文芸批評の王道 ── 夏目漱石から清水正へ──(連載1 此経啓助

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 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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shimizumasashi20@gmail.com

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

ドストエフスキー曼陀羅」9号に掲載した此経啓助氏の原稿を連載します。

文芸批評の王道
   夏目漱石から清水正
 連載1 
此経啓助

はじめに
  清水正先生の「ドストエフスキー論執筆 50 周年」を祝って、 昨年(二〇一八年)の一一月二三日(勤労感謝の祝日)に「清 水正先生大勤労感謝祭」が開かれた。私は先生の執筆開始時 代からの長い縁で、短い挨拶をさせてもらった。先生の五〇 年の文芸批評人生を振り返ると、作家・夏目漱石の出発点の 記念碑『文学論』が思い起こされる、といった話をした。清 水先生は近年、ドストエフスキーは当然として、宮沢賢治林芙美子も「世界文学の地平」から論じられなければならな い作家だ、としばしばいう。夏目漱石はロンドン留学時代、 「世界文学の地平」から「文学」とは何かについて考え、苦 悩した。それを強くしのばせる作品が『文学論』だが、清水先生の「ドストエフスキー論」執筆開始時代の記念碑『ドス トエフスキー体験』もまたその苦悩を核としてなった作品だ。 私は恥ずかしながら近年まで、つまり先生が「世界文学の地 平」を口にされるまで、先生の仕事を「ドストエフスキー論」 を柱にした狭義の文芸批評と考えていた。
  しかし、私は最近、漱石が作家デビュー時に考え抜いた 「文学論」「文学評論」「英文学形式論」三部作を紐解いて、 清水先生の文芸批評を出発点から「世界文学の地平」におい て考え直さねばならない、と反省した。たとえば、漱石の 「自己本位」は漱石の文学世界を貫くキーワードだが、私は 清水先生の『ドストエフスキー体験』もまた「自己本位」に ついてよく考えられており、漱石も先生も「自己本位」の立 場からそれぞれの文学世界を切り開いて、「世界文学の地平」 に到達したように思う。
  清水先生は「世界文学の地平」とか「世界文学の次元」と しばしば述べるが、本当いえば、私は先生が「世界文学」に どんな意味を込めて述べているのかよく理解していない。私 はとりあえず、「世界文学」を「多義性の象徴を生み出す原 思想」を宿すもの、と考えている。実は、このことばは哲学 者・鶴見俊輔民俗学者谷川健一の対談のタイトルだ。そ こで鶴見は「世界小説というのは、世界を一つのものとして とらえる感覚で貫かれているもの」ともいっていて、それも 「世界文学」の定義に付け加えたい。
  この小文は思いついたことを思いつくままに書き連ねたも ので、清水先生と漱石の比較はアナロジーの域を出ない仮説 のようなものだが、清水先生が文芸批評の王道を歩み続け て、「世界文学の地平」に到達したことを明かせれば幸いだ。