荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載45)


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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載45)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その⑨)
●「ムルガン」、山野漫画に見るヒンドゥ教の恒久の寓話


「ムルガン」は、1993年ビデオ出版「月刊FRANK」1月号に発表される。

「ヴァシシタ仙」を初めとする七人の聖仙の妻たちが排便する様子を、竈の中から見ていた火の神「アグニ」は欲情する。それを知った、聖仙「ダクシャ」の娘「スヴァーハー」は、アグニの不在中に聖仙の妻たちの大便を食べ、次々と七人の聖仙の妻に化ける。そして、スヴァーハーはアグニを誘惑、性交を繰り返す。
性交の次の日に、スヴァーハーはシュヴェーダ山に行き、アグニの精液を黄金の穴に落とす。その行為は六日間続いた。七日間続かなかったのは、ヴァシシタ仙の妻が貞節で、大便を食べても、小便を飲んでも彼女に化ける事が出来なかったからだ。

暫くすると、その黄金の穴から、黄金に光り輝く神の子が生まれる。この、六つの頭と12本の腕を持つ神は、「ムルガン」と呼ばれる。
ムルガンは、生まれて四日目に、天地が震える程の声で咆哮し、その咆哮は巨大な火炎となり全ての生き物、全ての人間、そして、全ての神々までも焼き尽くしてしまう。

全てを破壊したムルガンは、岩の上に座り、432万年が過ぎる。

ある日、ムルガンが「プンダリーカ」と言葉を発すると、岩から蓮が生え、その花から三つの乳房を持つ処女「ティーヴァセーナー」が生まれる。
ムルガンは、この少女と交わり、その情交は12万年続く。

やがて、情交が終わると、ムルガンは少女の手をとって歩き始める。

古代インドの神話を、山野一流解釈で漫画化したものである。ヒンドゥ教では、ムルガン、別名「スカンダ」は、シヴァ神の息子であるはずだが、火の神アグニの息子であったと言う説も存在するらしい。アグニにシヴァ神が、スヴァーハーにシヴァ神のお妃である「パールヴァティ」が入り込んだと言う逸話も残っている。もう、この辺りの神話になると、元々存在した真実を正確に伝達する事は不可能である。また、真実はシヴァ神の存在のみで充分と言う考え方もあるだろう。何時、何処で、どの神が何を行ったかなどと言う経緯は、万物の神、シヴァ神の存在の尊大さから比べれば、殆ど意味を持たないのだ。

以前にも書いたが、実は私もヒンドゥ教については些かの薀蓄がある。とことん勉強した訳ではないが、興味深く、関心を持っている。何処かに教会でもないものかと検索した時期もある。ヒンドゥ教と同じ、シヴァ神を奉る「オウム真理教」の道場の門を叩いて見ようかと思った事もあるぐらいだ。

日本では、普通に日常生活を営む人々がヒンドゥ教に関わる機会は滅多にないだろう。何しろ、ヒンドゥ教は、進んで布教活動をしない。キャッチセールスマンのように、「神を信じますか?」と布教活動に熱心なのは、大抵はキリスト教である。そもそも、「神を信じますか?」と問うと言う事は、誰もが神を信じていないと言う前提の質問ではないか。
ヒンドゥ教の場合、それがインドだとしても、そんな馬鹿げた質問をする者はいない。信じる必要性さえ一切ない。万能の神、シヴァ神は想像を絶するぐらいの大昔から、これからも未来永劫、間違いなく存在しているのだから。シヴァ神が存在しているから、この世界が存在しているのだから。勿論、目には見えない。ただし、その存在を認知するのに目視は必要ないのだ。意味は違うが、「空気の存在を信じるか?」と聞かれるような物である。

また、ヒンドゥ教とは面白く、基本的に本能的な物を抑制する事がない。それは、欲情、情交、そして排泄である。「姦淫するなかれ」とは決して言わない。彼のシヴァ神でさえ欲情し、情交を繰り返す。インドでは聖なる動物である象の性交の迫力に欲情したシヴァ神が、象に化身し、速攻でパールヴァティと交わるエピソードがあるぐらいである。この情交の為、生まれた二人の息子「ガネーシャ」の頭だけが象となるのだ。

