猫蔵の日野日出志論(連載14)

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猫蔵の日野日出志(連載14)

『ギニーピッグ2血肉の華』論⑥

清水正研究室で寛ぐ日野日出志先生 撮影・清水正
 本章では、映像作品『血肉の華』に類似する作品として、映画『切腹』(1962年/日本)をとり上げる。本作は、骨太なシナリオに裏付けられた劇映画であり、設定を幕末に取材していながら、チャンバラシーンを可能な限り廃している。物語の軸は、ある武家屋敷の庭で展開し、そこから離れることはない。武家の庭先で、みずから切腹を申し出たひとりの素浪人と、武家屋敷の主との間で交わされる言葉によって、状況は展開していく。まるで法廷劇のような緊張感のある、良質な劇映画である。
 一見、『血肉の華』とは似ても似つかない映画である。しかし、この映画をとり上げたのには幾つか訳がある。
 まず、一作品として、『血肉の華』を論じるための第二のキィ・ワード「野放図の美」の共有を感じさせるからである。この部分は、順を追って詳しく見ていく。そして次に、『血肉の華』の監督である怪奇漫画家・日野日出志が、映像作家、ひいては漫画家を志すようになる契機となった映画だからである。ではまず、日野と作家の三島由紀夫との関係から見ていくのが筋だろう。
 日野日出志は、漫画家としてデビューする前後の青年時代、三島由紀夫の作品にではなく、当時、反米・反基地を標榜するその言動に惹かれていたという。若い頃の写真には、三島よろしく、髪を短く刈り込んで日本刀を構えた日野の、やや厳めしい姿も残されている。
 だが、三島由紀夫日野日出志、両者がある一本の邦画作品を通じて、ほぼ同様の意見に至っていることは奇遇だ。まずは、2004年5月、日本大学芸術学部・所沢校舎における特別講義での日野の発言について引用する。

「仲代達也主演、小林正樹監督で『切腹』という映画がある。それを観たとき、私は、作品世界や映像から醸し出されているニオイを感じた。それは本作を、あたかも劇中の寛永の時代に作られたようなものとして私に感じさせた」(テープより、著者文章整理)

 若き日の日野が、映画監督(映像作家)、ひいては劇画作家を志すようになったきっかけだという。日野自身、映画『切腹』のもつリアリティ(ここではニオイと言い表されている)に触発され、まもなく、鑑賞した映画のワンシーンや、空想した映画のイメージによって、絵コンテを描きはじめる。
では、映画『切腹』が日野日出志にニオイを感じさせた場面とは、どこであろうか。もっと言えば、この作品のなかで日野がもっともリアリティを獲得した画(え)とは、どこであったか。
 私が目星を付けたのは、私自身が映画『切腹』を鑑賞した際、映像作品『血肉の華』をはじめて観て高揚を感じたときと、もっとも近い感覚を喚起させた場面であった。奇しくもそれは、劇映画でありながら、劇中でもっとも写実に徹した箇所であった。
 物語の回想場面、準主人公である若い侍が、竹光(模造刀)によって、切腹するシーンである。 真剣ではない、模造刀による切腹は、武家社会においては通常ではタブーとされている。食い詰めた若侍ははじめからこのことを見越しており、切腹に庭先を貸すことを厭う武家屋敷が、暗黙の了解で彼に僅かな金品を差し与え、穏便の内にお引取り願うというのが、当初の算段であった。しかし目論みは外れ、若侍は割腹を迫られる。若侍は、模造刀である竹光の切っ先をみずからのへそに当てがい、刀身を地面に突き立て、その上に覆い被さることによって、それを成し遂げる。 
切腹の場面では、刀が竹光であるがゆえ、おのが身を刀身に預けることによってでしか、自害を果たすことのかなわない男の様が、克明に描かれている。それはつまり、屈辱と苦痛に耐え、みずからの身により深く模造刀を突き刺すことでしか、武士としての面目・潔さを示すことのできない状況なのである。そして、丹波哲郎演じる介錯人の言葉が若侍に浴びせられる。「まだまだ足りん。存分に掻き回されい!」。そして若侍は、これでもかと言わんばかりに、腹に突き刺さった竹光をひねり回す。
 映画『切腹』については、三島由紀夫もまた、映画に関する小文『残酷美について』(昭和三十八年八月)のなかで言及している。引用する。

「『切腹』の有名な竹光の切腹シーンは、外国の映画祭の観客にも、衝撃を与えたようである。大体リアリズムを遵奉する映画が、今までこの程度のリアルな切腹を描かなかったのはふしぎなことで、歌舞伎の様式化された切腹をそのまま映画化してごまかしていたのは、怠慢というべきである」(ワイズ出版三島由紀夫映画論集成』所収)

