荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載43)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載43)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その⑦)
●「混沌大陸パンゲア」は実在したか?山野漫画の混沌


1993年12月に青林堂から発行された短編漫画作品集「混沌大陸パンゲア」は、1992年、秋田書店ヤングチャンピオン」1号から7号まで連載された「断末魔境伝カリ・ユガ」を中心に、1990年から1993年にかけて、みのり出版「漫画スカット」、やはり成人男性誌であるビデオ出版「月刊FRANK」、「月刊HEN」に、不定期で発表された短編漫画から構成される。青林堂の「せ」の字もないが、それでも青林堂から出版されるところに、山野一特殊漫画家としての位置付け、そして非商業漫画家ぶりが伺える。

作品は、全体的に「貧困魔境伝ヒヤパカ」の延長線上にあるが、ここで特筆すべきは、「Closed Magic Circle」、「火星法華経」、「ムルガン」などの、やや宗教色の強い作品、「工員」、「さるのあな」、「走れタキシェ」、「花嫁の花園」、「水産」など、かなりデフォルメされた、ねこぢる風の絵柄で描いた作品が多く収録されている事だろう。
また、全作品が全力の直球勝負と言う印象の「貧困魔境伝ヒヤパカ」に比べ、今作品集は、変化球で交わしていると言う所感である。

確かに、全体としては混沌とし、この短編漫画作品集のタイトルを、全ての大陸が次々と衝突して完成されたパンゲア大陸に準えた意味が伝わって来る。


山野一、メジャー漫画誌デビュー!その名も「カリ・ユガ」!


1992年、「ヤングチャンピオン」1号から7号まで連載された「断末魔境伝カリ・ユガ」は、連作短編漫画7話から成り、「貧困魔境伝ヒヤパカ」の哲学を素直に継承した作品である。
「カリ・ユガ」とは、サンスクリット語で、インド哲学では、循環すると考えられている4つ時代の、最後の段階を指す。ヒンドゥ経では、人間の文明により、神から遠ざかった人々が霊的に堕落する時代だと言う。これは、正に現代である。

山野一がとことん拘る貧乏人物語、貧乏で下品極まりない家庭の主婦が、大奮発をして、月々800円余りのローンを組んで人口ダイヤの指輪を購入するストーリー。宝石店の販売員が、契約書に捺印してもらう為に、その家族のアパートへ出向くと、販売員を待っていたのは、想像を絶する悲惨な家族の肖像である第一話「ドブ板のある町」。

ワーグナーニーチェを愛する理想を追い求める青年が、社会の軋轢の中で就いた仕事はガードマンである。高かったプライドも敢えて捨て、もう何も考えないように努める第二話「全自動ガードマンK」。

揚げ物屋でパートをする貧乏家庭の食卓の並ぶのは、常時揚げ物のオンパレードで、この家族に似ても似つかない美女の娘は、この環境から脱却しようと都心を目指す第三話「ぼーふらはぼーふら」。このストーリーには、絶望的な結末が待っている。

これもまた貧乏人物語、四畳半一間で一家五人が暮らす貧乏家族の主人の夢枕に、七代前の先祖が降り立ち、アパートの床下を掘れとお告げをする第四話「楽園の扉」。このストーリーは殆ど「ビーバーになった男」である。涙ぐましい努力で床下を掘り続ける主人は、何と下水道を掘り当て、下水道で暮らす事になる。勿論、山野漫画の哲学により、あっと言う間に淘汰されてしまうのだが。

失踪した亭主の妾の子供を虐待する下品な主婦のストーリー、第五話「希望」。児童虐待を隣人の美男、美女夫婦に咎められた事の腹いせに、夫婦に誕生する赤ん坊を、醜男、醜女夫婦の赤ん坊と交換してしまう。久々に幸せな気分を満喫する主婦であったが、度重なる児童虐待が祟り、その虐待した子供に逆襲される。

陰鬱だった妻と子が、新興宗教の信仰を始めてから明るい性格に変わり、薦められるまま主人も一緒に同行するが、そこで見た物は、女の顔に逞しい男の肉体、そして巨根を持つ教祖がいるセックス教団であった第六話「覚醒」。