ムルガンが岩の上に座り、432万年が過ぎ、「プンダリーカ」と言葉を発すると、岩から蓮が生え、その花から三つの乳房を持つ処女が生まれる。432万年とは、前々回に「断末魔境カリ・ユガ」でご説明した「ユガ」である。生成と消滅を繰り返す一つの周期の年数と言う事だ。そして、新しく生まれる処女「ティーヴァセーナー」。432万年と言う周期は、ムルガンが発情する為の周期なのか。ヒンドゥ教なら充分有り得る。
また、ムルガンが発する言葉「プンダリーカ」とは、サンスクリット語で「南無妙法連華供」の「連華」に当たる、泥の中に生まれながらも泥に染まらず美しい花を咲かせる、と言う意味である。

この、山野一の古代インド神話インド哲学、ヒンドゥ教への拘りは、この後、スコラの「コミックスコラ」に連載された「どぶさらい劇場」でも相当熱心に描かれているので、そこで再び検証したい。


●「混沌大陸パンゲア」を総括する。


最後に、この短編漫画作品集のタイトルである「パンゲア」について語ろう。初出は、1993年「月刊FRANK」1月号と言う事だから、なんと「ムルガン」と同時に掲載された作品なのだ。

パンゲア」は、この時期には数多い精神世界を描いた物で、カテゴリー的には前回で評論していても可笑しくない。タイトルにはなっているものの、この作品が「混沌大陸パンゲア」の収録作品の中でずば抜けているかと言えばそうでもないが、この短編漫画作品集の混沌を象徴している、と言う点で最後に持って来たのである。

内陸の湖「バイカル湖」に、外洋型ド級原子力潜水艦を潜行させる提督は、このバイカル湖が水中洞穴により北極海と繋がっていると考えている。北極海まで約2000キロ、古くからこの地に住む「ヤガユ族」の言い伝えだと言う。ヤガユ族は、バイカル湖固有の魚「オムル」の入ったうどんを食し、常時下半身を露にする風変わりな一族である。そんな馬鹿な、と思う「アンドロニコフ少佐」が我に帰ると、「臨海塩浜」と言う駅で下車をしている。
聞いた事もない駅だったが、とりあえず駅前のうどん屋に入ると、メニューに「オムルうどん」とあるので、それを注文する。すると、厨房でうどんを茹でるのはあのヤガユ族の女の子で、見ると、肛門と口が逆に付いている。ヤガユ族は、肛門から食物を摂取し、口から排泄するのである。
そこで、意識は、フィリピンの刑務所に飛ぶ。麻薬取締法違反で懲役25年の服役中だが、特に不自由はない。看守を買収し、女もヘロインもやりたい放題だ。今日も、囚人は売春婦を買う。囚人のリクエストはヤガユ族の女である。
原子力潜水艦は、水中洞穴を進む。その造形は巨大な女性器である。

「臨海塩浜」で下車すると、次の停車駅が「のうしんぼう」であると案内標識に書かれている。「のうしんぼう」は、ご存知の通り、山野漫画では狂気が支配する領域である。その一歩手前で下車した男は、現実と狂気の狭間に身を委ねるのだ。

「混沌大陸パンゲア」の、収録作品の殆どをご紹介した。「貧困魔境伝ヒヤパカ」を素直に継承した「断末魔境伝カリ・ユガ」を除けば、ほぼ全ての作品は幻覚、狂気、そして夢を描いている。デフォルメされ、ギャグ漫画的な要素の作品も多い。冒頭でも書いたが、剛速球の直球勝負だった前作に比べ、緩急を駆使した変化球勝負と言った印象の今作である。

その中で、特筆すべきはやはり「ムルガン」であろう。漫画の出来、不出来と言うと、やや物足りないが、この「ムルガン」には、山野一の古代インド神話、ヒンドゥ教への拘りが詰まっている。この後に発表する、山野漫画の集大成である長編漫画「どぶさらい劇場」で、その拘りは更に進化、発展を遂げるのだ。


猫蔵と荒岡保志 撮影・清水正