偏愛的漫画家論(連載52)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー

偏愛的漫画家論(連載52)

日野日出志論Ⅱ
「『日野日出志のザ・ホラー 怪奇劇場』を観る」 (その③)

漫画評論家 荒岡保志


日野日出志先生と左近士諒先生(2010年12月10日)撮影・清水正
●「怪奇!死人少女」を読む

「怪奇!死人少女」は、1987年に秋田書店の「ホラーコミックス」シリーズから発行された約190ページの描き下ろし作品である。

この時期に、秋田書店に描き下ろされた日野漫画は多い。
それらは、1986年に「死人形の墓場」、「地獄のペンフレンド」、1988年に「死霊の数え唄」、「血みどろ舘」、1989年に「地獄のどくどく姫1」、「地獄のどくどく姫2」などであるが、正直なところ、どれを取っても一つのアイデアだけで描いた、やや乱筆となった作品群で、一時期の立風書房の「レモンコミックス」に描き下ろしした作品群と印象がだぶる。

この時期、と申し上げたが、どんな時期かというと、一つは、あの一大傑作「赤い蛇」を脱稿して間もない、年間3、4本の描き下ろし作品を中心に発表していた時期である。そして、海外でもマニアから高い評価を得たジャパニーズ・スプラッター映画「ギニーピッグ 血肉の華」を監督したのもこの時期だ。
また、もう一つは、これから訪れるホラー漫画ブームの先駆けとして、大陸書房から「ホラーハウス」が創刊され、続いて東京三世社より「HELP」、一水社より「パンドラ」が創刊、日野日出志は当たり前のように主役の座に着き、年間2〜4本の描き下ろし作品を執筆しながら、10本以上の読み切り漫画を各誌に発表していた時期でもあるのだ。

この膨大な執筆量である。乱筆になるのは必然だ。

拙作「日野日出志日野日出志へのファンレター」の中でも書いたが、日野日出志は、作品の出来、不出来の大変激しい漫画家である。その中には、本当に日野日出志が描いた作品かと疑問符をつけざるを得ないものもある。
大体にして、コマ割りが大雑把になり、ペンタッチが粗く、背景の描き込みも物足りない、作品を通して読むまでもなく、その作品の不出来ぶりが伺えるのだ。

正直なところ、この「怪奇!死人少女」も、その中の一編と分類される作品である。

ごく平凡な女子中学生「百合」に、突然の死が襲う。ただし、意識だけはそのままなのだ。心臓は停止し、脈もなく、医師も、百合の死亡を診断するのだ。
肉体的には死亡しているわけだから、いくら意識があろうと、無常にも少女の身体はどんどん腐敗していく。
百合の腐敗を止めようと、家族で千羽鶴を折ったり、百合に防腐剤を打ったりするのだが、腐敗を遅らせる事さえままならず、やがて百合の身体に虫は湧き、腐臭は絶えない。
そのまま町中で暮らす事は困難だと考えた家族は、百合を連れて山奥に引っ越し、そこで、家族に看取られながら百合は本当の死を迎えるのだ。

この「怪奇!死人少女」は、腐敗していく少女、それを見守る家族、ホラー漫画というよりは感動のドラマである。


●「怪奇!死人少女」を観る


この「日野日出志のザ・ホラー 怪奇劇場」で、漸く納得できる映像作品に出会えた。
手放しに、素晴らしい、というレベルまでは到達してしてはいないが、映像作品として充分に楽しめ、監督の美意識も充分に伝達された作品である。

「怪奇!死人少女」は、「日野日出志ザ・ホラー 怪奇劇場」の第一夜、その第三話として劇場公開された。
監督の「白石晃士」は、九州産業大学時代に自主制作「暴力人間」が「ひろしま映像展98」で企画脚本賞、撮影賞を受賞、翌年制作した「風は吹くだろう」が「ピアフィルムフェスティバル99」で準グランプリを受賞し、「石井聰互」監督の「水の中の八月」にスタッフとして参加という、映画作家として着実な経歴を持つ新鋭である。
以降、いくつかのCM、教育映画のスタッフとして参加し、2000年には、「矢口史靖」の一世を風靡した名作「ウォーターボーイズ」のメイキングを担当する。

劇場映画デビューは、2003年の「ほんとにあった!呪いのビデオTHE MOVIE」で、2004年には「若槻千夏」を主演に迎え、「呪霊THE MOVIE黒呪霊」を監督する。「怪奇!死人少女」は、白石監督の劇場公開作品としては3作目となる。

白石監督が、本当の意味でその才能を見せつけるのは、この後、2005年に、ジャパニーズ・ホラーの第一人者「一ノ瀬隆重」プロデューサーの下で制作された「ノロイ」だろう。この、実話に基づいたリアルなストーリーは、演出も匠で、日本版「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と呼ばれ、各方面で高評価を受けた。その作風は、「怪奇!死人少女」でも確実に表現されているのだ。

映画「怪奇!死人少女」の主人公は「大原百合」、普通の女子高生である。ストーリーも、いつもと変わらない日常、百合が学校へ登校する前に、ベランダに咲く植木のたんぽぽに水をあげる場面から始まるのだが、その瞬間に、百合の心臓がいきなり縮み、停止してしまう。
そして、百合を診察する医師は、百合がすでに死人であると診断するのだ。

