猫蔵の日野日出志論(連載24)

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猫蔵の日野日出志論(連載24)
日野日出志の『七色の毒蜘蛛』論(連載7)
猫蔵

 見開き13ページ。
 今までの薄暗い室内から一変して、昼の野外のシーンである。ある冬の早朝、雪の降りしきる町外れ。そこに“私”はひとり傘をさし、佇んでいる。あたりに人影は見当たらない。正確には、生きている人の人影は、である。なぜなら、ごく平生の様子で佇む“私”の足元には、肥溜めに顔を突っ込んで死んでいる、全裸の父が横たわっているから。“私”の後方には、英字によって綴られた、米兵向けのおしゃれなバーが建ち並んでいる。それら建物の上空を、三機の戦闘機のシルエットが飛行している。
 父は死んだ。肥溜めに顔面と右手を突っ込んで横たわる父は、降りしきる雪にいまにも埋もれそうである。事実、“私”がこのままなにもしなければ、父の白い体は雪に塗れ、誰にも省みられることなく忘れ去られるに違いない。
 そして父の背中からは、あの大蜘蛛の姿も消えている。のっぺりした白い背中には、蜘蛛がいたという痕跡はおろか、あの火傷の引き攣れの痕も見受けられない。そんなものは初めからなにもなかったといわれてしまえばもうそれまでの、あまりにもなにもない背中である。
 その死について、“私”はこう回述している。「その時、私はなんの感動もおぼえなかった」「私の心は、ただ」「降りしきる雪のように 冷たく、白く、どこまでも空虚だった」。
 あばら骨の浮かんだあまりにも厚みのない父の亡骸を見おろす“私”の顔に、表情はない。寝室における、父と蜘蛛の営みを覗き見たときに浮かんでいたような脂汗もない。父の死は、すでに予見されていたのである。いや、予見していたというよりは、“私”は父の背中に大蜘蛛を見たときから、父がこのような形で死んでゆくのを希求していたのである。
 終戦を迎え、時代が変わり、それと共に社会を司る倫理もまた急変した。“私”の眼差しは父に、その変化への柔軟な転身を望んでいたのであろうか。答えは言うまでもない。“私”は父に、非力ながらも変化せざるなにかを求めていたのである。その要求は、あまりにも残酷なものであった。なぜならそれは、みずからの妻を死に至らしめた米兵たちと、それに対し抗うことさえしなかった自分自身を、けっして忘れないことだからである。そしてそれを父は全うした。ただそれだけが、“私”が父に望んだことだったのである。
「時代の流れへの通せんぼ」とある人が言った。放っておけばただ流れゆくのみの時代に対し、ささやかな「通せんぼ」となることを“私”が父に託したその瞬間から、父の破滅は決定付けられていた。それを全うすること。唯一それだけが、あのとき米兵と討ち死にすることを避け、生き延びることを選んだ父に残されたたったひとつの生き方であった。それを放棄し、安易に自殺することなど許されはしない。割腹することさえ禁じられた日本男児の“大義”を全うするためには、ただひたすら苦しみ抜き、生きるしかないのである。そして今日、父は肥溜めに顔をつけ、死んだ。切腹からは程遠い、名誉なき死である。徹底的に貶められ、侮辱された結末。この絵において、冒涜者であるあの毒蜘蛛の姿はもはや必要ない。役割を終えた大蜘蛛は姿を消す。

