荒岡保志の偏愛的漫画家論(番外編)日野日出志試論

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー


日野日出志研究」刊行パーティ。2010.12.27
偏愛的漫画家論(番外編)
日野日出志試論
日野日出志先生について考える2、3の出来事、2011年」(前編)

漫画評論家 荒岡保志

●2010年12月27日、「日野日出志研究」出版記念パーティに出席する

2010年12月25日、「日本大学芸術学部文芸学科研究室」により、漫画家日野日出志の研究雑誌「日野日出誌研究」が発行された。日本大学芸術学部の学生、「雑誌研究」、「マンガ論」の受講者の夏期課題で提出された夥しいレポートの中から、日野日出志先生ご本人、そして編集発行人である清水正教授により「日野日出志賞」を選定して発表、また、選に漏れるも力作の論文を掲載した研究雑誌である。
それと同時に、編集発行人である清水正教授は勿論、日本近代文学研究家の山下聖美先生、文芸評論家の山崎行太郎先生、デザイナーの森嶋則子先生、漫画家の左近士諒先生、日野日出志研究家の猫蔵さんなど、日野日出志先生に縁のある作家陣も寄稿しているが、斯く言う私も、漫画評論家として原稿用紙にして約70枚を寄稿している。有り難くも、「日野日出志研究」発行日の翌々日に催される、出版記念パーティに出席する権利を得た訳である。

日野日出志研究」の出版記念パーティの出席者は、この研究誌に携わった者だけに限定され、江古田の居酒屋で催された。

出席者は、まずは主役の日野日出志先生、「日野日出志賞」の選定のみならず、代表作である「蔵六の奇病」、「赤い花」を再録して頂き、貴重なご自身の写真付き年譜を編集して頂いている。
漫画よりご本人の方が面白い(失礼)と評判の左近士諒先生、扉絵で日野日出志先生の肖像画を描かれている。凛々しく、厳しい目をした日野日出志先生の横顔が印象的な肖像画に仕上がっている。

森嶋則子先生、あの原孝夫先生の愛弟子であり、原先生亡き後、原孝夫オフィスを牽引し、その膨大なワークを継承するトップ・デザイナーである。勿論、「日野日出志研究」の装丁は森嶋先生に依る物である。原先生のデザインの特徴の一つは、上手く暈した影の使い方で、被写体を浮き上がらせる手法であったが、森嶋先生も、その辺りはしっかりと踏襲されている。
山崎行太郎先生。もうこのブログではお馴染みの文芸評論家で、現在日本大学芸術学部で講師を兼務している。
山下聖美先生、日本近代文学研究家、宮沢賢治研究家にして、日本大学芸術学部専任講師である。2006年に三修社から出版された「ニチゲー力」も山下先生の著書である。その出版記念パーティは、確か池袋のホテルで大々的に催され、私も出席させて頂いた事を覚えている。
音楽学専攻の芸術学博士にして、恵泉女学園大学桜美林学園大学で講師を勤める小澤由佳先生、日本大学芸術学部大学院で寺山修司を研究する五十嵐綾野さん、同じく大学院で林扶美子を研究する藤野智士くん。
そして、日野日出志研究家で、2007年にD文学研究会より「日野日出志体験」を出版している猫蔵さん、日野日出志ファンにして漫画評論家の私、最後に、この「日野日出志研究」の編集発行人であり、ドストエフスキー宮沢賢治研究家として世界的権威で文芸批評家、日本大学芸術学部で教鞭を執る清水正教授の、11名である。

詳しくは、このブログ、2010年12月27日をご覧頂ければ、その雰囲気、熱気が、数多い写真によっても伝達されるかと思う。夕方6時から開始された出版記念パーティ、その酒宴は、清水教授の司会の下、9時過ぎまで続けられたが、あっと言う間の3時間であった。

実は、私自身、日野日出志先生と正式にご対面するのは今回が初めてなのだ。過去には、同じ教室内で、同席した事がある程度だったのだ。「日野日出志研究」にも掲載された、拙作の「日野日出志論・ホラー漫画家は終末地獄編の夢を見るか?」に書いた通り、私は30年、否、もう40年来の日野日出志先生のファンである。自負する訳ではないが、40年間ファンであり続けると言うのは結構なエネルギーだ。そして、その長きに渡って思いを寄せていた漫画家が、今、目の前に居る。思ったより緊張しなかったのは、普段、このブログで良くお見かけしていた事、それと、日野日出志先生の気さくなお人柄の為であろう。

