江古田文学賞設立の頃 ──江古田文学の理念と受賞パーティをめぐって── 清水正

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江古田文学賞設立の頃

──江古田文学の理念と受賞パーティをめぐって──

清水正

 

 第一次「江古田文学」が創刊されたのは昭和二十五年(一九五〇)十二月である。編集人は矢作勝美(当時文芸学科学生と推測される)、発行人は山下秩光(当時文芸学科主任教授、ドイツ文学者)、発行所は「日本大學藝術學部内江古田文學会」である。最終号は「39-40号合併号」として昭和三十六年(一九六一)十一月に刊行されている。奥付には編集人の名前はなく、発行人は神保光太郎(当時文芸学科主任教授、詩人)とある。当時助手であった藤田勢津子は編集後記で「次号からは、編集長に進藤純孝氏が就任され、執筆陣を拡張し、一層活溌な活躍をつづけて行きます」と書いている。

清水正(左)               進藤純孝氏(右)

 

 第二次「江古田文学」が創刊されたのは昭和五十六年(一九八一)十一月である。つまり「江古田文学」は実に二十年の間を置いて復刊されることになった。編集人は平岩昭三(当時文芸学科助教授)、発行人は進藤純孝(当時文芸学科主任教授、文芸評論家)、当時助手だったわたしは編集員として参加した。

 なぜ二十年間にわたって「江古田文学」は休刊し続けなければならなかったのか。その間にどのような学内誌が刊行されたのか。詳しい事情は此経啓助「六〇年代の文芸学科(回想)――第一次『江古田文学』休刊から大学紛争まで――」(「江古田文学」第100号)をお読みいただきたい。 わたしは「江古田文学」の編集長としては第8号から28号まで担当した。「江古田文学」は文芸学科の学生および卒業生の作品発表の場として創刊された。文芸学科は文芸創作、文芸批評・研究、文芸ジャーナリズムの三本柱によってカリキュラムが成立している。わたしは優秀な卒業制作・論文の再録、芸術学部の卒業生、教職員などにも積極的に原稿を依頼することにした。同時に卒業生で創作活動を続けていた山形敬介(詩人、デザイン会社経営)、村上玄一(小説家、編集者)、中村文昭(詩人、文芸批評家)などに協力を呼びかけ、執筆陣の充実を図った。

 「江古田文学」を単なる学内誌ではなく、社会に通用する総合文芸誌に成長させようとする考えは復刊当時からあったが、特に協力とアドバイスを惜しまなかったのが、日大法学部出身の酒井幸夫研究所教授であった。酒井教授は編集長になったわたしに、江古田文学賞の創設を何度か提案した。当時、わたしはこの提案を時期尚早と考え、「江古田文学」の内容充実に力を入れることを先決とした。

酒井幸雄氏と清水正

卒業式で挨拶される酒井幸雄氏

 未だ社会的に認知されていない文学雑誌をいかに多くの人に知ってもらうか。世間の時局的な事象に迎合する気はまったくなかったので、要は編集に関わる者が情熱をもって自分に関わる問題を追究しつづけるほかはないと考えていた。

 わたしは最初から〈特集〉を柱に組むことにした。〈山本陽子〉〈中国における日本文学の現在〉〈追悼 土方巽〉〈高知詩人〉〈ドストエフスキーの現在〉〈大川宣純〉〈俳人・清水義介〉〈土方巽・舞踏〉〈宮沢賢治の現在〉〈連句の現在〉〈ドストエフスキー〉〈宮沢賢治〉〈つげ義春 “現在”に読み継がれるつげ漫画〉〈宮沢賢治 第三弾〉〈三島由紀夫&舞踏〉〈寺山修司〉〈『海辺の光景&宮沢賢治〉〈つげ義春山本陽子〉〈日本大学芸術学部文芸学科卒業制作〉――各々の特集に企画者の深い思いが込められている。

 

 わたしは28号の編集後記(一九九五年九月)に「このように振り返ってみると、ドストエフスキー宮沢賢治といったすでに評価の定まった文学者ばかりではなく、山本陽子、清水義介といった日藝出身者、大川宣純といった無名の詩人の掘り起こしに力をいれてきたことがはっきりする。わたしは編集をしながら、時折『江古田文学』は彷徨える文学の魂の憑巫になっているのではないかとおもったこともある」と書いた。この思いは二十七年後の今も変わらない。

