猫蔵の日野日出志論(連載23)

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猫蔵の日野日出志論(連載23)
日野日出志の『七色の毒蜘蛛』論(連載6)
猫蔵

見開き9ページ。
1、2コマ目、コマ割を突き破り、“キーン”という文字が大きく強調されている。朝鮮戦争に動員され、日本にある基地から飛び立つ米軍の戦闘機の群れ。その群れがいななく音である。畳敷きの部屋のなか、開け放たれた窓際の柱に身を潜め、幼い“私”は恐恐といった面持ちで、空行く戦闘機を見上げている。皮肉なことに、お隣り朝鮮で始まった動乱のせいで日本の景気も上向きになり、“私”たちもようやく浮浪者のような生活から脱し、畳の上で暮らすことができるようになっていた。父が米軍の基地で働くようになったためだ。
戦時中の焼け野原がまるで嘘だったように、(おそらくは二階にあるであろう)開け放たれた窓から見える町の景色は一変している。ぎっしりと詰まった建物の間には“BAR”などと英語で書かれた派手な看板が並んでいる。少し前までは、あれほど非日常的な光景を垣間見せた米軍の飛行機が、ここにおいては“私”たちに日常の充足をもたらすものへと一変している。少年の表情に、B29の爆撃を見ていたときのような得体の知れない喜悦の表情は浮かんではこない。ただ、それよりももっと不可解な日本の変貌に、ぱっくりと丸い口を開け、不思議そうに見入るだけである。
左ページ、畳の上に一升瓶が転がっている。父が空けた酒瓶である。“私”たちの暮らし向きはだいぶ良くなったものの、父は以前にも増して酒を浴びるようになっていた。丸いちゃぶ台の脇であぐらをかき、“ぐびっ”とコップから酒を呷っている。着ているものは基地における作業着だろうか。自分から妻を奪った米兵たちからの分け前によって生計を立て、卑しくも人並みの暮らしを営んでいる自分がいる。父がますます酒を浴びるようになったのも、そんな不条理から目を背けるためだったのではないか。空っぽの一升瓶という、あまりにも無為なものに、汗水垂らして稼いだ金をつぎ込んでしまうその姿からは、せめて無為なものに金を浪費することによって、米軍からの恩恵を最小限に食い止めようとする、痛ましくも哀れな抵抗を感じとれる。
3コマ目。ますます酒を浴びるようになった父は、毎晩のように汚らしいゲロを吐いていた。大量のゲロが畳の上に吐き出されている。そんな父の様子を、横開きのガラス戸の脇から“私”が覗いている。“私”の半身はガラス戸の裏にあり、黒いシルエットになっている。4コマ目、滝のように吐き出されたゲロ。その中に、未消化の米つぶやスルメの足に混じって、「原色に色どられたピカピカと光る無数の子蜘蛛」を確認できる。蜘蛛はすでに、父の体内にまで巣くっているらしい。
父のゲロを目にした“私”もまた“うう”と口許を押さえ、次の瞬間、“げえっ”と嘔吐している。ピカピカと光る子蜘蛛は、今や米軍に宿った寄生虫のようになって日々の糧を得ている日本を揶揄しているのだろうか。米兵に打ち倒された父の背中で不気味に踊っていた大蜘蛛といい、この蜘蛛たちは主人公である“私”の日本への忠義を徹底して嘲り、茶化しているように見える。まるで、日本というものへの愛情の対義語が、<憎しみ>などではなく、<冷淡>や<失望>であることを告発しているようである。(同じ執着という意味においては、<憎しみ>もまた愛情と同類だからである)

