ネット版「Д文学通信」15号(通算1445号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載第11回)

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ネット版「Д文学通信」15号(通算1445号)           2021年11月20日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第11回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

四、西洋の絶対者(ユダヤキリスト教の神)と群衆道徳 ニーチェの亡霊と共に

 

絶対者(一者)と神

 

 あらゆる感覚・経験、ひいては認識・理性・思惟さえも超越した、それ自身は何者にも動かされず、それ自身が依存しそれ自身を規定する他者・根拠・制約・制限・束縛が皆無であり(唯一の不被動者)、一切のものを自己自身のみを根拠として完全無欠かつ自発的・自立的・排他的に創り出して動かし(第一原因である不動かつ万能の動者)、その万物創造の手段・方法も絶対に誤ることなく、その誤謬の非在を確認する根拠も自己自身であり、従って、誤謬の非在の確認自体が永久に不要であり、自身以外の何者をも思惟せず、思惟自体であり(思惟の思惟)、最高善としての自己自身のみを観想し、その永遠不変・普遍の存在の自明性も決して疑われない、不可分な本源的・究極的・超越的存在。

 このような存在を指して我々人間は、「アルケー(arkhē)」、「アペイロン(apeiron)」、「イデア(idea)」、「ウーシア(ousia)」、「フュシス(physis)」、「コスモス(宇宙、kosmos)」、「無制約者」、「一者(to hen)」、「第一者(to prōton)」、「不動の動者(to prton knn aknton)」、「善(to agathon)」、「絶対者(the Absolute)」、「神(God)」、「唯一神」、「主」、「創造主」、「実体」、「物自体(Ding an sich」、「ヌーメノン(noumenon)」、「真理」、「意志」、「本質」、「道徳」、「精神」など、様々に、あるいは好きなように呼び習わしてきた。これらの全てが、西洋人、とりわけギリシャ人やユダヤ人が見出した実在、いや、発明した観念である。

 このような存在について、現在世界中の、特に先進国の一般市民によって最も頻繁に用いられている語は、アブラハム一神教ないしキリスト教における絶対者の意味での「神」であることは疑いようもない。要するに、ごく普通に現存する地球人類・先進国民が思い描く(義務的に思い描くように設定されている)絶対者とは、一神教的・キリスト教的「神」のことである。

 ところで、このような群衆にとっての「絶対者」は、後述する宇宙の始原としての「絶対者」とは異なるのである。ここに、世界宗教の実態に沿った「絶対者」観を見ていきたい。

 さてまずは、哲人たち(ニーチェ、松原寛、巫女たち)が生きた、あるいは現に生きている時代を中心に、群衆の「絶対者」観の盛衰を見てみたい。ここで見るのは、個々人が自身の実存を意識した現存在・単独者として向き合う絶対者(例えば、ニーチェや松原寛にとっての真のキリスト教)ではなく、社会学において匿名性、無責任性、熱狂性、被暗示性(他者・隣人への染まりやすさ)などを持つマスの人間集団と解されているところの大衆・愚衆(衆愚)・群衆が持つ暴力(群集心理)が掲げる絶対者である。ニーチェが「弱者道徳」、「奴隷道徳」と名指しした勢力、オルテガの『大衆の反逆』において批判されたところの大衆、エリアス・カネッティの『群衆と権力』において分析されたところの群衆が主張する、排他的な(特に異教徒・未開民族を見下す)絶対真理である。

 特に今回取り上げているニーチェ、松原寛、巫女たち(曾祖母、祖母、母、本人たち)は、生きた時代が重なり合いつつも、ずれている。そのため、西洋世界については、ニーチェの死後の二十世紀から今世紀初頭の大衆の有様をも見ておこう。日本についても、松原寛が書きようもなかった戦後を補っておこう。

 

世界の覇者としてのキリスト教、およびユダヤ教キリスト教イスラム教の関係

 

 アブラハムの宗教・啓示宗教としては、三位一体の神としてのイエス・キリストも、ユダヤの神ヤハウェも、イスラムの神アッラーも同じものだが、結局はキリスト教文明・欧米列強勢、すなわち新約の神(を奉じる民)こそが地球の覇者であることは疑いようもない。

 帝国植民地主義、二度の世界大戦、冷戦、イスラムテロリズムとの戦いを経て完成されたキリスト教道徳の地球制覇は、G7(主要七カ国)のうち唯一の非キリスト教国が日本のみであるという現実に、あからさまに現れている。

 このうち、米国はユダヤイスラエルと強固に結託しており、またロシアが参加停止となったため(G8からG7に移行)、西欧・米のカトリックプロテスタントの道徳、とりわけ米国のプロテスタンティズムの道徳が世界道徳であるという構図、これをカトリック総本山・バチカン教皇庁が人道・平和主義観点からなだめるという構図が、より鮮明になった。

