猫蔵の日野日出志論(連載22)

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猫蔵の日野日出志論(連載22)
日野日出志の『七色の毒蜘蛛』論(連載5)
猫蔵


 見開き8ページ。1コマ目には、復員列車に乗りきれず車両の上にまで溢れかえっている国民服の人たちが描かれている。2コマ目、多くの人たちに混じり、地下道で雑魚寝する父と“私”の姿を確認できる。戦後しばらくの間、ふたりは定まった住居もなく、父による日雇いの仕事でその日の糧をまかなっていた。同じような境遇の人たちも多かったようで、日雇いの仕事を待つ行列には、幼い子供をおぶった女性の姿も見受けられる。
顔じゅうに汗を滲ませ、スコップを手に肉体労働に従事する父。そんな父の姿を、“私”は膝を抱え、一日じゅうボンヤリと眺めている。
一方左ページは、右ページとは対照的に、夜の父の姿が描かれている。父は毎晩のように酒を飲んでは、街ゆく鬼(米兵)どもに喧嘩を売っていた。1コマ目、繁華街のネオン煌く路上にて。日本人の女を引き連れた白人兵ふたりに、父は背後からなにか声をかけている。その右手は握り拳を固め、言葉は通じずとも相手に敵意を伝えるのには充分である。幼い“私”は父の背後に半分身を隠し、垂れ下がった父の左手にその小さな指を絡ませている。喧嘩を売られた米兵たちは鋭い目で父を睨みつけている。その米兵に肩を抱かれている女は、男の厚い胸板に掌を添え、派手なマスカラと濃い口紅、厚化粧のためかよくその表情を読みとることはできない。怒りを露わにしている米兵よりもむしろ、表情を読みとることのできない分、却って得体の知れない不気味ささえ感じさせずにはいられない。
道行く米兵たちに喧嘩を売る父ではあったが、彼らの毛むくじゃらの熊のような拳骨に適うはずもない。4コマ目、口許に余裕の笑みさえ浮かべて立ち去る米兵たちの傍らで、返り討ちにされた父が地面に横たわっている。その眼鏡にはひびが入り、服は引き裂かれ背中が剥き出しになっている。米兵の脇に手を巻きつけた連れの女が、さも怪訝そうに眉を寄せ、父を一瞥している。
5コマ目。顔面を蒼白にし冷や汗をびっしょりかいた“私”の周囲、ネオンに照らされた通りには人だかりができ、勝つ見込みのない喧嘩を売って返り討ちにされた男の姿を遠巻きに見下ろしている。見物人たちの姿はみな一様に黒いシルエットとして描かれていて、各人の表情を読みとることはできない。ただ、そのうちのひとりは眼鏡が光を受けて反射しており、顔面に四角いレンズだけが浮かび上がっている。あまりにも湿度の伴わない乾いた眼差しである。
肉眼と、見るべき対象との間に異物(レンズ)が介在することによって、否が応にも対象への眼差しは客観性を帯びたものへとならざるを得なくなる。ここ5コマ目に描かれた眼鏡をかけた人物のシルエット。これは、方や顔面を蒼白にし、冷や汗を浮かべた“私”の、もうひとつの自己の投影であると解釈すると得心がいく。ここに描き出されたコマ絵たちが、語り手である“私”自身の記憶の具象であるとするならば、描かれたすべてのものは“私”による視線の照り返しである。本人が意識する・しないとに関わらず、“私”の視線に絡めとられなかったものは描かれることはなく、反対に絡めとられたものは、たとえそれが実証的にはそこにはなかったとしても、“見えるもの”として描かれる。
こう解釈すると、“私”の内面世界は二重に分裂していたことになる。喧嘩に敗れ横たわる父の姿を心配そうに見つめる“私”と、その数歩背後からそんな“私”自身をも眼鏡越しに乾いた眼差しで見つめているもうひとりの“私”。この第二の“私”の視線は、地面に横たわる父にではなく、冷や汗を滲ませ驚愕の表情を浮かべる“私”へと向けられているように解釈できる。論の冒頭にて、漫画家である“私”は常にみずからの描くものに意図的なのかもしれないと述べた。それはつまり、彼自身が不断にある別の誰かからの視線を意識せざるを得ない状況にあると言い換えてもよい。その視線は、例えば“死神”や“裁きの神”といった、超自然的な外部のものへと拠り所を求めることもできようが、自己を余すところなく観察し、吟味・断罪しうるのは自己をおいて他にはありえず、“もうひとりの自分”からのものと言うのが適当である。つまり、“私”の深層意識は、一方的に喧嘩を売りながらも米兵に手も足も出ず打ちのめされた父を、あまりにも冷静な眼差しで見下ろしていたことになる。5コマ目、人だかりの前で冷や汗を垂らし心配そうに父を覗き込むその表情は、あるいは、不器用ながらも親思いの子供を必死に演じようとする焦りがもたらしたものだったのかもしれない。
“私”は心のどこかで、もはやとり返しのつかない失態を今更ながら贖おうと足掻く父の姿を、至極当り前のものとして受け止めていたのである。とり返しのつかない失態とは、母が米兵たちに蹂躙された際、必死になって抵抗しなかったことである。それが証拠に、米兵に喧嘩を売って打ちのめされた父の姿は目も当てられぬほど痛ましいものであるが、一方母が襲われたとき、膝をつき地面に伏す父の姿には、打ちひしがれる様子こそあれ、肉体的な損傷はどこにも見当たらない。どうやらこのとき、父は身を挺してまで米兵たちに“喧嘩を売る”ことはしなかった(できなかった)ようである。みずからの身体に傷跡ひとつ付けることなく、父は“喧嘩”に敗れていたのだ。あるいはあの時、肉体的には適わないまでも、もっと必死になって米兵たちに殴りかかっていたなら、米兵たちの興をそぎ、母を救えていたかも知れぬ。今頃になって、一見無意味で勝てる見込みすらない喧嘩へと父を駆り立てるものは、あのとき戦わずして大切なものを明け渡してしまった自分と、死なせてしまった妻への贖罪であろうか。いずれにせよ、もう遅過ぎたのである。人垣のなかに紛れ込んだもうひとりの“私”は、けっして達成されることのない父の贖罪を、眼鏡のレンズ越しにじっと見つめている。
