文芸批評の王道    夏目漱石から清水正へ 連載2 此経啓助

報告

自宅(清水正D文学研究会)の住所名が昨年下記のように変更になりました。

〒270-1151 千葉県我孫子市本町3-6-19

 郵便物などはこの住所宛にお送りください。

 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオク

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。

日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

ドストエフスキー曼陀羅」9号に掲載した此経啓助氏の原稿を連載します。

文芸批評の王道
   夏目漱石から清水正
 連載2

 
此経啓助

「自己本位」の原点
  清水先生の処女評論集『ドストエフスキー体験』は、先生 の「感謝祭」に出版された雑誌『ドストエフスキー曼陀羅   特別号』添付の「清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜」 によれば、「十九歳から二十歳にかけて憑かれるようにして 執筆したドストエフスキー論。『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カ ラマーゾフの兄弟』論を収録」したものだ。同書の「あとが き」で、「私はドストエフスキー作品を読んだ時の感動をそのまま表現したかった。けれどもエッセイを書くことは、私 にとって躓きであった。偉大な作品を分析しようとする試み は常に失敗せざるを得ないのだし、それだからこそ偉大な作 品と言えるのだろう」と述べている。感動の率直な体験記述 とそこから距離をおいた作品分析(エッセイ)との間の溝を、 どのように架橋していくか。
  先生のデビュー当時、溝は広かった。「自筆年譜」に、先 生のはじめての講演(「ドストエフスキーの会」の講演「『罪 と罰』と私」)での先生が「会衆の毒気を抜いた」様子が載っ ている。
  「居心地が悪い。ズカズカ人の居間に土足で上り込まれた ようで苛立たしい。ルール無視の話し方だ。(中略)個性的 である。数多く頒布されている評論解説の影響と模倣がみら れない。裸の肉体をドストエフスキー御本尊にぶっつけて得 た紛れもない自分の言葉で語り続ける」(近藤承神子「第九 回例会印象記」)
  五〇年後の先生は、こう振り返っている。

