都市由希野「ドストエフスキー曼陀羅」展の感想

ドストエフスキー曼陀羅」展の感想

 都市由希野

 

 

今年は山下先生の文芸特殊研究Ⅰの夏休みの課題が罪と罰を読むというもので、先日の授業にもドストエフスキー博物館からマリーナさんが来て下さりロシア語でドストエフスキーについての講義をなさってくれました。また、雑誌研究の授業でも前期からドストエフスキーについて先生が話してくださっていましたのでそういった経験から今回の展示はそういった前知識をもって鑑賞することが出来たように思います。


百聞は一見に如かずといいますが、文字でしか知らなかったものを写真や現物で見ることで、いままで遠いところにいたドストエフスキーそして罪と罰という存在にほんの少し近づけたような気がしました。それに、恥ずかしながら今まで芸術資料館に行ったことが無かったので初めて訪れることが出来て良かったです。


今回の展示は清水先生のドストエフスキー研究の集大成のような印象を受けましたが、それよりも先生の50年以上もの研究からなる人生そのものの集大成でもあるのだと感じました。ガラスケースの中にある先生の読んだ本にはびっしりと書き込みがしてあり、たくさんの付箋が張られていて、どれだけ読み込み考え抜いたのかということが伝わってきました。またずらっと並んだ先生の著書からもいかに膨大な年月をドストエフスキーに捧げて来たかという事が読み取れました。そして同時にこれだけの長い歳月をかけて研究してもまだ解明できないことの多いドストエフスキー作品の奥深さと難解さを思い知りました。世の中には人類が始まって以来解明できていない事象が多くありますが、それは人間の知る由もないような自然現象や化学の分野が多いように思います。ですがドストエフスキーという1人の人間が生み出した作品はそういった謎深い事象と肩を並べるほど難解だと言わざるを得ません。


展示の中で一番印象に残っているのはワインの瓶やろうそくなどが置いてある実物が展示されたコーナーです。インク壺やお菓子の缶は凄く綺麗でしたし、サモワールというのは初めて見るものでした。初めて読んだのは漫画だったのである程度衣装や風景は書き込まれていたのですが、こうした小物類について想像出来ていなかったので新たな視点で考えることができると思いました。また文字だけの本を読んだときには想像があまり膨らまなかったのですが、こういった実物を実際に見ることで何倍も読みやすくなると思いました。


その他にもイコンというものを初めて見ることが出来ました。よく作品や歴史の話の中に登場しますが、見る機会はなかなか無かったので見られてよかったです。宗教画ほど荘厳な感じはなく銅の色合いからもぬくもりを感じました。


こうした歴史的な展示の数々が並ぶ中に清水先生の著書や膨大な年表が並んでいるとさらに歴史というものの積み重なりというものを感じました。清水先生から山下先生へ、そしてまた次の世代へとドストエフスキー研究の意思が受け継がれていくのだと思います。


1つの事を極めること、というのは簡単そうで難しいというのは周知の事実です。ですが日芸に入学してからというものそのことを日々感じるのです。私の場合演劇が好きでもっと学びたい、極めたいという気持ちで入学しましたが、やはり4年間演劇と向き合ってみるとそこまで好きな事ではないのではないかという事に気づきました。そのかわり、音楽など他の事も好きなのだと気づくことが出来てそれはそれでよかったと思いますが、1つの事に向き合い長くやっていけている人はすごいなと思います。清水先生は人生をかけてドストエフスキーに向き合っていらっしゃって、死ぬまでやるとおっしゃっていますがそれはとんでもないことだと思います。そこまで夢中になれる何かを見つけることですら難しいのに、それを一生続けていくことは並大抵のことではないと思います。少なくとも私の身の回りにはそういった大人はいません。

 

よく言われるのは、色んなことに挑戦してみて失敗してみたらいいというような旨の言葉です。確かにそういった意見も貴重ですし、ごもっともだと思いますが、私が理想とする生き方というのは清水先生のような狂気的なまでに何かに夢中になってそれを極められるような生き方です。1つのことを極めるとはいいますが、その過程での気付きや身に着けた知識というのはほかの分野にも適応できるので、様々なことに繋がっていくと思います。ですから結果的に多くの事を学べるのではないでしょうか。

 

実際、清水先生は宮沢賢治をはじめとした文学からジブリつげ義春などの漫画、土方巽や森光子らの芸能やビートたけしなどのお笑いに至るまで多くを批評の対象としています。それはドストエフスキー研究をしている中で獲得した知識を他にも当てはめていなければ成しえなかったことだと思います。今からでは遅いかもしれないけれど私も人生をかけて向き合っていけるようなものを何か1つ見つけたいと思いました。