随想 空即空(連載160)兵役拒否を巡って

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随想 空即空(連載160)兵役拒否を巡って

清水正  

 

 井上哲次郎は『教育と宗教との衝突』で次のように書いている。

 

 内村氏が此の如き不敬事件を演ぜしは、全く其耶蘇教の信者たるに因由すること亦疑なきなり、耶蘇教は唯一神教にて其徒は自宗奉ずる所の一個の神の外は天照大神も、弥陀如来も、如何なる神も、如何なる仏も、決して崇敬せざるなり、唯一神教は恰も主君独裁の如く、一個の神は一切万物の主にして、此神の外には神なしとし、此神の其領分中に併存するを許さざるなり、独り自宗の神のみを以て真正の神とし、他の諸宗の奉ずる所は如何なる神も、皆真正の神と見做さざるなり2024/04/04 11:06 2024/04/04 13:00 多神教は之れに反して共和政治の如く、他宗の諸神とも併存するを許すこと多く、決して唯一神教の如く、厳に他神崇拝を禁ずるものにあらざるなり、唯一神教とは、此の如く全体の性質を異にするを以て、多神教たる仏教は古来穏和なる歴史を成し、唯一神教たる耶蘇教は到る処激烈なる変動をなせり、内村氏が勅語を敬礼することを拒み、傲然として偶像や文書に向ひて礼拝せずと云ひたるは、全く其信仰する所唯々一個の神に限るに出づるなり、……余は今此に多くの神若くは唯一の神を信ずることに就いて其是非如何と断案を下すにはあらず唯々不敬事件の起れる理由を弁明するに止まるなり、……我邦は古来神道の教ありて、神の多きこと実に千万を以て数ふ、然るに其最大の神たる天照大神は実に皇室の祖先なりと称す、然かのみならず、歴代の天皇は皆亦神として尊崇せらる、然かのみならず倫理に関する教も皇祖皇宗の遺訓と見做さる、是れ現に我邦の国体の存する所とするなり、然るに耶蘇教徒の崇敬する所は、此にあらずして他にあり、他とは何ぞや、猶太人の創唱に係る所の神に外ならざるなり、余は今耶蘇教徒に神道者になれと勧むるにはあらず、此には単に耶蘇教者の国体を損傷すること多き所以を解釈するに止まるなり、然れども斯く論じ来らば、耶蘇教徒或は云はん、内村氏の事は内村氏一個の過失に出づ、豈に此例を引いて一切の耶蘇教徒を論ずるを得んやと、然れども内村氏の所為決して内村氏の過失にあらず、彼れは堅く耶蘇の教旨を守るものにて、我邦の忠臣ならざるべきも、疑なく耶蘇の忠臣なり、内村氏の如くならざる耶蘇教徒は多少其教旨を枉げて我邦の風俗に同化せんとするものなり、又内村氏の所為の如きは決して偶然ならざることは尚ほ他の例を参考せば氷解するを得ん、(52~54)

 

 ここで井上哲次郎が言っていることはごく真っ当なことである。〈不敬事件〉を起こしたその根本原因は、鑑三が唯一神を信じるキリスト教徒であったことにある。なにしろキリスト教徒は自宗以外の神は受け入れないのであるから、多神教のように他の神に対して寛容になることはできない。〈二つのJ〉を許容するなどというのは正統のキリスト教から見れば許すべからざる異端なのである。唯一神を奉ずるキリスト教徒が同時に現人神天皇を奉ずることは許されない。従って鑑三に限らず、キリスト教徒はすべて古来から神道の教えを継承してきた我国体に反するものであることは明白なのである。哲次郎が「内村氏の所為決して内村氏の過失にあらず、彼れは堅く耶蘇の教旨を守るものにて、我邦の忠臣ならざるべきも、疑なく耶蘇の忠臣なり」と書いたのは当然であり、ある意味では鑑三の〈不敬事件〉に対して根源的なところで深く理解を示したとも言える。しかし問題は、鑑三が哲次郎の言う意味での完全なキリスト教徒でなかったこと、つまり〈堅く耶蘇の教旨を守るもの〉でなかったこと、確固たる〈耶蘇の忠臣〉ではなかったことにある。鑑三は宸署礼拝をきっぱりと拒んだわけではない。鑑三が宸署にチョットしか頭を下げなかったことは、彼が〈二つのJ〉のどちか一つを選べなかったことを意味している。これを哲次郎の言葉で言えば「多少其教旨を枉げて我邦の風俗に同化せんとするものなり」ということになる。哲次郎の「教育と宗教の衝突」はキリスト教徒たちから批判的に受け止められたが、わたしから見ると実に好意的である。なにしろ哲次郎は宸署に対する鑑三の中途半端な態度を厳しく批判するどころか、この鑑三を疑いなく〈耶蘇の忠臣〉と見做しているのだから。

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