『世界文学の中の林芙美子』展示会開催に際して

『世界文学の中の林芙美子』展示会開催に際して
清水正日本大学芸術学部図書館長)


日芸図書館は一昨年、林芙美子没後六十周年・日芸創設九十周年を記念してアートギャラリーと図書館内での展示会、カタログ誌『林芙美子の芸術』を刊行いたしました。芸術学部八学科の先生方、卒業生、大学院生、学部生の力を結集したカタログ誌は幸いにして各方面から高い評価を得ることができました。

今年は林芙美子生誕百十年にあたります。日芸図書館はカタログ誌『世界の中の林芙美子』の刊行と、当展示会『世界文学の中の林芙美子』を企画しました。林芙美子の作品を日本近代・現代文学の狭い枠組みから解放し、世界文学の中に位置づける大胆な試みです。

林芙美子の作品はモーパッサン、フローベルなどのフランス文学、ドストエフスキートルストイチェーホフ、ゴーリキイ、アルツィバーシェフなどのロシア文学はもとより、聖書、漢詩、わが国の万葉などの影響を受けています。

特に最晩年の『浮雲』の男性主人公・富岡兼吾はドストエフスキーの『悪霊』の主人公ニコライ・スタヴローギンの影響を強く受けていますが、単なる影響の域を脱して林芙美子独自のものとして血肉化されています。

日本の小説家で『悪霊』の影響を受けた小説家に葛西善蔵坂口安吾横光利一椎名麟三埴谷雄高などがおりますが、林芙美子は『悪霊』を熟読して和製スタヴローギン・富岡兼吾の造形を見事にはたしています。林芙美子ドストエフスキーの関係はさらに追求、検証されなければならない重要な課題です。邦訳された種々の『悪霊』を展示してありますので、是非ごらんになってください。

今回の展示会には『塵表閣コーナー』『手塚緑敏コーナー』『大泉黒石コーナー』なども設けました。塵表閣の小林美知子女将には、林芙美子縁の文机、飾棚、浴衣などのほか、芳名録や写真など貴重な品々をお借りすることができました。手塚博行さんと三谷喜久枝さんには手塚緑敏の絵画をお借りすることができました。

〈世界的の居候〉を自認した小説家・大泉黒石の四女・大泉淵さんには今年三月に鎌倉で取材に応じていただきました。黒石は日芸創設者・松原寛と長崎の鎮西学院という中学の同窓生であり、淵さんは林芙美子とは〈娘〉〈アシスタント〉〈秘書〉と三役をこなす濃密な関係を取り結んでおられます。〈日本のドストエフスキー〉と称せられた大泉黒石林芙美子と同様、世界文学の地平において見直されなければならない小説家と言えます。今回の展示で『大泉黒石コーナー』を設けられたことに不思議な縁を感じております。

今回の展示を通して、新しい林芙美子像が提示されることになれば幸いです。最後にご協力をいただいた関係各位に厚く感謝の意を表します。
二〇一三年六月二十五日