 日野日出志の漫画を読んでいると、漫画のもつ親和性にずいぶん救われているなという感じを受けることがしばしばある。深刻な題材を、日野特有の丸っこい絵のディフォルメであったり、誇張された擬音、ときに荒唐無稽なストーリーテリングが緩和し、娯楽としての体裁を整えている。代表作『蔵六の奇病』もそうだが、シリアスな場面でもよく見ると場違いなキャラクターが紛れ込んでいたりして、「これはしょせん漫画なんだから…」という自嘲というか冷めた客観性を意識させることがある。
 ただ、このことが必ずしもマイナスにはならない。むしろ、客観性をもち出してきてはぐらかすことによって、却って事実は深刻であり、真相の全容を容易には窺い知ることのできない不気味さを醸し出している。例えば、いわゆる“怖い話”などで、「これは本当の話だよ」と言われるより、「あくまでウワサなんだけど…」と耳打ちされた方がよっぽどリアリティを感じると言えば分かり易いだろうか。(映像作品『血肉の華』はまさにこの方法を用いている)
 日野日出志の漫画には、読者がのめり込めばのめり込むほど、「バカだな。これはただの漫画なんだから」と突き放す、乾いた眼差しがある。恐怖漫画でありながら、一歩見方を変えれば滑稽なものにすら見えてくる。執着と無関心とが同居している感覚は、日野作品に触れた当初からあった。『血肉の華』の場合、後者がより顕著に感じられたことを記憶している。例えば『血肉の華』に登場する、あの鉄兜を被った殺人者の男の姿はどうだろう。海外では“キラーサムライ”と呼ばれているあの姿のどこに、シリアスな<美>の探求者の像を重ね合わせればよいのか。また本作が、日野日出志の自宅に送り付けられた正真証明の実録殺人ビデオの忠実な再現物であるという断りも、「あれは本当ですか?」と探りを入れた途端、「あれはあくまでビデオだから…」と返されてしまっては、もやもやしたものがただこちらに残されるだけである。
 日野日出志については、これまではその“執着”の部分にばかり注目がいっていたように感じる。確かに『蔵六の奇病』において、日野は『今昔物語』や『怪談』に通じる日本美の語り手としての地位を築いた。『七色の毒蜘蛛』の主人公である“私”もまた、一振りの長刀を傍らに携えていた。しかしながら、また同時に、日本というものに絶えずあの乾いた眼差しを向けている。“死狂い”へと至る大義をもちたいと望みながらも、その候補となるべき日本というものが、日野日出志の作品においては唯一絶対ではない。
『ギニーピッグ2血肉の華』のビデオに初めて触れたとき、そのあまりにも日本人離れした着想に驚いたことを覚えている。文字通り、無抵抗の女をギニーピッグ(モルモット、実験動物)のように扱い、あまつさえそれをビデオに撮って流すという価値観は衝撃で、戸惑いすら覚えた。これと比較的近い感覚をもたらされたものといえば、子供のころに児童向けの悪魔図鑑で見た、ルネサンス期の聖者を街頭で誘惑する悪魔の絵(『聖アゴティーノ(アウグスティヌス)と悪魔』Michael Pacher)に描かれた悪魔の造形(剥き出しになった尻に人の顔が張り付いている!)や、こちらは成人後に読んだものであるが、漫画『ベルセルク』(三浦建太郎)に登場する、狂ったデッサンの人面を有する奇怪な卵べヘリットのことを連鎖的にイメージする。これらのいずれも、本来あるべき人間の顔の配置を暴力的なまでに崩したデザインであり、神が意図したとされる規範的な人体像への冒涜すら思わせる。この系譜の源流を辿れば、人間と野獣とをひとつの檻に収監しその戦う様を見世物にしたという古代ギリシャの剣闘や、今なお『指輪物語』などからそのイメージを再生産される、人と動物の交配の結果産み落とされたとされる獣人の伝説などの、人間を徹底して単なる物として扱いたいという、殊にヨーロッパ圏における強い願望に突き当たる。(日本においても確かに、人と獣とが交わった結果、混血種の子どもが生まれる民話は残されているが、不思議とそれらに、西欧のように獣との異種交配を執拗にタブー視し忌諱する点は見受けられない。ちなみに「ベルセルク」とは、北欧の神話・伝承に登場する手のつけられない狂戦士のことを指し、戦闘においては獣の憑依を受けて忘我状態となり鬼神のような力を振るったという。また、このベルセルクと並び「ウルフヘジン」と呼ばれた戦士たちは、獣のなかでも特に狼の力を得て狼そのものになりきって戦ったという。これらは後に、東欧を起源とする狼男伝説に強い影響を与えたとされる)
 つまり、少なくともオリジナルビデオ『血肉の華』において日野日出志は、西洋的な価値観を誰よりも早く邦画のビデオ作品において先駆的に採り入れ、従来のいわゆる伝統的な“怪談映画”や、海外輸入のホラー、スプラッターなどとも異なるものを仕掛け、世に送り出したのである。日野日出志は明らかに、いわゆる日本的な価値に準ずる以外の価値観に敏感である。いまや日野の世界的な代表作である『ギニーピッグ2血肉の華』が、日本国内よりも海外、とくに欧米でカルト映画のアイコンとして祭り上げられ、コンスタントにマニアに熱狂的に支持されてきた原因はここにあるのかもしれない。一方、日本国内においては、件の「連続幼女殺人事件」に関わった作品として未だにタブー視されていて、それ以上の言及がなされることもなく、また視聴することすら容易ではない。作者の日野自身、みずからの漫画作品の本質が、いわゆる“日本的な美”の礼賛にのみ留まるものではないことを公言する一方で、『血肉の華』についてはあまり多くを語ろうとはしない。しかし、近年インターネット上の情報を確かめると、国内にもまた、十代という多感な時期に『ギニーピッグ』シリーズ、ことに『血肉の華』と巡り会い、それを見てしまったがゆえに、否定できない影響を受けてしまった者たちが少なからず存在する事実を窺うことができる。僕自身を含め、彼らは発言の機会を失っていた「ギニーピッグ・チルドレン」と言える。

猫蔵・プロフィール
1979年埼玉県生まれ。我孫子市並木に二歳まで住み、その後埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