 29号からはわたしが文芸学科主任に任命されたので、編集長の任を当時助手であった上田薫に託し、わたしは発行人および執筆者として「江古田文学」に関わることになった。判型はB5判からA5判に変わったが、特集主義は受け継がれた。代表的な特集は〈落語〉〈聖地〉〈大野一雄VS日芸生〉〈宮沢賢治、最後の生誕一〇〇周年〉〈アンドレイ・タルコフスキー〉〈総力特集 金子みすゞ 没後七十年〉〈紙へのフェティシズム・空間へのアプローチ〉〈川端康成生誕百年〉〈金子みすゞと女性たち〉〈吉田一穂〉〈宮沢賢治――二十世紀最後の宮沢賢治〉〈辻まこと――没後四半世紀〉〈疾走感〉〈夏目漱石 新しい漱石像を目指して〉〈森鴎外〉などである。

 上田編集長時代は、常連の執筆陣に加え、第二世代の旺盛な活躍で誌面を賑わせた。金子みすゞ、吉田一穂特集などは新聞や書評誌などにも取り上げられ、「江古田文学」の社会的認知度を高めることになった。第二次「江古田文学」は二十年の歳月をかけてようやく江古田の地に根をおろしたと言えようか。が、油断はならない。いつ大嵐が襲ってこないとも限らない。

 平成十四年(二〇〇二)四月より、上田編集長が一年間のフランス留学で日本を離れることになったので、新編集長に小説家の佐藤洋次郎(当時文芸学科助教授)に担当してもらうことになった。この時にはすでに第二次「江古田文学」も49号に達しており、数多の文芸誌、学内誌のなかにあっても独自のものを築き上げてきたという自負もあった。酒井教授より提案のあった江古田文学賞設立の機がいよいよ熟したのである。

 江古田文学賞設立に関しては50号に掲載の「新たなる『江古田文学』へ――江古田文学座談会――」に詳しい。此経啓助、村上玄一、中村文昭、佐藤洋次郎、清水正によるこの座談会を読めば、各氏の「江古田文学」および江古田文学賞に対する熱い思いが伝わってくるであろう。ほんの少しアトランダムに引用しておく。

 「学生の持っているセンスや、閃きは素晴らしいと思います。そういったものをどう伸ばすか、というのが問題ですね。江古田文学で具体的にどのようなことができるのか。僕はジャーナリズムを担当しているので、世間の目を代表しているようなものですよね。学生の作品をゼミ雑誌なんかで読んでいると、ほとんどが小説作品なんですが、それらを何らかの形で江古田文学に反映していきたいですね」(此経)、「僕は文学というものは果実を育てるようなものだと思っています。(略)木がひとりでは育たないように、ひとりでは物書きにはなれないんです。編集者や先輩の作家たち、同人誌の先輩、そういった人々の助けがあってこそなれるもの」(佐藤)、「極端なことを言えば、作家なんて百年に一人出てくればいいんですよ。一五〇人もの学生が毎年入学してきて、全員が全員、作家や批評家になれるわけがない。文学というのは誰にも教えてもらえない厳しい世界ですよ」(清水)、「ことばは人を救うこともあれば、トラウマになるほどの傷を生むこともある。ことばは表現以前の問題をくみあげることができる。江古田文学賞が、今のひどい文学状況において、ことばというものを根本的に考え直すためのいいきっかけになればいいと思いますね」(中村)、「賞をもらえるかもらえないかは別として、たとえ落選しても「自分は精一杯やったんだ」という充実感というか、努力した人にはそういうものが生まれるはずです。(略)実際に書いて、応募することが大切で、意味もあると思います」(村上)。

当時、助手であった山下聖美(現在、文芸学科主任教授、江古田文学発行人)が司会を務めているのも感慨深い。「江古田文学」はそれに関わる者たちの様々な思いと熱情を刻みながら休むことなく成長してきたというわけである。

 第一回江古田文学賞は岡本陽介(文芸学科一年)の「塔」が受賞し、第一回優秀賞に松田祥子(文芸学科二年)の「ピンクレディー」が受賞した。選考委員は此経啓助、佐藤洋次郎、清水正、村上玄一の四人。51号(二〇〇二年十一月)に受賞作と選評が掲載されている。選評を読めば明白なように小説の評価は選者によって異なる。文学・芸術作品をはかる絶対基準はなく、畢竟、選考者各位の文学観に基づくほかはない。

