猫蔵の日野日出志論(連載25)

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猫蔵の日野日出志論(連載25)
日野日出志の『七色の毒蜘蛛』論(連載8)
猫蔵

 見開き14ページ。
 日の丸を一刀のもとに切り捨てる現在の“私”。見開き3ページ目から続いてきた回想はここで打ち切られる。そして、場面は再び現代へと移り、見開き2ページ目からの続きが描かれる。刀を握る“私”の表情は、これまでになく険しい。眉間に皺を寄せ、まるで歌舞伎の隈取りのように、顔じゅうに神経の筋を走らせている。横に真っ二つにされた日の丸が、真っ黒な闇を背に描かれている。
 4コマ目。家を出て路傍を歩く“私”の独白を引用する。「あれから、ずいぶんと時が流れ、私もおとなになった。しかし、時がたち、私が成長するにつれて、あの蜘蛛の思い出は、ますます…」
 地面に長い影を落とし、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま“私”は歩く。首には襟巻きが巻きつけてあり、下駄履きである。痩せた犬とすれ違った以外、通りに人影はなく、寒々しい感じを与える。
子供の時分に、今となっては信じられないような不思議なものを見たという経験は僕にも心当たりがある。現在が単調で平凡であればあるほど、こういった記憶は忘れ難いものとなって、自分史のなかに君臨するものだ。幸いなことにあれ以来、“私”が大蜘蛛の姿を目にすることはなかった。漫画を描いていて時折襲ってくる鋭い背中の痛みは、父の背中に巣喰って爪を立てていたあの大蜘蛛の記憶を“私”に呼び覚まさずにはいられない。ただそれも、「すわりっぱなしの仕事なので、疲れるのかもしれないが」と弁明しているように、あの蜘蛛にではなく、慢性的な疲労に原因を託している。
不可思議な蜘蛛を目にしたという記憶はけっして薄れゆくものではない。だが、それも時の経過と共に、日常の倦怠を刺激するスパイスとして、ある種の非現実感を伴い対象化されうるのである。現に“私”は<怪奇>を題材にする漫画家なのであり、「七色の毒蜘蛛」の記憶は、誰にも明かすことのできない過去の遺産であるがゆえに、“私”自身を魅了してやまないものへと昇華されているように見受けられる。
確か、90年代の初頭、僕が十二歳の頃、近所にあった場末のレンタルビデオ屋にて、はじめて『ギニーピッグ』シリーズのビデオを発見した時のことは今でも覚えている。当時はレンタルビデオ屋といっても今のように大型のチェーン店ではなく、細々とした個人経営のものが多く、品揃えも店舗によってだいぶ傾向が異なっていた。だから、掘り出し物を探して古書店の書棚を物色するような期待感が多分にあった。僕がビデオ屋通いに楽しみを見出すようになったのも、機械に詳しく、ビデオ好きだった父に連れられて行ったのが始まりだった。あの時『ギニーピッグ』シリーズは、まさに思いがけずそこに紛れ込んでいたイレギュラーなもの、本来は出回ってはいけない海賊版のような佇まいで、陳列棚の隅に並べられてあった。一見普通のビデオ屋でありながら、そのビデオテープの存在に気づき関心を払った者のみが共有し、観賞を許されるというような秘密クラブめいた臭いを嗅ぎとったのかもしれない。当然、十八歳未満貸し出し禁止だったため、僕はそれを一緒にいた父に手渡し、なんとか借りることに成功した。
『ギニーピッグ』のビデオを借り、観賞したことで、その内容自体の実験性と相俟って、僕の自意識は刺激された。この作品を見たことのある者は、学校全体を見渡してみても僕しかいないだろうという自負が、僕を舞い上がらせ、また同時に孤独に貶めた。友人たちにそれとなく自慢し、存在を仄めかしてみたところで、「ホラー映画は面白いよね」というお決まりの台詞によって話しを打ち切られてしまうだけだった。『ギニーピッグ』を僕はホラー映画だなんて思ったことは一度もなかった。そんな言葉で一括りになんかしてほしくはなかったし、いわゆるホラー映画と呼ばれるものは往々にして予定調和でむしろ嫌いだった。作り物だと初めから分かっているものに時間を割いて怖がれるほど僕は大人ではなかったし、『ギニーピッグ』と出会ったことで、その傾向に拍車が掛かった。『ギニーピッグ』が自分史における最重要の作品でありながら、これがいわゆる一般的な映像史に残されるエポックメーキングな作品ではなく、あまり流通に乗らないマイナーなビデオ作品であり、また「宮崎勤事件」に関係したということでそれ以上の追求がなされていないといった理由などから、僕は次第に、僕のなかにあった『ギニーピッグ』への感情を吐露することを躊躇い、ただ発酵させていった。ただ、これが海外、とくに欧米圏のビデオマニアの間では熱狂的に支持され、忌憚なく闊達な議論が繰り広げられていたことを知るに至っては、みずからの中に純粋ならざる躊躇いがあったことを思い知らされた。
『七色の毒蜘蛛』の主人公である“私”も、その内部で「毒蜘蛛」にまつわるやり場のない想いを募らせている。発酵するこの感情は、創作行為によってある程度は発散されているとはいえ、いずれは大きな爆発を免れ得ないだろう。なぜなら、“私”は私小説家のようにみずからの過去を追憶し、創作の糧とする。この行為は、発酵する過去のガス抜きであると同時に、忘れ去るべき過去にふたたび生命を吹き込み、繰り返しその瞬間に立ち会うことにも等しい。リピート再生される過去は次第に鮮明となり、ふたたび“私”の内奥に澱を残す。
 左ページ1コマ目。
 どうやら“私”は近所の銭湯に向かっているようだ。眼前に聳え立つ煙突の天辺から立ち昇る黒い煙が、白い空に徐々に溶け込んでいる。独白は叙述する。(あの蜘蛛の思い出は)「私の頭の中で、ふくらんで、いっそう鮮明に」「私に襲いかかってきているのだ…」。
 脱衣所の籠に服を脱ぎ入れ、体重計に乗る。浮き出たあばらとこけた頬が、体重計の針が指し示す数字をおおよそ予感させる。「おれももっといいもの食わなあかんな」「怪奇まんがは体力消もうするからなあ」。溜息をつき、共同浴場へと続くガラス戸を引き開ける。次の瞬間、「げっ」と叫び声をあげ、手に持っていた石鹸をケースごと落としてしまう。

