荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載40)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載40)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その④)

●「ガロ」から「エロ」へ、サイケでハレハレ、鬼畜漫画家は荒野を目指す


各方面から絶賛を受けた「四丁目の夕日」の連載終了後、山野一は、多くの作品発表を、何とエロ漫画誌に移してしまう。山野一のような特殊漫画家の作品発表の場は、当時は「月刊ガロ」以外にあまり見当たらず、この時期、比較的表現が自由なエロ漫画誌に流れた特殊漫画家は多いのだ。「ひさうちみちお」、「宮西計三」、「丸尾末広」らの、今では大御所の漫画家も、漏れなくエロ漫画誌の洗礼を受けている。

山野一が、連作短編漫画「サイケでハレハレ劇場」を発表するのは、みのり書房の「漫画スカット」である。みのり書房と言えば、廃刊になってはしまったが、あの「月刊OUT」、他社に先駆け早々とアニメ専門誌を立ち上げた出版社である。あの、オタクのカリスマ「岡田斗司夫」も編集者として参加していたらしい。
ホームページも削除されているところを見ると、現在みのり書房は運営されていないのか、どこかに統合されたか、その辺りは不明である。不勉強で申し訳ない。

「サイケでハレハレ劇場」は、1988年、「漫画スカット」2号から25号まで、不定期で連載される。その後、1989年に、青林堂が発行した短編漫画作品集「貧困魔境伝ヒヤパカ」に、1987年「月刊ガロ」9月号に発表された「きよしちゃん 紙しばいの巻」、1988年、同誌12月号に発表された「のうしんぼう」の短編漫画2編と共に収録される。

正直、この短編漫画作品集の出来栄えは凄い。どんな漫画家も寄せ付けない。圧倒的である。私の個人的嗜好ではあるが、山野漫画の中で最も好きな作品集である。「四丁目の夕日」を引き継ぐ、どん底の底さえ遥か遠い貧乏人を徹底的に描く作品を中心に、「タブー」、「アホウドリ」のように精神の内面を描く作品、「白鳥の湖」、「DREAM ISLAND」のように上流階級の美女が下流階級の醜男に凌辱される作品、山野一がとことん拘る畸形、狂人を扱う作品、そして、今後発表する山野漫画の核となる、インド哲学を主題とする、やや宗教的作品など、山野漫画のエッセンスが満載なのだ。


●貧乏人は貧乏人を食え!山野漫画のハレハレ哲学(その①)


山野一の貧乏人への拘りは、何処から派生したのか。家庭環境こそ公表されていないが、立大ボーイで、仕送りで生活していたぐらいであるから、山野一の家庭は貧乏どころか寧ろ恵まれた家庭だったのではないか。
想像するに、この究極の貧乏人には、実在するモデルが存在するのではないか。当然、貧乏人を扱った全作品にモデルが居る訳はないが、例えば「四丁目の夕日」の別所たけし、その実在するモデルをとことん追い詰める事によって、一種のサディスティックな幻想を抱いていたのではないか。この「貧困魔境伝ヒヤパカ」でも、明らかに執拗な貧乏人虐めは続くのだ。

「GOGOやくたたず」は、小さな町工場に勤め、駄菓子のおまけのおもちゃを製造する、もう還暦を迎える主人公「五味ため吉」の貧乏ストーリー。妻は寝たきりで、30歳になる一人息子は頭が弱い。この設定だけで相当辛い。それを、山野一は、「このちっぽけな町工場でしょーもない駄菓子のゴミみたいなおまけを月に約3万個製造する」と表現する。貧乏人に取り付く島は与えないのである。
ため吉のミスで、6万個のおまけが返品される。バネで走るミニカーの、バネを通す穴が小さくて入らないのだ。6万個の不良品である、町工場の鬼のような夫婦に散々罵られ、ため吉は、その不良品を抱えて売り歩くはめになる。
しかしながら、そんな不良品が売れる訳もなく、公園で遊ぶ子供たちにも馬鹿にされる始末だ。ため吉は、歯を食い縛る、妻と子が待ってると。妻と子の顔を思い浮かべるため吉は、嫌なものを思い出したのだろう、そのまま6万個のおまけと共に崖から転げ落ちるのだ。