 江古田文学賞設立記念パーティは平成十四年(二〇〇二)十一月二十九日(金)午後七時より、池袋ホテルメトロポリタン「富士の間」において盛大に開催された。参加者は三浦朱門(元日芸文芸学科教授、元文化庁長官、小説家)、小沢信夫(昭和二十九年度文芸学科卒業、作家)など招待者七名、日芸教職員など大学関係者二十名、一般及び卒業生四十二名、一般会員三十九名、文芸学科学生二十名、受付・撮影などを担当した学生係員八名の計百三十六名。

挨拶する清水正会長

第一回江古田文学賞授与式

第一回江古田文学賞受賞者・岡本陽介(文芸学科一年)氏

 

第一回優秀賞受賞者・松田祥子(文芸学科二年)氏

 

 パーティは清水正(会長、昭和四十六年度文芸学科卒、当時文芸学科主任教授)の挨拶の後、授賞式が行われた。その後、此経啓助(常任理事、昭和四十年度文芸学科卒、当時文芸学科講師)の乾杯の音頭があり、受賞者、編集長、来賓者の挨拶と続いた。午後八時からはビデオ作品「小説家になりたい――江古田文学賞を目指す若者たち」(学生サークル「日藝NIMEワールドソルジャーチーム」と「ラスクTV」の共同製作。江古田文学賞に応募する文芸学科生を追うドキュメンタリー)を上映。八時半より舞踏家・わりさわ憂羅によるフラメンコ(ギター・山中英樹、カンタ・大橋範子)が会場を大いに盛り上げた。九時、村上玄一(常任理事、昭和四十六年度文芸学科卒、当時文芸学科講師)による閉会の辞。二時間にわたるパーティは盛況のうちに幕を下ろした。

舞踏家・わりさわ憂羅によるフラメンコ

清水正と浅沼璞氏

談笑する平岩昭三氏と三浦朱門氏(右)

受賞者と歓談する多岐祐介氏(中央)と中村文昭氏(右)

受賞者を見送る山下聖美氏

 このパーティの模様は此経啓助「日芸講師列伝(第四回)小説家・三浦朱門」(「江古田文学」54号)に詳しい。三浦朱門はわたしが文芸学科に入学した昭和四十三年(一九六八)当時、文芸学科教授でクラス担任を兼ねた演習授業を担当していた。入学してすぐに大学紛争が勃発、校舎は全共闘の学生たちによって封鎖された。授業は一、二回ほどしか実施されなかった。翌四十四年の三月、三浦朱門赤塚行雄(当時文芸学科助教授、文芸学科卒)と共に日芸を辞し、八月には共著『さらば日本大学――バッタ派教師の見た日大紛争――』(文藝春秋)を刊行している。小沢信男は文芸学科の大先輩だが、わたしが編集長時代、俳人・清水義介(文芸学科卒)特集を組むときにたいへんお世話になった。

 文芸学科及び第一次「江古田文学」と進藤純孝、三浦朱門赤塚行雄小沢信男の関係などに関しては此経啓助「日芸講師列伝(第三回)文芸評論家・進藤純孝」(「江古田文学」53号)、此経啓助「六〇年代の文芸学科(回想)」(前掲)と、清水正「情念で綴る「江古田文学」クロニクル――または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様――」(「江古田文学」100号)に詳しいので、是非お読みいただきたい。文芸学科に歴史あり、「江古田文学」に歴史あり、である。

 文芸学科の学生は単独者が多いこともあり、横と縦のつながりは希薄である。第一回江古田文学賞設立パーティで卒業生と現役の学生の交流がもてたことは幸いであった。文学的営為と派手なパーティは相応しからぬという思いもあったが、参加者の溌剌とした笑顔に接しているとその思いは払拭した。文学作品は作者の孤独の現場から紡ぎ出されてくるが、たまにはみんなで集まって賑やかに時を過ごすこともありかなと思った。特に受賞者にとっては記念すべき日となったであろう。

 わたしの批評生活五十年の間、主に批評の対象とした作家はドストエフスキー宮沢賢治である。彼らに〈文学賞〉は無縁であった。本来、文学的営為と文学賞とは無関係で、賞を目指して作品を書くなどということは本末転倒である。文学賞に応募する者は、賞に対する逆説、イロニーぐらいは内深くに抱えていなければならないだろう。いずれにせよ、書きつづける内在的なマグマが枯渇しないかぎり、孤独な荒野を歩むほかはない。歴史に名を残した作家は、人間と世界の神秘に直面し、孤独に徹して表現の現場に踏みとどまった者のみである。