 無論、それでもってキリスト教が地球上で最も正しい宗教であることにはならない。だが現実として、国際社会で通用する汎用的意見とは、キリスト教のものであることに変わりはない。「旧約」と「新約」なる語も、キリスト教による言い回しである。ここには、人間の「進化」の担い手をキリスト教的価値観とする思想がはっきりと現れている。「宗教」を意味する「religion」も、元来はただ「再契約」の意味であり、のちにキリスト教・列強勢力の世界進出で「宗教」の意味として一般語化したものである。

 語義から言えば、「新約の宗教」以外は(真っ当な)宗教ではないことになる。しかし、そうであるならば逆に、「神との再契約」を教義に含まない思想は全て宗教とすべきでない。にもかかわらず、仏教や神道儒教道教が東洋・日本古来の「religion」として紹介されている。このような翻訳を断りなく、さりげなく行っている欧米と日本の翻訳家については、その仕事に疑いの目を向けるべきである。我々日本人はこの現実に対して厳格かつ丁寧に怒らなければならない。私の中で「神道」は、例えば「Japanese amor fati spirit(日本的神的運命愛精神)」や「Japanese élan d'amour spirit(日本的神的純粋持続愛躍動精神)」である。

 では一体、キリスト教は「何」に対してここまで「勝った」のだろうか。面白いことに、ユダヤ教イスラエルをめぐる問題に目を向けてみても、一昔前は、米国の頑なな親ユダヤ人・親イスラエルの態度は、米国内のユダヤ人およびユダヤ系圧力団体の力によるものと言われていた。米国政府そのものにユダヤ系が多数潜り込んでいるとか、ユダヤ系秘密結社(裏の米国政府)まで暗躍していてホワイトハウスはお飾りの権力と建物にすぎない、という噂もあった。

 私自身がこの一見オカルトじみた可能性、つまり米国はWASP(ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント)よりもユダヤ人の支配国家である可能性について、今でも半ば「さもありなん」と考えているが、しかし冷静に考えると、そのユダヤ系の人口は米国のわずか一~二パーセントである。イスラエルユダヤ人人口にようやく届くか否かの人口である。

 蓋を開けてみれば、七千万人強もいるプロテスタント福音派、要するにアメリカの相当数の一般国民こそが、ヘブライ人と福音派の同流・一体説を根深いところで持っており、この兄弟愛が米国の親イスラエルの態度を形成していることが分かってきた。これが、十五年前くらいから盛んに耳にする現状である。私は仕事で時々、日本外国特派員教会(FCCJ)に行くのだが、聞こえてくるのはこのような、日本の旧メディア(新聞・テレビ)の偏向報道から外れた世界の現状である。

 アメリカの福音派市民による一方的なヘブライ人兄弟説は、現地イスラエルによる反イスラム感情とは全く関係がないところで動いている。そこに、ユダヤイスラエルどころか米国に、米国どころか白人に、白人どころか自分にしか興味がないトランプ大統領が登場した。トランプ大統領の思想は、「アメリカ・ファースト」はさることながら、自分たちのキリスト教が最も正しいのではなく、自分のキリスト教が最も正しいとするものである。

 だが、トランプ大統領の最大の支持基盤こそ、福音派市民である。福音派によるトランプ大統領愛とユダヤイスラエル愛の背後には、聖書に忠実な態度、「神」概念の共有があるのである。

 だから、米国の大統領・政府よりもまず米国民こそが親ヘブライで、政府の親イスラエルの態度はユダヤ資本・ユダヤ系圧力団体ではなく米国民、米国という国柄が勝手に支えていることが、ますます浮き彫りになってきた。イスラエルは、米国の内情に介入せず、ただ淡々と米国市民宗教としてのキリスト教プロテスタントを便利な兄弟として利用しているだけなのだろう。つまり、その兄弟愛を心から受け入れているとは思えない。ニーチェに言わせれば、米国政府・米軍やイスラエルどころか、米国の群衆こそが悪質な「キリスト教道徳」の持ち主であるに違いない。

 アッラーを信奉する現代のイスラム原理主義者・テロリストも、紛れもなくキリスト教的な「神」、いや、むしろそれを信奉し口実とする巨大な西洋科学文明のことが気になっており、その繁栄への羨望が強烈に意識にあるからこそ、テロリズムを引き起こしているとも言える。イスラム国ことISILが宣伝に利用したのは、欧米の科学文明が生み出したYouTubeSNSだったではないか。つまりは、彼ら自身がキリスト教国の先進文明を、これを猿真似するという非常に低俗な敗北によって自動的に勝たせている面がある。

 そして、米国も本気でテロリズムを撲滅する気はない。米国によるムジャーヒディーン(ジハード戦士)、ウサーマ・ビン・ラーディン、アル=カーイダへの資金提供や、ターリバーン政権への支持など、キリスト教の正当性を盾に取った超大国の本当の動きを忘れるわけにはいかない。米国にとって、ジハード戦士たちは今でも便利な駒である。これらのテロリズムは、米国と西欧諸国が生み出したものである。