 三島は、映画『切腹』がリアルな切腹描写を描くことによって、映画自体が映画作家の目算や意図を超え、(現代的モラルないしは近代的ヒューマニズムに照らして)ひとつの無法の美を獲得するに至ったと指摘している。論のなかで三島はこれを、残酷から高められた残酷美と呼んでいる。
 日野と映画『切腹』との関わりについて話を戻そう。日野が口にした一言、「まるでその時代に作られた映画のようなニオイを感じた」とは、つまり、現代に生きる日野自身が、映画のなかに、<ホンモノ>を認めたことを意味する。事実としての真偽とは関わりなく、そこに確かに存在している、という共感情を、日野に呼び覚ましたのである。この言葉からは、映画というものが作者の思想の変容であるという認識を超えて、作品そのものがある種の実存を獲得してしまったかのような印象を抱かせる。
日野は、映画『切腹』から感じとったものをニオイと表現した。一方、私が映像作品『血肉の華』から感じとったものは、直接嗅覚に訴えかけるニオイでこそなかったものの、実存を獲得しているという点では同じである。もっと言えば、私は作品における、作者の意図や目算のコーティングからとり残された剥き出しの部分と、更にそれを剥き出そうとする作品の意思に、たまらなく惹き付けられたのだ。
空白の存在というこの一点において、映画『切腹』は確かに、『血肉の華』と共通していた。三島は、残酷美という言葉を用いた。ただ、残酷とは一モチーフであって、それだけで充足する結論ではない。残酷美という言葉では、どうしても意味を狭く捉えてしまう恐れがあるゆえ、新たに「野放図の美」という言葉を用いたい。
映画『切腹』を観たことが、後に『血肉の華』を手がける直接の要因となったのか否かは不明である。しかし、切腹という行為もまた、その本質の所在は自害そのものにあるというよりも、おのがハラワタを掻き分けたその奥の、潔白を開示・証明することにこそある。切り裂いた腹の奥に空白の存在が仮定されているという前提のもと、それを開示する手立てとして、切腹者には罪の清算をもたらし、見る者にはある種の清清しさをもたらす。ハラグロ(・・・・)という疑念に対する、腹のなかが潔白であることを表明するための、視覚化行為である。
映画のなかにおける残酷描写が、ただの露悪趣味に留まらず、秩序付けられ閉ざされた作品全体からの逸脱・解放をイメージさせるまでに醸成されたのは、日本という社会の風土を抜きにしては語れないと私は睨んでいる。いずれにせよ、日野がニオイと呼び、三島由紀夫が残酷美と呼んだものの本質は、映像作品『血肉の華』では“華”という言葉によって言い表されている。“華”とは、血と肉の内奥にその存在を仮定されている、空白のことである。ここで言う空白とは、肉の有機性から断絶されたものとして仮定されている訳ではない。剥き出すことへの飽くなき指向は、絶えずこの空白へと向かい、血と肉を掻き分け進んでいる。肉であって、肉でないもの。
 ここで、『血肉の華』の監督・日野日出志が、1985年の本作撮影当時に語ったコメントを参照したい。ビデオ『メイキング・オブ・ギニーピッグ』に収録された、監督・日野日出志への、撮影現場におけるインタビューの一節である。以下、“『血肉の華』のねらいについて”という質問に対する、日野のコメントを引用する。

「ものを描く場合、あるひとつのことに集中してスポットをあてて、それを徹底的に描くということがある。すると、そこからそれを超えたイマジネーションが観る側に湧き出てくる。(本作の)ねらいはそこにある。一切の理屈を廃して、なんの意味も理由もなく、ただひとりの男がひとりの女の体を解体している。そのことだけにスポットをあてる。そしてそれを観た人が、ただそれだけじゃない、そこから先のなにかをイマジネーションしてくれれば面白いんじゃないか」

