはるかに勝っている。
 ゆき子が富岡に惚れたのは、彼の顔や体つき、そして彼の存在が醸し出す雰囲気やダンディさであった。富岡は人間的な誠実さや優しさでゆき子を引きつけたのではない。一言で言えば、まさに雄と雌の、肉体的次元での相性の良さとしか言いようのないものが、彼ら二人の腐れ縁の続行を支えている。伊庭と関係し、ジョオと関係しながら、富岡を忘れることができないのであるから、もはや理屈を越えている。まさに、彼ら二人の腐れ縁は善悪の彼岸において展開されているのである。