基本的な設定は原作通りである。肉体は死亡しているわけだから、百合の身体はどんどん腐敗していく。

ここで、原作との大きな相違点は、原作が最後まで少女を看取る家族の姿を描いているのに反し、映画では、百合の腐敗臭に不快感を持つ両親が、百合を焼却しようとする、ずいぶんドライな家族観が描かれているところである。この180度違う家族観が、ストーリーの行方を変えてしまう。

家を追われる百合は、逃走中に、不気味な中年男に拉致され、そのまま見世物小屋に連れて行かれる。そこで百合は、大勢の黒い服を着た客の前で、腐敗した身体を見世物にされるのだ。

やがて見世物としての価値さえなくなった百合は、山奥に廃棄されるが、それを、百合の両親が執拗に追い、更に山奥の廃墟に追い詰める。
肉は削げ落ち、腐敗した足首は千切れるも、最後の力を振り絞って両親を返り討ちにする百合であるが、百合の肉体は崩壊の限界に達している。

「私は生きる」と決意する百合は、今にも崩れそうな肉体を引き摺り、目の前に浮かぶ枯れたたんぽぽの花に手を伸ばすのだ。

映画「怪奇!死人少女」も、やはり原作をかなり脚色しているが、その点についてはある程度の理解はできる。というのは、原作は室内劇だからだ。原作は、寝たきりで肉体の腐敗が進む死人である百合を見守る両親、そして妹の家族愛のドラマである。その家族の愛が、完全に白骨化した百合に花を咲かせるのだ。

オリジナルのエピソードを創作し、原作の骨格に肉付けすることは容易かったろうが、ここで白石監督は、テーマを家族愛から生命の賛歌に絞り込む。
百合は妹の喉笛を掻き切り、母の片目を潰して逃走する。逃走中に、怪しげな中年男に連れ去られ、見世物になる。やがて見世物としの価値さえなくなり、再び廃棄される。肉体の腐敗は酷い。両親は、更に百合を焼却しようと追い詰める。
絶望的な環境である。それでも、百合は言う、「私は、生きる」と。その、生命への執着、生きる、という希望が、百合をたんぽぽの花に変えるのだ。奇しくも、エンディングだけは帳尻が合っているのだ。

漸く納得できる、と書いたが、それはこの映画の演出力にある。

フルカラー映像で始まる女子高生の日常生活が、突然の心臓の異変により死人となり、両親にまでも追われ逃げ惑う、その全編はモノクロに切り替えているのだ。いきなり悪夢に飛び込んだ印象である。この手法の映画は少なくないが、これは名作「ヴィクター・フレミング」監督の「オズの魔法使い」のアンチ・テーゼだ。「オズの魔法使い」では、夢見る少女、「ジュディ・ガーランド」扮する「ドロシー」の変哲のない日常をモノクロ映像で、夢と冒険のファンタジー・ワールド「オズ」をフルカラー映像で表現している。
更に匠なのは、一瞬フルカラー映像に戻り、夢落ちであったかのような場面もあるのだが、この場面こそ悪夢の中で見た夢であったという脚本もなかなか見応えがある。
そして、肉体は朽ちるも、たんぽぽとして開花する百合、枯れていたモノクロ映像のたんぽぽが、百合の振り絞った生命により開花する場面で、再びフルカラー映像に戻るのだ。
たんぽぽに水をあげる日常の場面から始まるこの「怪奇!死人少女」は、野に咲くたんぽぽでエンディングを迎えるわけである。ここに、生命への賛歌がある。

もう一つは、私の個人的な趣味志向になってしまうが、この悪夢のモノクロ映像の場面の演出が、過ってのATG映画、アート・シアター・ギルドの名作映画を彷彿とさせている事も付け加えたい。「寺山修司」のような、「松本俊夫」のような、光と影で構成される耽美な世界観が、この映画にも息づいているのだ。その為に、突然登場する見世物小屋も、さほどの違和感もなくすんなりと受け入れられる。一歩間違えば滑稽になる映像であったが、間違う事なく表現できていると評価できる。

日野日出志ご本人の、「怪奇!死人少女」へのコメントを見てみよう。

女子高生の主人公が、ある日突然「死」という不条理を突きつけられる。本作品は、この冒頭の部分だけが原作と同じで、以降の物語展開は原作とは全く違う切り口になっている。絶対的な孤独である「死」と肉体の崩壊に向き合った時、主人公の女の子の目には何が映ったのか?女の子の心は何を感じたのか?モノクロの寒々しい映像が、その心の深い闇を表現している。救いようのない状況の中、女の子の肉体は完全に崩壊するが、最後に小さな奇跡が起きる。このラストシーンは印象的である。

白石監督は、この後、2005年に高評価を受けた「ノロイ」、2007年の「口裂け女」は、口裂け女役を特殊メイクで演じた「水野美紀」が話題になり、再び高評価を得る。2009年には「グロテスク」、「オカルト」、「テケテケ」を監督し、現在は日本ホラー界を担う中堅監督となっている。まだ荒削りとはいえ、劇場公開作品3作目の「怪奇!少女地獄」を観れば、白石監督の才能の片鱗が伺えるというものだ。