有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲) モーパッサン『ベラミ』を読む(連載47) ──『罪と罰』と関連づけながら── 清水 正

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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載47)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

  「僕なんか、もう駄目になった人間だ。僕には父も、母も、兄弟も、姉妹も、妻も、子供も、神も、ない。」「僕には詩があるだけだ。」――ノルベール・ド・ヴァレヌはそう言った後、青白い満月の輝いている空を振り仰ぐと、朗読の調子で次のように言う。

 

   かくて我はこの解き難き謎の言葉を求む

   青白き月の浮かぶ黒きうつろなる空に。(上巻・214)

 

 天涯孤独の身となった老詩人の寂寥を誰も救うことはできないし、ノルベール・ド・ヴァレヌ自身それを望んでいるわけでもない。謂わば彼は詩人であることに充足している。詩人であることが彼の生を支えていると言ってもいい。神と共にある存在であるよりは、詩人であることの潔癖に生きることを彼は望んでいるのだ。〈この解き難き謎の言葉〉とは彼を呪縛してはなさない〈死〉を意味しているのか。ついに彼は死の謎を解くことはできないし、死から解放されることもない。彼は〈黒きうつろなる空〉に向けて、死の謎を投げかける。もとより謎が解かれるわけもない。夜空に浮かぶ〈青白き月〉は詩人の存在そのものを反映している。彼は〈黒きうつろなる空〉にひとり孤独に浮かぶ〈青白き月〉として解き得ぬ死の謎を寂寥の胸に抱きしめている。〈青白き月〉に曙光の射す夜明けのくることはなく、彼は永遠の夜を耐えていなければならない。

 ノルベール・ド・ヴァレヌにとって〈空〉が究極の悟り〈空〉(くう)となることはない。彼はキリスト教ばかりかすべての宗教を愚劣なものとして拒んでいた。仏教的な無や空の思想が彼の虚無的な精神に忍び寄ることはなかった。神を否定する彼の虚無主義は寂寥とペシミズムを引き寄せる。彼の現世に対する未練たっぷりの嘆きや苦悶は、彼の精神を平静な無の境地へと深めることはなく、彼は生きている限りは厭世的な気分のぬるま湯につかり続けているほかはない。若き詩人ならまだしも、老いたる詩人が、詩を歌うその精神世界に無や空の観念を引き寄せなかったということはひとつのふしぎである。

 日本人にとっては「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」(平家物語)、や「色即是空 空即是色」(般若心経)は子供の頃から馴染みの深い言葉であり、〈諸行無常〉や〈空〉は理屈ではなく、体感的に受け入れられている。ところで旧約聖書の中にもコヘレトの最初の言葉として「空の空 空の空、一切は空である」がある。日本では「伝導の書」として訳されていたが、最新の翻訳書(聖書協会共同訳)では「ダビデの子、エルサレムの王、コヘレトの言葉」となっている。コヘレトの言葉全文を読むと、これが旧約聖書の中に収録されたのが不思議なくらいに異端の言葉に満ちている。聖書は〈異端〉をも包摂する底の深さを感じさせて不気味でもある。新約聖書でもそうだがテキスト上の差異を敢えてそのままにしておく不気味な寛容さがある。教義は唯一絶対性を保持しなければ権威を喪失するが、新約聖書のテキスト上の差異はそこに記された〈事実〉の相対性を晒しながら、〈神〉と〈神の子・キリスト〉と〈聖霊〉の絶対性を断固として主張している。ここが〈諸行無常〉や〈空〉をユダヤキリスト教の文脈から離れた地点で受け入れている者にとってはたいへん興味深いことである。

 〈空〉はユダヤキリスト教絶対神をも空無化し、その教義を微塵に相対化して絶対安静の境地を体現する。が、〈コヘルトの言葉〉は現実世界の不条理を条理として受け入れる絶対受動の視点を獲得しながらも、最後的には〈神〉の絶対性に帰依する。〈一切は空〉を唱えるコヘルトであってさえ、ユダヤ教の宗教的基盤からの超出はできなかったということであろうか。

 〈一切は空〉の言葉は神への絶対帰依に結びつくよりは、ニーチェ永劫回帰や全世界肯定の思想に重なり合う。世界のすべての事象は善悪観念を超越して全肯定される。つまり善も悪も区別なく肯定されるということである。永劫回帰は必然の肯定であり、世界はすべての事象が過去・現在・未来においてすでに決定されている。この必然は人間の自由意志すら肯定する。必然は自由と完全に合致している。イヴァンの「神がなければすべてが許されている」を借りれば、「神があろうがなかろうがすべては許されている」ということであり、このすべてが許されている〈自由〉は〈必然〉ということである。

    永劫回帰の思想においてはユダヤキリスト教の神はその王座をすでに失脚している。世界は神が創造したのではなく、すでにあるがままにあり、なるがままになっているのである。世界を全肯定の眼差しで見たとき、一切は空であり、一切は空の空となるのである。ここには善悪観念も倫理も道徳もその根拠を失う。空は空であるから、すべては要するに空なのである。この境地に達すると、ノルベール・ド・ヴァレヌのようなペシミズム的陰鬱な気分に陥ることはない。ペシミズムは、未だ絶対的なもの対する懐疑を内包している。イヴァンが神を否定しながら、神に地上世界における真理・正義・公平の体現化を求めたように、全能の神に期待を寄せる者に〈一切は空〉の平静な観念が授けられることはない。ユダヤキリスト教の神は自分の存在根拠をなし崩すような〈空〉を認めるわけはない。だからこそわたしはコヘルトの言葉を収録した旧約聖書の寛容さを、驚くべき不気味なふしぎとみるのである。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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