下原康子「清水ドストエフスキー」のロマンチック批評

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

「清水ドストエフスキー」のロマンチック批評
下原康子

 

今振り返って残念に思うことがある。「ドストエーフスキ イの会」第九回例会(一九七〇年六月)の清水さんの発表 「『罪と罰』と私」が聞けなかったことだ。当時清水さんは二 十一歳だった。わたしが会に参加するようになったのは、同 年の十二月からで、会でじかにお会いしたことはないが清水 さんの名前はよく耳にしていた。憧れのまじった親しさを感 じていたと思う。わたしの目には会の人たちが『罪と罰』の 登場人物に重なって映ったものだ。新谷敬三郎先生はスヴィ ドリガイロフ(のちにはステパン先生)、江川卓さんはポル フィーリー(ご自分で「ぼくはポルフィーリーです。すっか りおしまいになった人間です」と言われたことがある)そし て、清水さんはもちろんラスコーリニコフだった。(「ラス コーリニコフ以上に長く密度の濃い関係を持ち続けている人間は実世界にはいない」と書かれている)。
 
小山田チカエさんのアトリエではじめて清水さんと顔を合 わせた。一九七七年のことだ。スラリとした長身、長髪、熱 を帯びたまなざし、ラスコーリニコフが宿ったかのような風 貌。近寄りがたい存在だった。それから半世紀近くの月日が 過ぎ去った。今のわたしの目にうつる清水さんは登場人物の だれでもないが、それでいてだれかしらに似ている。自ら選 びとったのかあるいはドストエフスキーから受けた啓示によ るものか、それはわからない。どちらにしろ「真の自分」を 探求するために苦行する求道者にみえる。清水さんの苦行と は休みなく書き続けることだ。

 

清水さんの批評は、登場人物一人一人にスポットをあてて ディテールを徹底的に読み込み、裏の裏までその人物を分析 し、その上で清水さん独自の想像を羽ばたかせる、そういう 手法である。「ロマンチック批評」と呼びたい。ドストエフ スキー作品には主役格(変人や病者が多い)のほかにストー リーに関係のない    それでも立派に名前のついた    小物 たちがあちこち出没して困惑させられるのだが、清水さんは そういう小物たちにも目を注ぐ。ドストエフスキー以上の愛 着を示すことさえある。清水さんの批評にはとまどうことも あるが、一方で目からうろこのひらめきを受け取ることも多 い。『ドストエフスキー罪と罰」の世界』からひらめきの いくつかをあげてみよう。
 
ひらめきその一、「『罪と罰』の主人公は〝ひとりの青年〟」 というアイディアはコロンブスの卵である。ラスコーリニ コフに対するステレオタイプの解釈がひとまず一掃できた。 おのずともうひとりの青年『未成年』のアルカージイが脳 裏に浮上してきた。ひらめきその二、「スヴィドリガイロフ は〈笑う幽霊〉である」よくぞ言い切ってくださいました。 すっきりしました。一方でポルフィーリー死者説にはいまだ 共感できない。わたしの場合、刑事コロンボのイメージが影 響しているかもしれない。ひらめきその三、「リザヴェータ 殺しに対するラスコーリニコフの無視とドストエフスキー
失念」この指摘は重要だと思う。ドストエフスキーはとき どき、あえて書かなかったりわざとわかりにくく書いたり と、躓きかねない仕掛けをする。もっともその仕掛けにひっ かかるのは察しが悪い読者だけかもしれないが。いずれにせ よ丁寧に再読して確認してみたくなるポイントである。ひら めきその四、「ルージンにこそ〝人間〟を発見しなければな らない」清水さんならではの主張だと思う。寛容なドストエ フスキーがルージンに対しては冷淡だ。ところが実世界にお いては俗人ルージンはそこいらじゅうに存在する。わたし自 身もルージンの気がないとは言い切れない。「人間はみな卑 劣漢だ。でも、もしかしたらそうではないかもしれない、と いう一瞬がドストエフスキー全作品を通して最も重要な瞬間 である」と清水さんは書いている。ルージンの克服は自分自 身との終わりのないふだんの闘いになるだろう。ひらめきそ の五、「ぶりっこ仮面ラズミーヒン」この発想はスヴィドリ ガイロフ幽霊説よりもある意味不気味で謎めいている。ラス コーリニコフが最初に告白した相手がソーニャではなくラズ ミーヒンだったのはなぜか。この場面を最後にラズミーヒン は読者の前から消える。謎が残る。ラズミーヒンは案外手ご わい。ひらめきその六、「カチェリーナのどん底の生存の絶 頂時は夫の法事である」この指摘は「カーニバル的世界感 覚」をみごとに言い当てていると同時にカチェリーナの性質 を的確に見抜いている。わたし自身ルージン以上にカチェリーナの気があることを自認しているので、カチェリーナに そそがれるドストエフスキーのまなざしのやさしさにほっと する。
 
わたしは一九九〇年ごろから「ドストエフスキーとてんか ん」というテーマに興味を持つようになったが、清水さんは すでに一九七〇年代から初期作品(『分身』『プロハルチン 氏』『おかみさん』)の主人公のなかに現れたてんかん的な精 神病理を指摘されていた。(『ドストエフスキー初期作品の世 界』)。ドストエフスキー遍歴がスタートしたそのときから清 水さんの探求の徹底ぶり、思索の純粋さ、書くことへの情熱 と意志は並大抵のものではなかった。それから半世紀にわ たって書き続けられた「清水ドストエフスキー山脈」の全貌 が、ようやくわたしの目にも望めるようになった。一方で、 ドストエフスキーの永遠の愛弟子である清水さんの遍歴に終 わりはない。何年も先になって清水先生の教え子たちの脳裏 にドストエフスキーが浮かぶであろうことをわたしは疑わな い。ドストエフスキーの年齢を越えた清水さんの「回想のド ストエフスキー」を期待している。

(しもはら・やすこ   司書、ドストエーフスキイ全作品を読む会世話人