見開き10ページ。
やがて父は、“私”に暴力さえ振るうようになる。投げつけられた茶碗がガラス戸に当たり、粉々に砕け散る。父の手によって“私”の衣類は脆くむしり取られ、“私”は一方的に嬲られることになる。しかし“私”は、父を憎いと思ったことはなかったという。4コマ目、大きく口を開け“私”を折檻する父の顔が大写しで描かれている。いわゆる“テンパった”顔、追い詰められ逆上した者の顔である。
ただ、我を失い逆上する父とは対照的に、“私”の語る独白の言葉はどこか達観していて、相変わらず冷めたものである。「私は、父があの蜘蛛のために頭がおかしくなっているのだと思っていた」「だから、私はむしろそんな父があわれだったのだ」。
6コマ目、丸裸にさせられた“私”が畳の上にうつ伏せで寝そべっている。その肢体には得体の知れない絞り縄が巻き付いており、ほつれたもみ上げを頬に張りつけた“私”は、なんの表情も浮かんでいない真ん丸い目で畳の一点をじっと凝視している。部屋には剥ぎ取られた衣類の他に、竹竿や革製のベルトが散らばっていて、父による折檻がインモラルなものであったことを想像させる。
父が“私”をここまで痛めつける理由の一端が、父に対する“私”の奇妙なまでの従順と許容、そして物言わぬこの眼差しにあったことは明らかだ。沈黙を帯びた許容の眼差しは、見られる者にとって、針で身を刺すような痛みにも等しい。母が米兵たちに襲われているとき、父は恐怖を感じていたのかもしれない。果たしてそれは、この災難がただ早く過ぎ去ってくれることをひたすら祈るだけの、打算に満ちたものであった。その事実を、他ならない父自身がけっして忘れてはいない。幼い“私”が父の背に毒蜘蛛の姿を見るように、父もまた息子である“私”の眼差しのなかに、ありうべからざるものを見ている。父が“私”に折檻を加えるのは、本来は自分自身が受けるべき制裁を受けられず、その空虚に耐えられないためだ。
左ページ。1コマ目、父の折檻を受け傷だらけの裸体を起き上がらせる“私”の後ろ姿が、コマ絵の手前に描かれている。そして“私”の視線の前方、コマ絵の奥には、背中を丸めて頭を掻き毟り、「いたい…いた…い」と呟く父の後ろ姿が見える。そして、そんな父のさらに前方、読者からはもっとも遠く隔ったコマ絵の最深部からは、閉ざされたガラス戸に反射する街のネオンの明かりが、真っ暗な室内に漏れ差し込んでいる。
“私”の目には、漏れ入ってくるネオンの明かりの下で苦痛に身を歪める父の姿が見えている。父と“私”を隔てる空間には古い桐箪笥が据え置かれ、その上に置かれた達磨の置物が、いかめしい目つきで“私”を見下ろしている。2コマ目、顔じゅうから汗を吹き出し、「背中がいたい」と父は言う。その顔は、街明かりの逆光により、眼鏡と髪の毛の一部、汗、歯を除いて黒く塗られている。痛みに耐えきれなくなった父は、呻き声と共に上着をびりびりに引裂く。
 4コマ目。ネオンの明かりだけが差し込む暗い部屋のなかで、“私”はまたしても父の背中に蜘蛛の姿を見る。恐るべきは、「父が憎いと思ったことはなかった」と言いながらも、相変わらずその父の背中に、父を嘲り踊る大蜘蛛の姿を見ている“私”の眼差しである。けっして抗いきれない贖罪に生きるしか道の残されていない父の、哀れな末路を、この眼差しは既に予見している。さらに言えばその不可避な末路を、父にとっては至極当然なものとして、あたかも阿弥陀籤の行方を見通すように透視している“私”の眼差しは、一方で「憎しみ」のもつある種の熱意すら感じることはできない。ただ、いかに大蜘蛛による“おちゃらかし”の的となっても、“私”が相変わらず大蜘蛛の姿を見留めるのが父の背中の上であったという事実がある。価値を貶めるにしても、その対象自体がある程度の高さをもっていないことにはそれも成り立たないからである。父の背中はまだ、特権的な意味合いを持ち続けているともいえる。
“私”は確かに父の背中に、日本という国がもつ矜持の残り火を託している。日本に殉じたいというこだわりと、空虚なまでの“シラケ”とが同居している。例えば現代日本におけるコメディアンの中でも特異な地位を確立しているビートたけしの場合、TVのバラエティで見かかるタレントとしての側面と、彼自身の撮る映画をはじめとするシリアスな役者の側面とのギャップに間々驚かされることがある(最近はそれにもだいぶ慣れてきたが)。世界的に有名な大監督・俳優へと成長したにも関わらず、相変わらずTVのバラエティ番組で滑稽な着ぐるみに身をやつし、周囲の笑いをとるその姿は、ビートたけしが身を置く本質が、シリアスにはなく、滑稽・茶化しにあることを伺わせる。(念のため断っておくが、シリアスな演技と比べ、バラエティやコメディの価値が低いと言っている訳ではない)。たけしは本質的に、あらゆるものを懐疑せずにはいられないのだろう。ゆえに、あらゆる深刻な話題を茶化さずにはいられないし、場の空気が単一のもので満たされはじめると、場合によっては批判を省みることなく際どい変化球を投げ入れては、事態の急変を楽しんだりもする。しかしそれを行うにはシリアスに敏感である必要があるし、そもそもシリアスの確固たる基盤をもっていなくてはならない。その意味において、彼にとってシリアスもバラエティも等価値なのである。ただ、唯一無二の信仰がもたらしてくれる恩恵に彼が浴することは、おそらくはこれから先もないであろう。けっして変わることのない確実なものを希求しながらも、不確実なものにのみ、リアリティを覚えてしまうたけしの姿に僕は等身大の親しみを覚える。だが、ありとあらゆるものを茶化し、特権的な高みから引き摺り下ろそうとするその姿に、時として悲痛なものをも感じてしまう。無感覚は時として痛みである。『仮面の告白』の主人公が神輿の奥に垣間見た四尺平方の闇。その漆黒を見つめたときの眩むような目の痛みを思い起こすべきだ。その痛みを紛らわすための終りなき営みが“茶化し”なのだとしたら、漫画家やコメディアンほど因果な商売はないだろう。
 4コマ目。ネオンの光を浴びて、七色に変化した大蜘蛛が、父の背中で毒のツメを立てている。それらのツメによって傷つけられた部分からは、血液の筋が川となって流れ落ちている。真っ暗な部屋のなか、身悶えしてうずくまる父と、ガラス戸から漏れ入ってくる無神経なネオンの対比が痛ましい。ひと思いに腹を掻っ捌くことすら、父には許されていないのだ。