 キリスト教的価値観は、米国民の道徳に化身して、ユダヤにもイスラムにも、そして自国政府にも勝利したのである。

 

「同じ穴の狢」としての一神教キリスト教の内部抗争

 

 奇しくもニーチェの死の直後、二十世紀初頭に乱発されたフサイン=マクマホン協定、バルフォア宣言サイクス・ピコ協定まで遡っただけでも、結局中東問題は、一神教の、いや(ユダヤ教でもイスラム教でもなく)キリスト教キリスト教国家勢の身内トラブル、内部抗争が発生させたものであることがよく分かる。

 米国、イスラエル、アラブ、イラク、イラン、イスラムのテロリストたちの所業を逐一見ていくと、どんどん彼らのやっていることの違いが分からなくなってくる。今、皮肉を込めて言えば、「同じ穴の狢」としてのアブラハム一神教が私に意識されている。

 その「同じ穴の狢」による神と啓典の民の自滅が、次世代の覇者たる中国共産党の一帯一路やインド・モディ政権のヒンドゥーナショナリズム(いわば次のキリスト教的価値道徳)の台頭の、直接かつ唯一の原因であることに気づいている一神教徒は少ない。現代のヒンドゥーナショナリズムが主張するヒンドゥー教は、英領インド帝国での宗教改革で支配層によってキリスト教化された、合理主義的なヒンドゥー教である。

むしろ、人類が地球に誕生して以来、最も多くの人間を殺害し、最も多くの自己犠牲を払わなかった宗教がキリスト教であることは、隠すことができない。今のEU対英国の争いも、キリスト教的価値観とキリスト教的価値観の抗争である。地球はどこまで行っても、キリスト教的価値観勝利の惑星である。

 キリスト教は、既存のユダヤ教に勝ち、新興のイスラム教に勝ち、ヒンドゥー教など他の大宗教に勝ち、社会主義共産主義に勝ってきた。最後には、米国の聖書至上主義者たちが、他のキリスト教派にさえ勝ち、自分たちの大統領を生み出した。つまり新たな群衆道徳が、かつて群衆道徳を創り出してきたはずのローマ教皇大司教の「神」にまで勝ったのだ。

 米国と、米国の傘下にある日本国政府、日本のマスコミは、日本国民に真実を悟らせないようにすることを使命としている。日本人は、勉強せずに大人しく日本の旧媒体(特に新聞)を信じ込んでおくというのが、最も気楽で幸せなのだと思う。しかし、気楽で幸せでいられない人は、私のようにわざわざ書いてしまう。ただ、書いてみれば、皮肉にも戦争・紛争を通じて、彼らが同じ神をめぐる「解釈」だけで揉めていることがよく分かる。

 なぜ皆戦争をやめないかと言うと、自分が死ぬのは嫌だが、戦争がなくなるのはつまらないからである。ただし、「自分が死ぬのは嫌だ」というのもまた、キリスト教道徳である。イスラムのテロリストたちは、自分が死んでもよいと思っている。そこからして、すでに立場がずれている。戦闘地域で死にかけた米兵は、帰国後に戦争神経症・急性ストレス障害PTSD心的外傷後ストレス障害)を発症しているが、イスラムのテロリストがストレス障害圏の症状を発症するわけはないのである。今日本で主に女性の性被害やDV被害後のストレス反応として多用されているPTSDなる概念は、元はヴェトナム戦争湾岸戦争における米兵(男性)の戦闘ストレス反応を理論化したものである。

西部邁が生きていれば、相変わらず米国を「ならず者国家」と言い続けたであろうが、西部氏の言葉を借りなくとも、中東問題すなわちアブラハムの宗教の永久合戦は今述べたような構造を持っている。

 しかし、キリスト教そのものが元は、自らの出所であるユダヤの絶対者の絶対性に憧れつつ、自らの絶対者解釈をも無限の相対化にすぎないと謙虚に了解した(ニーチェに言わせれば、いわばアポロン的かつディオニュソス的である大いなるディオニュソス的な)一派であったはずだとすれば、どうだろうか。それが今や、ユダヤイスラムを格下一神教に見る世界観を形作ったのは、大いなるディオニュソス精神を忘却したアメリカ型市民宗教としてのキリスト教プロテスタントであるのだとしたら、どうだろうか。

 ニーチェの亡霊は今頃、浅ましい弱者道徳の世界的蔓延に唖然としつつも、自らの思想と予言が正しかったと誇っているだろう。

 中東問題、アブラハムの宗教対立問題は、確かに一九〇〇年あたりを境に一変するので、今回取り上げているニーチェ(一八四四~一九〇〇年)と松原寛(一八九二~一九五七)とでは、プラトニズムの帰結である一神教の実態(戦争の最多記録宗教)について、見ている世界が全く違う。ニーチェドイツ国民にキリスト教の堕落を見、松原寛は西洋列強の植民地主義と日本のキリスト教徒にキリスト教の堕落を見た。しかし、その根源的問題は、今述べた通り、全く同じである。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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