 日野が手がけようとしたものとは、いわゆるホラー映画でもなければ、スプラッター映画とも違っていた。あえて『血肉の華』のコンセプトを漫画のように限定したくはなかったという、日野の言葉が気になる。私自身、初見時よりだいぶ後になってからこのコメントの存在を知ったのだが、『血肉の華』の独自性が必ずしも嗜虐性や残酷の部分にあるとは思えなかった私にとって、この言葉は力強いものであった。
 特に、コメントのなかにあった「ただそれだけじゃない、そこから先のなにか(・・・)」という言葉に心惹かれる。解体された女の血と肉のその中心に、ぽっかりと空いた空白が仮定されているのである。
 三島由紀夫いわく、映画『切腹』が海外の映画祭の観客にもっとも衝撃を与えたシーンが、前述のもっとも写実に徹した箇所であったことを思い出す。この映画最大の美は、作家の目算や意図を超えた、まさに空白地帯において獲得された。
 いわゆる劇映画と呼ばれるものたちの作為性を敬遠していたひとりの中学生が、すんなりと『血肉の華』を受け入れることのできた理由の一端もまた、本作が彼に、映画というものの奥の奥に確かに横たわっている、コーティングの剥がれ落ちた部分、空白を意識させたからに違いない。
 空白とは、野放図のことである。製作者の思惑をコッテリと塗された物語、宣伝意図を全面に打ち出したPR、俳優然とした登場人物たちの振る舞い・・空白は、それらをすべからく無化してしまった。
 映像作品『血肉の華』の独自性の一端。それは、「剥き出しの思向」と「野放図の美」であると論じてきた。まず“剥き出す”ということは、その前提として、対象が固い殻や甲羅で覆われているという状況がある。ここを出発点として、作品の意思はその奥の奥に仮定されている、空白を目指して突き進むこととなる。改めて『血肉の華』の本編へと目を向けると、これは“剥き出す”ことを前提とした装飾としか思えない、過剰に包まれたあるモノの存在が目に付いてくる。
 それこそが、本編において鉄兜を被った、殺人者の男である。顔を白いドーランのようなもので塗りたくり顔色を隠し、黒い服、ゴム手袋で完全武装した男の姿。これは、本作の意思である「剥き出しの思向」に対する、隠蔽と抵抗を思わせる。その反面、その姿は非常に特徴的で、見ようによっては滑稽ですらある。完全なる隠蔽が必要なのであれば、そもそもカメラが、当事者である男の姿を映し出す必要などまったくない。しかし、『血肉の華』のカメラの中心にいる被写体は常に、女の血と肉であると同時に、鉄兜に身を包んだ、この殺人者自身でもある。
 この対比は、改めて捉え直すと、随分奇異である。「剥き出しの思向」に殉じ、女のハラワタの奥の奥を映し出そうとする飽くなきカメラの眼差しとは対照に、それを企てる人物自身の肉体は、過剰なまでに鎧に覆われ、完全にガードされている。この男がいかなる星の下に生まれ、いかなる心象風景をもち、一体いかなる動機ゆえ、女の誘拐・殺人という行動へと至ったのか、あれこれ邪推することを、この風変わりな鉄兜は、はじめから笑い飛ばしているかのようである。
 ただし、これは単に身を隠すための鉄兜だと判断しては駄目だ。これは、存在を誇示するための鉄兜でもある。先に述べたが、解体行為のさ中も男は常に、カメラの視線を意識していた。この鉄兜はつまり、カメラの視線に向けてしつらえた物としてみて相違ない。
 つまり、やがて剥き出されることを前提に、この鉄兜には男自身の内奥が、すでに僅かながら浮き出ている。なにより男は、女の内臓を執拗にかき混ぜながらも、その実、究極にはみずからの血と肉を掻き出そうとしている。
 この人物が一体どこの誰で、白塗りの下の素顔がどんなのかが問われているのではない。映像作品『血肉の華』に、前述した「世界の原像」の断片を垣間見ようと目論んでいた私がいる。驚くべきことに、いつの間にか私は、私自身の内奥を見つめる感覚へと陥っていた。
 私は確かに、映像作品『血肉の華』における、力強き剥き出しの思向のベクトルにみずからの眼差しを重ね合わせ、本編を鑑賞していた。いわば私自身が鉄兜の男と化し、女の血と肉を切り刻んでいたのである。
 しかしながら、女の血と肉を剥き出しにしながらも、常に私の頭の片隅から離れなかったものがある。それは、白々しいまでに私の身を覆った、私自身の鉄兜だった。
 ひとりの中学生にとって、見ることとは、すなわち支配することであった。私の肉眼は、その網膜の認識の下、あらゆるものをその支配下に位置付けようと欲していた。「世界の原像」をその目で捉え、世界を支配しようと目論んでいたのだ。そんな中、映像作品『血肉の華』ほど、映し出された血と肉の奥に、<空白>の存在を意識させた作品は、他にはなかった。<空白>が存在し、それを目にすることができるかもしれないという予感は、鑑賞中、開放感とも高揚ともつかない感覚を味あわせてくれた。
 明らかに“作り物”の血と肉を切り刻む、執拗なまでの描写の連なり。血と肉の奥には、更なる血と肉が広がっていた。私の肉眼は、みずからが裏切られる瞬間を待っていた。赤い血と肉の奥に、純白の地平が切り開かれるのを、欲していた。私はみずからの肉眼を信奉しながらも、そこからの逸脱と解放を欲望していたのだ。

猫蔵・プロフィール
1979年我孫子市生まれ。埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