 見開き11ページ。ある夏の夜、“私”は恐ろしい光景を目にする。障子一枚を隔て、父の寝る隣部屋へと目をやった“私”は、障子に映った影にただならぬものを感じる。暑さのためか全身ぐっしょりと汗ばんだ“私”は、そっと障子戸の隙間から隣部屋の様子を覗き見る。
 そこで“私”が目にしたのは、父と、父を弄ぶあの大蜘蛛の姿であった。父の背中から抜け出た大蜘蛛は、その細長い手足で、一糸まとわぬ父をまるでマリオネットのように操り、あの狂ったような踊りを躍らせていた。その蜘蛛の顔は写実的に描かれていて、一切の感情を読みとることはできない。障子戸の隙間から覗く“私”の顔半分が、真珠のような汗の玉で覆われている。大蜘蛛が“私”の視線に気づいたのか否かは分からない。そもそもこの大蜘蛛にとって、覗かれているという認識そのものさえあるのか疑わしい。そもそも「七色の毒蜘蛛」は、それを“私”の眼差しが見てしまうという前提の上に成り立っているのだから、“見られる”ことが当り前の存在なのである。この光景は、“私”によって見られるべくして見られたのだ。この点において“私”にもまた逃げ場はない。
 4コマ目。父の体じゅうにはべとべとの白い粘液が滴っている。暗い部屋のなか、張り巡らされた虹色に輝く美しい蜘蛛の巣。その巣の中心で、白い粘液に塗れた父の裸体は、まるで蜘蛛に捕らえられた獲物のように異様な輝きを放っている。

 見開き12ページ。独白の言葉はこう告げる。「そして、あの出来事は」「父の死の直前のことだった」。
 障子越しに父のうめき声を聞いた“私”は、また障子戸を右目の分だけずらし、父の寝室の様子を覗き見る。「父は、その夜、苦しそうにうめきながら ふとんの中で のたうちまわっていた…」。
 4コマ目。布団を頭から被ってのたうち回る父が手前に描かれている。それをコマの奥からじっと覗き見る“私”の右目だけが、わずかに開いた障子戸の隙間に描かれている。“私”の全身は黒いシルエットとして塗り潰されている。「死」の直前まで、“私”にとって父は<見る>対象であったことが改めて印象付けられる。見方によっては、“私”の視線を受けて父はもだえ苦しんでいるようにも見える。必死になって布団を掴んでいる腕や、剥き出しの太ももには滲むような玉の汗が光っている。
 左ページ1コマ目。ふたたび、“私”の視点から見た父の寝室の様子が描かれている。畳の上に転がった枕。壁際のガラス戸には、相変わらず七色のネオンの光が漏れ入っていて、真っ暗な部屋の一部を照らし出している。
 ネオンの明かりがぼんやりと浮かび上がらせているのは、巨大な芋虫のように布団に包まった父の姿であった。その様は、大蜘蛛に弄ばれ全身を糸でぐるぐる巻きにされた贄のようである。
 そしてここで注目すべきは、「七色」という言葉の所在がはっきりと「ネオン」と明示されていることにある。『七色の毒蜘蛛』という表題から、得体の知れない毒蜘蛛自身の、その毒々しい皮膜のものとばかり思えた色が、繁華街のネオンの灯を受けた、いわば外界からの照り返しの表れであったことが確認できる。真っ黒いベタ塗りの畳敷きの寝室で寝る父に、「七色」の毒蜘蛛はあまりにも相容れないものである。
 そして、闇に浮かび上がった父の背中が視界に入った刹那、息をのむ“私”。父の背中に巣喰ったあの大蜘蛛が、「赤や黄色や緑や金色や それこそ七色に輝く」無数の子蜘蛛を産んでいたのだ。親蜘蛛は大きな尻から、みずからと同じ形をした幾匹もの子どもを産み出している。汗まみれの上半身を布団の上で起こした父は、苦しみのうめき声をあげる。産み落とされた子蜘蛛たちは、やがて虹色をした行列をつくり、音を立てることもなく深い闇の中へと消えていった。

猫蔵・プロフィール
1979年埼玉県生まれ。我孫子市並木に二歳まで住み、その後埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