 父もまたこれとまったく同じ形の眼鏡をかけていることを忘れてはならない。けっして成就されることがないにも関わらず、それをやる以外他にどうしようもない贖罪行為へと急き立て、同時に監視・断罪しているのは、“もうひとりの父”自身である。白人兵の拳骨に眼鏡を割られ、地に横たわる父ではあるが、もうひとりの自分の、けっして割られることのない眼鏡越しの視線を不断に意識せざるを得ないというのは、殴られた傷の痛みとは比較にならぬほど癒し難い痛みであろう。日本人女性を引き連れた米兵に父が突っかかっていったのも、あのとき守りきれなかった母の姿を、彼女たちに投影したからだ。終戦当時、彼女たちがいかなる想いで占領軍の兵士たちと付き合っていたのかは一言ではけっして言い表せないだろう。しかしながら父は、あまりにも健気だと笑われようとも、彼女たちの姿に望まぬ境遇を強いられる日本女性の像を重ね合わせたのだ。だから、完膚なきまでに父を打ちのめした米兵に寄添い、倒れた父に怪訝な一瞥を投げかける女の姿に対し、言いようのない寂寥感を覚えるのかもしれない。彼女たちだって生きることに必死だったということは分かっていても、父の投影している亡き妻のものとはあまりにもかけ離れたその反応に、もはやすべてはとり返しのつかないものとなってしまった事実を改めて認識せざるを得なくなる。
 6コマ目。口と鼻の穴から血を垂らし、割れた眼鏡をかけたままうつ伏せに横たわる父。服の背中が大きく破れ、地肌が剥き出しになっている。まさにその上に、八本の足を起立させ、大蜘蛛が立っている。今にも動き出さんばかりである。街で米兵に殴られ、地面に伏しているとき、いつも父の背中ではこの大蜘蛛が不気味な踊りを踊っていたという。毒々しい街のネオンを受けてはいたが、蜘蛛それ自体の色については言及されていない。これまでの出現においては、その腹を父の背中に押付け伏していた大蜘蛛ではあるが、今回は細長い足を起立させ、はじめて躍動感ある形をとっている。血を吐いて倒れる父の背中はそれほど居心地が良いのだろうか。鋭い爪先を父の背中の肉に喰い込ませ、大蜘蛛は踊る。
 米兵の拳に打たれ無残に横たわる父に、“私”は日本そのものの姿を見出しているように見える。本作の冒頭にて、漫画家である“私”がその傍らから離さず常に目に入る場所に据え置いていたものこそ、一振りの長刀であった。生活の糧を得るための戦場ともいえる仕事場にて、据え置かれたこの刀は間違いなく、“私”にとっての精神的な支柱である。 
やや余談になるが、作者・日野日出志もまた、漫画家としてデビューを切って間もない頃、みずからの作品の世界観と方向性を自分自身に言い聞かせ確固たるものへと昇華させるため、いつも目の届く所に「怪奇」「叙情」という文字を書いて貼っていたという。その話しを耳にし、「言霊の世界というのは本来こういうものを言うんだろうな」と実感したのを記憶している。<怪奇と叙情>が日野日出志にとって常にみずからの方向性を指し示す羅針盤だったように、“私”にとって一振りの刀もまた、常に立ち戻るべき自己の原点とも呼べるものの具象だったに相違ない。
刀とはつまり、武士道である。みずからが信奉する大義のためならば、けっして死すらも厭わない、いや、二十四時間三百六十五日、そのためにいかに華々しく殉じるかということが唯一、問われていることであると言っても過言ではない。ならば、“私”がまず真っ先に刀の鞘を抜き、切りつけたものこそが、みずからの筆によって描かれた日の丸であったことを思い出すべきだ。“私”が尽忠を望み、そのために殉じたいと絶えず願っているものこそ、他ならない日本であった。一方、子供時代の“私”がもっとも視線を注いでいたものこそ、父の背中であった。この父の背中がやがて、刀へと受け継がれてゆく。米兵に打ちのめされた父の背中に、少年である“私”はダンスを踊る蜘蛛の姿を見る。本来これは、見えるはずのないもの、見えてはいけないものだ。打ちひしがれる父を踏み付け、茶化し、蹂躙するように踊る、大義に背く冒涜者の姿である。こんなものさえ見えなければ、少年である“私”はどれほど幸せだったか知れない。だが、悲しむべきことに彼の目にはしっかりと、踊る大蜘蛛の姿が見えている。紛うことなく、自分だけには見えてしまうのである。あるいはもうひとり、父にも同じものが見えていたのかもしれないと“私”が薄々予感していたことが読みとれる。ここに、父と“私”との間に、一種の共犯意識に伴う連帯感が成立していたと捉えても不思議はない。本来は厭うべき日本への不忠の眼差しが、父と“私”の間だけのタブーとして共有されることにより、却ってそこに屈折した価値を見出し得る。自分だけに見える秘め隠された恥部は、その醜さゆえにいっそう親しみが募るように、これが見えることがすなわち、すぐさま大義を放棄する根拠とはならない。 
猫蔵・プロフィール
1979年埼玉県生まれ。我孫子市並木に二歳まで住み、その後埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