 最後に、第二次「江古田文学」復刊の立役者であった進藤純孝が江古田文学会会報第2号(昭和60年7月10日)に寄せた文章「奏でよ生の疼み」の一節を引いて幕を下ろすことにする。「時世に妥協したり、時節に迎合しながら憂い顔を晒す無恥は願い下げ。ただとぼとぼと千里の道を憩うことなく歩みたいもの。同志、奏でよ、生の疼みを!」――お後がよろしいようで。(二〇二二年一月十三日)

 

 

 

 

 

近況報告

相変わらずの神経痛生活を送っているが、ロシアのウクライナ侵攻問題は長引きそうな様相を呈してきた。わたしは極力、時局的なことに関しては発言を控えてきたが、今回はずっと書き続けている『罪と罰』論の一部として本ブログに何回かにわたって連載したいと思う。タイトルは「プーチンと『罪と罰』」としておく。

 

プーチンと『罪と罰』(連載1)

清水正

 

 四ヶ月の空白をおいて執筆を再開する。二月二十四日よりロシアによるウクライナ侵攻が始まり、依然として決着がついていない。この四ヶ月の間、ウクライナ関係の動画を観ながらいろいろと考えさせられた。プーチンはまるで独裁者のように振る舞っている。彼は戦場において殺人を余儀なくされる人々の心のうちをどのように考えているのだろうか。話し合いによる決着がつかない場合は、武力をもって解決をはかるという、人類史上例外なく行われてきた手段をプーチンは決断し実行に移した。ウクライナの大統領ゼレンスキーもまた断固として戦う意志を表明し、西欧諸国の応援を仰いでいる。戦争は容易に終結する見込みがたっていない。

 わたしはトルストイの宗教論文をまとめて読んだ。「神の王国は汝らのうちにあり」「教義神学の批判」「懺悔」「わが信仰はいずれにありや」などである。正直言って退屈であった。一ページで書けることを百ページも二百ページも費やして書いているように思えた。キリストの教え、その一つだけでもいい、たとえば「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとするする者には、上着もやりなさい。」(マタイ福音書第5章38~40節)を忠実に守ることがキリスト者であるなら、キリスト者に求められているのはその実行あるのみである。今、ウクライナ戦争を眼前にして、このキリストの言葉を実行しているキリスト者が世界に何人いるだろうか。テレビの報道番組のコメンテーターに政治・経済・軍事の専門家が招かれても、キリスト者は招かれない。「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」とか「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書第5章44節)などと口にすることは、祖国を守るために戦っているウクライナ国民に対する最大の侮辱とさえ受け取られかねない。テレビは今でも〈民主主義〉という幻想を後生大事に守っており、それを基盤に政治・経済・軍事に関するコメントを許しており、未だ宗教や文学の次元でのコメントを無自覚のままに封印している。

 先日、動画を観ているとロシア正教会のキリル総主教が出ていた。彼はプーチンウクライナ侵攻を支持する総主教で、画面ではプーチンと仲良く並んで歩いていた。トルストイは執拗に厳しく正教会批判を展開していたが、戦争を支持するキリルが現在のロシア正教会のトップに君臨していることだけを見ても、トルストイの批判は的を射ていると言えよう。莫大な金をかけた荘厳豪華な正教会堂、キリル総主教が身にまとったキンピカピカの僧衣、いかにも威厳ありそうな杖など、トルストイの言葉を待つまでもなく、いかに〈正教会〉がキリストの教えと深く断絶しているかが明白である。福音書を読むことのできる現代の正教徒たちは、キリストの教えをどのように受け止めているのだろうか。

 別の動画で、ロシアから亡命している作家アクーニンが登場、彼は厳しくプーチンを批判、本当のロシアはプーチンが支配するロシアではなく、ドストエフスキートルストイチェーホフのロシアこそ本当のロシアなのだと語っていた。いったい今のロシア人たちは、これら十九世紀の偉大な文豪たちの作品をどのように読んでいるのだろうか。トルストイは暴力否定と正教会批判で、キリストの愛と赦しを引き継いだ。ドストエフスキーは、人間の心は神と悪魔の永遠に決着のつかない広大無辺の戦場だと言った。ドストエフスキーの大いなるディオニュソス的精神世界にあっては、絶対正義・真実としての一義的主張をなすことはできないが、しかし彼こそはサストラダーニィエ(сострадание=同情・憐憫)を誰よりも深く描いた作家であることに間違いはない。

 

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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目次

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