悪徳産業廃棄物業者が、化学工場の廃液、劇薬を不法投棄しに山奥へ向かう最終話「爽やかな夜明」。疲労感を払拭する為にヒロポンを打ち、街道を疾走するトラックは、途中何度も事故に会うも無視し続ける。そこに突如降臨するヒロポンの妖精は、その男が多くの人々を救済する使命があると予言する。そして、山奥の、飲料水用のダムに大量の廃液を流す男は、妖精の予言通り、数万人の人々を、生きる労苦から解放してあげるのだ。

作品を論ずる前に、良く「ヤングチャンピオン」が山野一を採用したものだと頭が下がる。この「断末魔境伝カリ・ユガ」が、メジャー漫画誌を意識して描かれた物かと言えば、そうでもない、相変わらずの山野漫画炸裂の作品である。実際の反響は如何な物だったのだろう。この作品が「ヤングチャンピオン」の読者層に受け入れられたとは到底思えない。それは、週刊連載にして7回と言う、中途半端な連載期間が物語っている。寧ろ、この破壊的な最終話から、連載早期での打ち切りが決定したのだろうとも推測出来る。

全体を通して、「貧困魔境伝ヒヤパカ」の延長線上にある事は申し上げたが、デッサン力、画力は格段に上達しているのが分かる。ペンタッチも流れるようで、メジャー漫画家として申し分なく、スッキリと無駄なく描かれている。ただし、この事は寂しい事なのかも知れない。あの描き込まれた、歪んだ顔の表情にも、山野漫画の味があったからだ。

そして執拗な貧乏人虐めは続く。第一話から第四話までは、そのまま貧乏人物語である。相変わらず、山野漫画の哲学は健在で、貧乏人が、絶え間ない努力によりその立場を少しでも向上させる事はない。逆に、どんどん深みに嵌って行く。貧乏人には、下水道で寝泊りする事さえ、贅沢で許されないのだ。

また、山野一は、「手取り13万8千円」に随分と拘っている。「手取り13万8千円」=下品、不潔、貧乏人と言う法則が成り立つのだ。これは、第二話「ぼーふらはぼーふら」の、主人公の美女と所帯を持つ事になる「手取り13万8千円の無知無教養の愚鈍な男」、そして第四話「楽園の扉」の、「手取り13万8千円のこの男にはなすすべも無かった」に表現される。実は、この後、1994年に発表される長編漫画作品「どぶさらい劇場」でも、「しょーもない町工場で家畜んこつコキ使われてエ手取りたったの13万8千円」と言う台詞がある。「しょーもない」事かも知れないが、こんな細かい拘りにも、山野一の貧乏観が露出しているのだ。

宗教、神について、と言うよりは洗脳について描いた第六話「覚醒」は、「貧困魔境伝ヒヤパカ」では描かれていなかったジャンルではあるが、これも、この後に発表される「どぶさらい劇場」へ引き継がれる。登場する「黄金太陽教會」の教義を聞くと、この新興宗教の教祖はシヴァ神の化身と言う事であるから、ヒンドゥ教を起源としたものである事が分かる。確かに、ヒンドゥ教はセックスについては非常に肯定的である。

最終話の「爽やかな夜明」は、神ではなく妖精が降臨するストーリーであるが、この妖精にはインド哲学や実在の宗教は投影されておらず、ヒロポンの妖精、ドラッグの妖精と言う全く以って個人的な存在である。このシャブ中を「世界で一番りっぱな人間です」と言い切る妖精は、普通に考えればシャブ中が覚醒中に見た幻覚だろう。「あなたは多くの人々を救済する使命があります」、そして、「それには立ちふさがる敵と戦わなければなりません」と予言され、待ち構える環境保護団体を科学廃液で焼き殺し、更に飲料水用のダムに廃液を投棄し、数万人の人々を殺害する。歪曲されながらも辻褄を合わせたエンディングであるが、何か開き直って描いたような印象だ。やはり、この「断末魔境カリ・ユガ」は、連載途中での打ち切りだったと考えるのが自然だろう。元々、タイトルも「カリ・ユガ」である、突然の終末こそ必然であったのだ。