大泉 淵 清水先生と父、大泉黒石の思い出

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大泉淵さんが日芸文芸学科に来訪。山下聖美研究室で撮影。2018年11月23日。

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水先生と父、大泉黒石の思い出
大泉  淵

 

清水先生が今年度で、教授をご退官なされると伺いまし た。びっくりしました。
 
実に残念で、淋しいです。
 
先生に初めてお目にかかったのは、私の住んでいます鎌倉 にお出でになった時です。駅でお待ちしていましたら、芸術 家の雰囲気の素敵な先生がいらっしゃいました。
 
以来、林芙美子生誕百十周年を記念する催しに出席した り、図書館をご案内していただいたりと、お世話になりまし た。ゆったりとした部屋にいる学生の方々は、幸せいっぱ い、という感じを受けました。
 
日芸図書館では、何と私の父・大泉黒石についての展示も 開催してくださいました。ロシア人の祖父の写真や全集など も展示されていて、びっくりするとともに、清水先生のご配慮に感謝するばかりでした。
 
山下先生のお部屋で学生さんが入れてくださったお茶を飲 みながら、和気藹々と楽しい時間を過ごされていた清水先 生。そのようなイメージの中の先生しか、実は知らないの で、「ドストエフスキー論執筆五〇周年」という偉業をなさ れたことに驚異を感じるばかりです。
 
今、行きつ戻りつしながら、「清水正ドストエフスキー 論全集」第八巻を読ませていただいていますが、読みなが ら、実際の人間関係にも難しい事があり、愛情があるため に、無いために、やりきれないことがある、というようなこ とを考えています。
 
私は、父のことを思い出しました。父の友人がみえたりし ますと、その方に愛想良く接する母に対して、父は「色目をつかった」などと言い、そこから夫婦喧嘩が始まるのでし た。そういう時は、滉兄が交番に走って行きます。「おまわ りさん」は自転車でやって来て「先生、まあまあ」と笑いな がら父をなだめるのですが、「おまわりさん」が帰った後に は、「おまわりを呼びに行ったのは誰だ」と始まるのでした。 逃げ足の速い兄はとっくにいません。離婚に反対する子供達 はいませんでした。
 
母も清々した顔をしていました。
 
父は近くに部屋を借りて住んでいました。ある時、父の部 屋の掃除に行く途中、ちょっと寄る所があるので一緒にと言 われて行った所には、女性が一人で住んでいました。それま で女性との事件は全然無い父でしたが、いつの間にかその女 性と一緒に居る様になっていました。
 
それから半年位経って、父は時々、私達の自宅に戻ってく るようになりました。私にとっては、父ですからむげには出 来ませんし、その頃には父は全くおとなしくなって、母の方 が威張っているくらいでした。
 
父母の話は尽きませんが、清水先生の本は、父母につい て、男と女について、そして人間というものについて、しみ じみと思いにふける時間を私に与えてくださるのです。
(おおいずみ・えん   大泉黒石氏の四女)