  「この近藤氏の例会印象記は当時のわたしのドストエフス キーに憑かれていた姿をよくとらえている。わたしはわたし のドストエフスキーをわたしの言葉で語ったまでだ。が、そ の言葉はある種の人にとっては常軌を逸した熱狂的な言葉に 聞こえ、苛立ちを覚えるのだろう。わたしの批評はテキスト に揺さぶりをかけて一度テキストを解体し、再構築をはかって作品化するという試みである。テキストが〈人間〉である 場合、揺さぶられて解体されてはたまらないと感じ、はげし く抵抗するのもとうぜんということか」(「自筆年譜」に付け られた「自註」より)
  一方、漱石は待望の「語学研鑽でなく文学研究も可とする」 という文部省からの一札をとってロンドン留学をはじめたの だが、留学には漱石の「文学」とは何かという問いへの熱い 思いがあった。漱石は『文学論』の「序」で、こう述べる。
  「大学を卒業して数年の後、遠きロンドンの孤燈の下に、 余が思想ははじめてこの局所に出会せり。(中略)余がこの 時はじめて、こゝに気が付きたるは恥辱ながら事実なり。余 はこゝにおいて根本的に文学とはいかなるものぞといへる問 題を解釈せんと決心したり」(角川書店刊『夏目漱石全集 14 』 所収)
  この問題の回答が前述の三部作に込められている訳だが、 それらは漱石が帰国後、東京大学で講義したテキストでもあ る。帰国後、最初に講義したのが「英文学形式論」で、もと もとの題目は「英文学概説」だった。次が「文学論」で、漱 石本命の講義だった。続けて「文学評論」を講義した。『文 学評論』にまとめられた内容は十八世紀のイギリス文学史だ が、講義のガイダンスに相当する「第一編   序言」で、文学 研究の手続きをめぐって長々と自説を展開している。要点は こうだ。(『同全集 15 』より)
  まず漱石は私たちが作品に「対する態度は大別して二とな す」という。「一は自己の好 こうしょう 尚をもってこれに対するもの、 すなわちあるものを見るのに面白いとか詰 つま らないとかいう態 度である。しばらくこれを称して鑑賞的( appreciative )と いっておこう。他の一つは自己の好尚があるないにかゝわ らずしてそのものの構造、組織、形状等を知るための態度 で、すこぶる冷静なるものである。しばらくこれを称して非 鑑賞的( non-appreciative )または批評的( critical )といっ ておこう」。しかし、この二つの態度を作品解釈の手続きと して詳細に見れば、「最初は面白かったから面白かったとい う感情から出立する。この点においては鑑賞的な態度であ る。しかしいったん出立した後は分解をやるのみである。と ころがこの分解は批評的な態度ではじめてできるものであ る。してみるとこの手続はまるで感情的ばかりではない。す なわち双方の混じたものである。吾人の物に対する態度の 第一を鑑賞的と名づけ、第二を批評的と名づけたが、この 三は中間にあって双方を含むものだから批評的鑑賞( criticoappriciative )とでも名づけてよかろうと思う」とまとめている。
  もちろん、漱石はこれが理論上の手続きであって、実際の 「批評的鑑賞」がどれだけ混沌としているかをよく承知して いる。「外国文学を研究している者は言語の相違という障害 物に迷わされて」とか。
  「しからば吾人が批評的鑑賞の態度をもって外国文学に向う時は、いかにしたらよかろう。余はこれに二法あると思 う。一は言語の障害ということに頓 とんちゃく 着せず、明瞭も不明瞭も 容赦なく、西洋人の意見に合うが合うまいが、顧慮するとこ ろなく、なんでも自分がある作品に対して感じたとおりを遠 慮なく分析してかゝるのである。これはすこぶる大胆にして 臆 おくめん 面のない遣 や り口 くち であると同時に、自然にして正直な、詐 いつわ り のない批評ができる。しかしてこの批評が時とすると外国人 の批評と正反対になることがある。しかし西洋人と反対にな るということが、あながちに自己の浅薄ということの証明に はならない。これを浅薄と考うるのは今の世の外国文学を研 究する者の一般の弊であって、吾人は深く省みてある程度ま でこの弊を矯 きょうせい 正しなくてはならん」
  「批評的鑑賞の態度についていま一つの方法は西洋人がそ の自国の作品に対しての感じおよび分析を諸書からかり集め て、これを諸君の前に陳列して参考に供するのである。これ は自己の感ではなく、他人の感である。他人がある文学上の 作品に対する感は自己の感ではないが、自己の感を養成もし くは比較するうえにおいて大なる参考となる」
  漱石は後者も教育の現場ではそれなりの意義があると考え ていたが、講義では前者を選び、私たちはその成果を『文学 評論』を含む三部作に読むことができる。清水先生の『ドス トエフスキー体験』も前者の態度で書かれている。漱石のこ とばを借りれば、「自己本位」の態度で書かれている。近代文学研究者の吉田精一は『同全集 14 』の「解説」で、『文学論』 をこう評している。
  「(「文学論」は)英文学に対して、日本人の立場から、自 己の思想感情に即した、独特の解析と追求を加えようとした ところに出発する。いわゆる「自己本位」に立脚して、他人 の受け売りでもなく、紹介でもない、明白に自己の著作とし て後世に伝えうる独創の学説を樹立しようとしたものであっ た」
  また、『文学評論』をこう批評している。(『同全集 15 』「解説」)

  「「文学評論」は十八世紀前半の英文学史に相違ないが、あ くまで著者漱石の個性がみなぎっている点で、かいなでの文 学史とは、はっきり選をことにしている。彼のいわゆる「自 己本位」の立場をつらぬいて、犀利な評論をほしいままにし ているのである」
  漱石は晩年、学習院の講演「私の個人主義」において、学 生時代・留学時代の不安や迷いを述懐して、「自己本位」と いう立場を見出すことによって強くなれた、と語っている。 この「自己本位」の原点が『文学論』にあり、『文学評論』「序 言」の前者の態度にあることは断るまでもないが、「自己本位」 の意味自体は「利己」一辺倒でなく、「利他」とも上手に折 り合いをつけた哲学的な深さと広い世界観を持っている。後 世の吉田精一はこの漱石晩年の「自己本位」を使うことで、『文 学論』や『文学評論』がそうした意味を宿した未来の漱石学につながる作品に位置づけることができた。
  同様に、清水先生の『ドストエフスキー体験』もまた、先 生自身の「自註」が説明しているように、「自己本位」と同 等の哲学的な深さと広い世界観(「解体と再構築」)を持った 未来の清水文学につながる作品だといえよう。