不況で町工場を追われ、老いた父、妻、二人の子供と路頭に迷う「金子マス男」の下に如来が舞い降り、一念発起し、ビーバーのように巣を構えて妻子を養え、と告げる「ビーバーになった男」。頭の悪いマス男は、その比喩が理解出来ず、如来の言葉のまま、川の中に家族は住めるビーバーの巣を作る。
マス男は毎日ゴミ箱を漁り、家族の待つ巣に残飯を運ぶ。腐ったエビフライの尻尾、メロンの皮、それでも家族は大喜びで、妻は感謝のあまり涙を流す。ほか弁で販売する幕の内弁当を食べるのが将来の夢だと豪語し、そのマス男の頼もしさに家族は父を尊敬する。
その時、市からの依頼で、川の中に溜まったゴミの塊を吹き飛ばす為、廃物処理業者が川にやって来る。作業員が破壊用のダイナマイトを仕掛けようとすると、そのゴミの塊の中で生活している家族に気がつくが、構わずにそのまま爆破してしまう。

貧乏な新婚夫婦が、3500円の予算で新婚旅行に出発する「ハネムーン」。この新婚の花嫁は、性格の悪さが顔に出る、手が付けられないチビ、デブ、ブスの三拍子で、花婿は、代々、多分人類が初めて産声を上げた何百万年も前から貧乏の遺伝子がこびりついている。
二人で3500円の予算である、精一杯の交通費で、埼玉県の熊谷市まで行く。駅を降りると、駅前は寂れ、建物は傾き、「びゅーっ」と横殴りの風が吹く。勿論、何も見るものはない。それでも、8キロ先に採掘場があると言うので、二人は歩いて現場に向かう。妻は常時不機嫌であるが、夫は新婚旅行を満喫している。
採掘場に着いて、労働者が集まる大衆食堂に入る。ここでも不平不満を訴える妻だが、「僕にまかしとけよ、ケチケチしないで豪盛な食事にしようじゃないか」、と夫は宥める。ただし、帰りの交通費を考えると、一番安いサバの味噌煮定食しか注文出来ず、泣きながらどんぶり飯をかき込む妻、「こんな豪華な食事は一生にそう何度もないぞ」、とご満悦な夫である。

会社の上司の誘いで、山奥の温泉に旅行に行く家族を描く「旅情」。向かう車内で、持ち合わせがなく、給料日まで旅費を都合してほしいと上司にお願いするも、あっさり断られる夫婦。已む無く、夫婦と子供は、上司の車を借り、車内で宿泊するはめになる。
僅かな現金しかなく、パン一つ買うにも山道を5キロ以上降りた麓まで戻らざるを得ない。車の中に寝泊りしても良いが、車自体を貸す事さえ拒否されているのだ。そのうち、妻は体調を崩し発熱、旅館の主人に毛布を借りようとすると、洗っていない汚い毛布を放り投げられ、貸し賃として2000円取られる始末。結局、食う物も食わず、二泊3日を車の中で過ごした家族は、心身共に疲れ果て、その後、妻には変な赤ん坊が生まれたと言う。

どれを取っても甲乙付け難い秀作である。しかしながら、ここまで貧乏人を扱き下ろすか。「ビーバーになった男」では、貧乏人だから殺しても良い、とまで描いている訳だ。そして、登場する貧乏人の健気さも凄い。腐ったエビフライの尻尾で大喜びし、大衆食堂のサバの味噌煮定食はハネムーンの豪華な食事である。夢は、ほか弁の幕の内弁当だ。この、貧乏人に対する執拗さ、貧乏人は報われないのではない、報う必要さえないのだ。これも、山野漫画の哲学なのである。

「旅情」では、特別貧乏人と言う訳ではないが、現金の持ち合わせがなかった為に、結果として貧乏人生活を虐げられる。上司にしろ、旅館の主人にしろ、この家族に金がないと分かってからの扱いは厳しいものだ。
山奥の温泉に向かう車内で、旅費を無心する夫婦に、上司は聞く、「で、いくら持って来たの?」と。「七千円ぐらいです」と恥ずかしそうに答える妻。すかさず、「ぐらいっていくらなの?七千いくら持って来たのよ」と、更に追い討ちを掛ける上司の妻に、一瞬顔が強張るも、「七千四百二十円ですよっ」と声を上げる妻である。この執拗な会話は、山野漫画でしかお目に掛かれないだろう。
また、この会話を、遠くに見える山の頂上に鎮座する大仏が見下ろしているのだ、このストーリーのエンディングを示唆するかの