猫蔵の「生贄論」連載4

 

猫蔵『日野日出志体験』2007年九月 D文学研究会

 

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■生贄論
〜原罪と芸能〜 (連載4)


猫蔵


【原罪】
 ふたたびチョーラカのことを考えてみると。僕が心惹かれたのは、ショッキングな彼らの芸そのものという側面も、確かに否定はできません。しかし、もっと興味深いのは、彼らの芸を、おそらく何百年にも渡って許容し続けてきた、インドという土壌のもつ、その懐の深さ、"文脈"なのです。彼らの芸が必要とされている理由が、現代の日本に生きる僕らが“職業”を捉える時とは別の、もっと生きることの根源に直結した部分にあるような予感がしています。
 インドの大衆は、チョーラカの何に対して価値を見出し、対価を支払っているのか?
ひとつ、仮説を挙げるならば。
 かつての日本における傷痍軍人のケースと同じように、インドという国そのものが、チョーラカという存在に対し、何か共通の体験なり価値観なりを、根深く共有してきたからだと察せられます。結論から言えば、それはつまり、ヒンドゥー教カースト制度に他ならないでしょう。チョーラカは、いわゆる不可触民です。カースト制度の中でも最下層に位置します。ゆえに、彼らの子供たちの多くは、学校教育を受ける機会に乏しく、細々とした家業を継がざるを得ません。自らを鞭打ち、時には血を流さなくてはならない、あの荒芸です。
 ここからは推測なのですが、チョーラカの荒芸に対して金銭を渡すことが、日本の傷痍軍人に対する"喜捨"とよく似た感覚だったとすれば。庶民の中に、チョーラカという存在に対する“ねぎらい”と“感謝”の感情が隠されていると読みとれます。つまり、チョーラカが傷痍軍人と同様に、その身に傷を負うことによって(傷が自ら付けたものなのか、他者から付けられたものなのかという違いはありますが)、もしかしたら自分たちが負うかもしれなかった"痛み"を、彼らが身変わりとなって引き受けてくれたのだという共通認識を、たとえ無意識レベルであれ、インドの庶民は広く持っているのではないか?そのことが、結果、長らく昔ながらの姿でこの荒芸が途切れることなく伝承されてきた秘密と読めるのです。
 ここで僕の脳裏には、聖書の中の「原罪」という言葉が思い浮かびます。チョーラカの鞭打ち、傷痍軍人アコーディオン、蛇女の蛇喰い…全て、「芸能」と呼ばれるものの原点は、等しくこの「原罪」に対する贖いなのではないでしょうか?傷ついたり、不具者として産まれついた者に対する、借りの意識。これこそが、キリスト教者ではない無宗教者である僕が肉体感覚で腑に落ちる、「原罪」と呼び得るものだと感じます。そして、その芸に対して喜捨することこそが、自身の後ろめたさ(=原罪)に対する贖いと思えるのです。
 「見世物小屋」という、古来から続く奇妙な芸能の姿が脳裏に蘇ります。殺生を禁じた縁日の一角で、生きた蛇をムシャムシャと喰い千切り、糊口の術としてきた、面妖な蛇女たち。そしてそれを文化として許容し得てきた、日本という国の土壌。
 「見世物小屋」の原初たる姿とは、一体どんなものなのでしょう?この芸能の根底からは、長き歴史の中で忘れ去られた、"罪深きもの"の臭いが立ち上ってきて消えません。あるいは、見世物小屋太夫(芸人)たちとは、かつて人々が神に対し「生贄」を捧げた儀式の所作を、自らの身をもって今なお反復し続ける者たちなのではないか?歴史の変遷を経て、他ならぬ自らを生贄に摸し、その肉体が醜く傷つく姿を、他者たちに敢えて晒すこと。そしてそのことによって、他者の原罪意識を呼び覚まし、対価を得、口を糊すること。これこそが「見世物」、ひいては芸能というものの「ネガフィルム」だったのではないか?そんな予感が僕にはあります。

清水正著『日野日出志を読む』の出版記念会。池袋「嵯峨」にて(2004年11月24日)
画面右より猫蔵・副島信太郎・日野日出志清水正・原孝夫

 

右より日野日出志清水正・猫蔵 (日野日出志の仕事場にて)

右より猫蔵・日野日出志・下原敏彦


猫蔵(プロフィール)

1979年我孫子市に生まれる。埼玉県大利根にて育つ。日本大学芸術学部文芸学科卒。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。見世物学会会員。日野日出志研究家。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。単著に『日野日出志体験』(2007年 D文学研究会)、共著に『「ガロ」という時代』(2014年 創林社)がある。本名 栗原隆浩。