小林リズムの紙のむだづかい(連載66)

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紙のむだづかい(連載66)

小林リズム

【パパと娘と裸体女性】

 家族で一緒に見ていたドラマでラブシーンが流れてきたりすると、それはそれは気まずい空気が流れる。まず、どういった顔で見ればいいのかがひとつ。それから、どういうリアクションをとればいいのかに悩む。参考までに私の両親や弟を観察してみると、ちょっとした傾向がわかった。
 うちの場合はテレビに突っ込んだりせず、基本的にはみんな無言で画面を眺める。弟はそれとなく自然に自分の部屋に戻ることもあったし、父はご飯を食べているふりをするとか目を逸らしたりもしていたのだけど、母だけはいつも凝視していた気がする。うん、お母さんはいつお真剣な眼差しを画面に向けていたわ…。私はというと、無理やり別の話題を提供しようと脳内をかけめぐっている。
 
 この手の問題が全国の食卓で今日も繰り広げられていて、そのたびに醸し出される変な空気を想像するとなんだか笑えてくる。薄毛の人にハゲって言っちゃいけないような、前歯に海苔がついている人からあえて目を逸らすような、わかっていても触れにくいものって滑稽で優しくて可愛い。

 とは言っても、父と娘が知らない女性の裸体を一緒に眺めるなんていう機会は、なかなかないと思う。

 大学2年生の冬に、父とふたりでニューヨークへ行った。英語が話せない親子の、方向音痴な親子の、悲惨な旅だった。空港からホテルまでの行き方がわからず国際電話をかけて母に聞こうとしたり、どんなに歩いても目的地にたどり着かず、喧嘩して私だけタクシーでホテルまで帰ったり、総じてお父さんは頼りなかった。英語で話しかけても通じない父の情けない姿を見ているのは、娘としてはいたたまれない。かく言う私も英語が話せず、ひたすらなボディーランゲージで訴える姿も、父にとってはいたたまれなかったことだろう。ふたりして迷いながら、やっと着いたニューヨーク近代美術館は、わけがわからなくてそれはそれは素晴らしかった。
 向き合って繰り返しビンタし合っている人の映像だとか、どこにでもあるような枯れた草花が箱に入っているものだとか、壁に貼られた糸だとか、そんなものたちが「芸術」として置かれていることが楽しくて、私はこの美術館が一気に好きになった。もともと芸術がわからないので、時代背景だとか意味だとかをめっぽう無視して、面白さ重視なのだ。父も私も「見てみて!これが芸術だってよ!」「これもだよ、これも芸術なのか!」などと興奮しながら見て回った。上の階にあがるにつれて、わけのわからない芸術度はアップして、そのたびに私たち親子もヒートアップした。そして、最上階にそれはあった。

 巨大なスクリーンを背景にして、椅子が吊り上げられている。その吊り上げられた椅子にまっすぐ前を向いて座っているブロンドヘアの女性。彼女が、まさかの裸だったのだ。裸全身にまぶしいまでの照明が当てられている生きる芸術作品を前に、年頃の私と、そんな娘を持つ父は、絶句した。他のお客さんたちも茫然と眺めている感じだった。私は、自分の父がどんな顔で外人女性の裸体を眺めているかなんて知りたくもないし、早くこの場から立ち去りたいと思った…のは一瞬で、気まずさに笑いがこみあげてきた。つくづく芸術ってわからない。

 日本に帰国してからあの美術館で裸体女性に触れた人がいたらしく「あれはアートだから触れないで」というようなことが書かれた記事をみて思った。そうか、ドラマでのラブシーンもひとつのアートとして解釈すれば、そんなに気まずく感じないのかもしれない。カツラも前歯についた海苔も、生きた芸術だと言い張れば、通用するのかもしれない。