出版記念パーティで話は弾み、元々私は宴会席の一番端に席を取ったのだが、いつの間にか一つずれ、二つずれ、最後には日野日出志先生の隣席に座り、熱弁を奮っていたと記憶する。
ヘビースモーカーの私は、日野日出志先生の横で煙草の煙を充満させていた事になる。
また、酒も進むに連れ、日野日出志先生との会話もだんだんタメ口となり、清水教授に叱咤を受ける場面もあったが、大変楽しい時間を過ごさせて頂いた。

快く私の話にお付き合い頂いた日野日出志先生、この機会を与えて下さった清水正教授、ありがとうございました。この場を借りて、御礼申し上げます。


●2011年1月11日、「魔鬼子」を読む

私の在住する千葉県我孫子市に隣接する柏市、JR常磐線柏駅西口から、高島屋沿いに国道6号方面歩く事3、4分、帝国ホテル系のシティホテル「ザ・クレストホテル柏」を過ぎて右折すると、すぐ左手に「太平書林」と言う昔気質の古本屋がある。このブログにも何度か登場した古本屋であるが、寂しい事に、今となっては、この「古本屋」と言うカテゴリー自体が希少となってしまった。今では、何と表現しようか、リサイクルブックとでも言うのか、「ブックオフ」などに代表される、その書籍の持つ本来的な力など無関係な大型店ばかりが幅を効かせている今日この頃である。ビブリオマニア、愛書家でもある私は、書籍は読めれば良いとは思わない。その作品は勿論、製本、装丁を含んだ一つの芸術作品であって然るべきだ。そう言う意味では、電子書籍などとんでもない事だ、と私は思う。
「太平書林」は、そう考える私が満足出来る古本屋である。やや狭いので、蔵書量は満足出来るものではないが、それは仕方がない、これ以上の大きさで、これ以上の蔵書量を持ったら合わないだろう、今では、私のような客が少数派なのだから。

もう正月気分もすっかり抜けた1月11日の夕方、いつも通りぶらりと「太平書林」を覗く。今日の店番は、「つげ義春」、「山松ゆうきち」をこよなく愛する当店のご主人である。ご主人は、これから店頭に並べる漫画本は、新刊の人気作品はなるべく取らずに、昭和時代に発行された古い漫画本を中心にするとおっしゃっていた。その品揃えは私の欲するところである、これからも期待出来そうだ。
店内を少し物色すると、希少本のコーナーに、何と日野日出志先生の「魔鬼子」がある。
前述した通り、40年間ファンを続けている私は、ほとんどの日野漫画本を所有している。前述した、「日野日出志研究」の装丁に使用された日野漫画本の集合写真は、私の蔵書を清水正教授が撮影した物だ。その数にして70冊以上。海外で発行された翻訳本、また限定100部の豆本、私家版などを除外すれば、8割以上所有しているだろうと自負しているが、それでも入手出来ていないものもある。それと言うのも、一度は購入したが、度重なる転居で紛失した物も多く、現在私が所有している日野漫画本の殆どは、ここ10年ぐらいで買い直した物だからだ。

そして、1988年7月に、「東京三世社」から発行された「魔鬼子」は、未だ所有していない日野漫画本の一冊であったのだ。しかも、付いている値札は1000円。これは激安だ。カルトな人気が衰える事のない日野漫画本は、古書市場で価格が高騰している。古書の価格と言うのは結構微妙で、その出版物の基本的な価値価格と言う物は明らかに存在するが、このクラスになると、その古書の状態が結構物を言う。一般的に「初版本」に付加価値を付ける事はご周知の通りであるが、例えば、帯一つで5000円も違ったりする物もある。初期の「ひばり書房」から発行された単行本などがそれである。尤も、初期の「ひばり書房」の単行本で、帯付き美品となると、斯く言う私も過去一度しかお目に掛かった事がないぐらい希少ではあるが。

「魔鬼子」は、1987年、空前のホラー漫画ブームの到来により、そのブームの主役に任命された日野日出志先生が、年間30作を超える作品を発表していた大変な流行漫画家であった頃の作品である。初出は、同じく「東京三世社」の、ホラー漫画専門誌「ホラーオカルト競作大全集」、そのvol.4からvol.8まで連載された4話、そして最終話だけは同社が発行する「HELP」vol.2(「HELP」とは、「ホラーオカルト大全集」のリニューアル誌である)に発表している。

この時期の日野漫画は、その膨大な発表作品数も祟り、全体的にかなり乱筆となっている。正直、「蔵六の奇病」、「地獄変」、「赤い蛇」などの濃密な日野漫画に比べると、見劣りすると言わざるを得ないが、どの作品を取っても、どんなに強い消臭剤を撒いても絶対に消す事が出来ない日野漫画の独特の香りが匂い立つ。