見開き15ページ。
 男風呂の内部が描かれている。四人の男客たちが、肩を並べてカランの前に腰を下ろしている。なんと、彼らの背中すべてに、あの大蜘蛛の姿が浮かび上がっている。彼らの真後ろを、落とした石鹸が滑りぬけ、やがて突き当たりのタイルにぶつかり砕け散る。この蜘蛛たちはおそらく、あの夜、父の背中の上で産み落とされた子蜘蛛たちの、成長した姿であろうか。
 左ページ。驚きのあまり歪んだ“私”の顔。思わずよろけた“私”は、脱衣所で服を脱いでいた男のひとりとぶつかる。その背中にもまた、あの毒蜘蛛がいた。思わず、驚きの声が口を伝う。そんな“私”を、脱衣所にいた裸の男たちが一斉に振り返る。怪訝そうな顔。そして彼らの背中にもやはり、毒蜘蛛の姿があった。「ああ…これはいったい…」。頭を抱え、壁際まで後ずさる。その壁は大きな鏡張りになっていた。

 見開き16ページ。
 最後のページである。本編は、右ページまでで終わっている。大きな姿見に気づいた私は、後ろを振り返る。そしてそこに、みずからの背中の上にもまた巣喰う、大蜘蛛の姿を見る。最終コマ、カメラ目線の“私”が直接、読者に語りかけている。彼はみずからの背中を指差し、こう懇願する。「そしてそれ以来 ほらこれを見てください! こいつが この七色の毒蜘蛛が」「私のやせこけた背中に、毒の爪を立てて 毎日毎日私を いじめているのです…」。彼の左手には手鏡が握られており、読者自身へと向けられている。まるで、僕ら読者の背中の上にもまた注意を促すように。
 父の背中の上にのみ見留められた大蜘蛛の姿は、こうして至るところに顕在するようになった。少なくとも、これまでは敢えて見まいとしていたものが、もはや日本全体に露見し、蔓延していた。白昼の下、ただ流されるまま、掌を返したように、日本への大義はなんの躊躇なく踏みにじられる時代の到来である。
 日野日出志が、他ならない作者・監督でありながら、『血肉の華』についてあまり多くを語りたがらない理由。その一因に、この作品がなにより雄弁に“大義”というものをもち得ない日野自身を彷彿とさせることが関係しているのではないか。「俺は日本人でありたい」。「しかし、本当のところお前自身はその言葉すら信じていないんじゃないの?」という内なる声。
刀や鉄兜といった<美>としての日本に心惹かれる一方で、どうしても日本を無条件に愛しきることのできない無感覚が、もっとも顕著に顕れ出たのがこの作品だったのではないか。図らずも、あれを見てしまった僕にとって、たとえ作者の沈黙であってもこの作品をスルーする理由にはならない。作者の意図すら超え、僕ら日本人の知らないところで、まるで自我に目覚めた怪物のように作品は成長を遂げた。国を超え、時間を超え、作品というより“事件”とでも呼ぶに相応しいセンセーションをもって迎えられた。今度は自分の嗅覚を信じたく思う。

猫蔵・プロフィール
1979年埼玉県生まれ。我孫子市並木に二歳まで住み、その後埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