「魔鬼子」は、普段は人間の女の子の姿をしているが、その正体悪魔で、しかも悪魔の中でも最も醜い女だと自称する。確かに、その潰れた左目、豚のように上を向いた低い鼻、だらしない口に疎らに生える牙、髪は蛇、百足、蚯蚓、これ以上描けないぐらい、その姿は醜い。

そんな魔鬼子も、一応は女の子である、やはり美しくなりたいと言う願望はあるらしい。魔鬼子を美しくする事は簡単である、人間の魂を地獄に落とせば良い。そうする事に依って、魔鬼子は美しい悪魔に変貌を遂げるのだ。

魔鬼子は、その魔力で、多くの人間を陥れる。清純派のアイドル歌手、女子医大生、製作工場の一人娘、病弱の母を看る雪国の女の子、進学を控える女子高校生などを、魔力で催眠を掛けて誘導、自らの命を絶つように仕向けるのだ。

ところが、この魔鬼子、その醜い姿とは裏腹に、内面は大変優しい女の子であるのだ。口では、「いよいよあの女の魂をむさぼり食えるぞ!!」と悪魔らしい台詞で女の子を死の淵に追い遣るも、その陥れた女の子が、いよいよ追い詰められた瞬間に家族に思いを馳せらせると、何と魔鬼子は、彼女を殺すのを諦め、魔力を解いてしまうのだ。意外と情に弱いのである。その一部始終を闇の中から見守る地獄の大魔王は、「ばか者め!なぜだ!?おまえは美しくなりたくないのか・・・!?」と、毎回罵声を浴びせる。そして、魔鬼子は、回が進むに連れ、醜さを増して来るのだ。

考え方に依っては、否、この作品はホラーと言うより、寧ろコメディと言っても過言ではない。「石ノ森章太郎」の「ロボコン」、その日野漫画版と言う印象だ。
良い成績を取ってご褒美に美貌を頂ける魔鬼子が、本来的な魔力を見せ付け、滞りなく任務は遂行されるも、その優しさが災いし、最後の詰めが出来ずに大魔王の叱責を受ける、と言う形式のストーリーである。これ自体は、結構面白いと思う。ホラーとコメディの中間路線で、この絵柄にしてこのストーリー、1話1話の中身の充実を図れば、深夜放送枠でアニメ化が実現可能なぐらいのストーリーではないか。

最後の最後まで人間の魂を地獄に落とす事が出来ない魔鬼子が、「いつかは必ず人間の魂を地獄に落として、この醜さから開放されて悪魔界一の美しい女になってみせる・・・!!」と言う後姿でこのストーリーは完結するのだが、この最終回は予定されていた物だったのだろうか。まだまだ第6話も、第7話も続きそうな最終話、第5話である。
と言うのも、私は、魔鬼子が美しく変貌する最終話を期待していたからである。地獄の大魔王より、もっと大きな何かの力が、魔鬼子の優しさに打たれ、魔鬼子が蝶のように蛹を割って、その美しい身体を披露する最終話が見たかったのだ。この最終話では、日野漫画としてはロマンティック過ぎるか(笑)。

そして、試論、即ちエッセイと銘打った本文であるが、一つだけ評論めいた事を言わせて頂くと、この魔鬼子には家族の背景がない。美しさに拘るのも、その孤独さからと考えて良い。魔鬼子が、魂を奪う事を躊躇するのは、必ず家族絡みである。貧乏な家族の為に、歌手として成功しようとするアイドル、弟の難病を治そうと医師を目指す女子医大生、製作工場を経営する父に詫びる一人娘、出稼ぎに出ている父と弟を思う雪国の女の子、共稼ぎの両親を気遣う女子高校生など、魔鬼子は、その家族の繋がりを、自分の魔力で引き裂く事がどうしても出来ないのだ。この辺りに、家族の繋がりに拘り続ける日野漫画の本質が垣間見える。「地獄編」、「赤い蛇」で、死しても尚断ち切れなかった家族、血縁関係である、魔鬼子の、美しくなる、と言う発想だけでは歯が立たないのは必然なのだ。

最後になるが、この「東京三世社」の「魔鬼子」には、巻末に日野日出志先生のプロフィール、インタビュー、仕事部屋のレイアウトなど、私でさえ初めて拝見する貴重な資料が収録されている。プロフィールでは、職歴に「サンドイッチマン」、「熱帯魚屋の店員」(名作「水の中」の発想はここに起点しているか)、趣味に「サボテン栽培」とか、初めて知るデータが惜しげもなく書かれている。面白いと思ったのは、自選失敗作と言う欄に、「ほとんどが失敗作」と、多分、乱筆になっている自分を戒めているのだろうと思われる言葉、そして、今後の目標と言う欄では、「死ぬまで漫画を描きたい(と思っているけど、さて・・・)」と書いている事である。さて・・・。
(後編へ続く)

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。