阿久澤騰 清水正先生にまつわる、きわめて個人的な思い出

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水正先生にまつわる、きわめて個人的な思い出
阿久澤騰

 

清水正先生との出会い
 
日本大学芸術学部二年の時に、所沢校舎で文芸特別講義と いう授業を履修しました。それが清水正先生との出会いでし た。
 
ジョン・アーヴィングリチャード・ブローティガンなど、 いわゆるアメリカ文学に親しんでいた僕には、清水先生が語 るドストエフスキーの世界はまったく馴染みのないものでし た。
 
もともと知らなかった、それゆえに興味もなかったという のが正直なところでしたが清水先生の解説と熱量の高い語り にいつの間にか引き込まれ、初めての授業をとても短く感じ たのをよく覚えています。その時は、仮受講期間中でしたが、正式に受講することを迷わず決めました。『罪と罰』の 文庫本もすぐ買って読みました。
 
自分にとっての「踏み越え」について自問する
 
主人公ラスコーリニコフは元大学生で、金貸しの老婆とそ の妹を斧で殺します。その背景には、ラスコーリニコフの持 つ特殊な思想がありました。非凡人である偉大な人物は、新 たなる段階に踏み出す成長の糧になるなら社会的規範を「踏 み越え」てでも、凡人を殺す権利を持つ。ラスコーリニコフ は自分がその偉大な人物に適合すると考え、実際に社会的規 範を「踏み越え」る行為として「殺人」を行ったのです。この自己中心的な考え、それに基づいた行動に僕が共感できた かと言えば、正直なところノーでした。
 
ただ「踏み越え」について、授業の中でいろいろな角度か ら清水先生が繰り返し語られているのを聴く中で、自分に とっての「踏み越え」は何だろうかと自問してもいました。 それによってラスコーリニコフに自分を少しリンクさせよう としていたのかもしれません。もちろん不道徳なことをして 社会的規範を犯そう、人殺しをしよう、などという考えは まったく抱いていませんでしたが。

 結果として、僕は「踏み越え」の持つ意味を自分で勝手に 簡素化し、自分なりの恣意的な意味を与えました。それは、 実現すべきだと思っていても、その実現のために足を踏み出 すのに、勇気や思い切りが必要な行為、というものでした。
 
夏休み中、清水先生から課せられた課題レポートを書くた め『罪と罰』を再読しながら、ふと考えたのはアメリカへ留 学すること、それが僕にとっての「踏み越え」に当たるので はないか、ということでした。
 
というのは、高校時代からアメリカ文学が好きで将来、ア メリカ文学の研究者になることを夢想していた当時の僕の中 では、少なくともアメリカへ留学すべきだという思いが強く なってきていたからです。
 
とはいえ、当時の自分の英語力では奨学金を得て留学する といったことは夢のまた夢で、そもそもアメリカに限らず海外渡航経験さえなかったのです。アルバイトに精を出しても 貯められる資金には限りがある……親に相談しても反対され るのでは……など、もやもやした気持ちを抱えながら『罪と 罰』を読んでいると、ラスコーリニコフに多かれ少なかれ感 情移入せざるを得ませんでした。
 
結果からお伝えすると、『罪と罰』を読んだ翌年、僕は大 学に休学届を出して一九九五年三月に日本を発ち、アメリカ のカリフォルニア州サンディエゴに十ヶ月間、語学留学しま した。
 
言葉にすると月並みですが、一度きりの人生、後悔したく ない、という思いが僕を「踏み越え」させたのです。 「踏み越え」た後、ラスコーリニコフは一時的に達成感や 高揚感を味わいますがその後、長い葛藤と苦痛の日々を送る ことになります。実は僕の場合も同様でした。
 

清水先生の授業から学んだこと
 
さて、時間を学生時代、初めてのアメリカ留学から帰国し た後に戻して続けます。留学を終え、帰国してからの僕は大 学の文芸学科に籍を置きつつも、文学的なものから意識的に 距離を置こうとしていました。
 
というのは、前述したように、自分が文学の世界に閉じこ もって、その狭い世界に安住、さらにいえば耽溺し、自分か らその殻を破ろうとしなかった事実を留学していた短い期間 に突きつけられ、自分の社会的問題意識の低さや浅さに自己 嫌悪を抱きさえしたため、その反省から同じことは繰り返す まい、と思っていたからです。
 
履修する授業を選ぶ基準も以前より明確になっていまし た。文学の世界に閉じて、そこで完結しているような内容の 講義は避けました。どちらかといえば、文学の世界に閉じて おらず、むしろ文学の世界が相対化されているような、さら
に極論を述べると文学に無関係なものの方が当時の自分には 必要だ、という思いがありました。
 
留学前、学部の一・二年の時、清水先生の専門は「ドスト エフスキー」や「宮沢賢治」といった純文学の印象が強かっ たのが正直なところでした。しかし、あらためて振り返って みると、清水先生の授業は決して作品解説にとどまるもので はなく、社会背景や哲学、人間の生き方といったものに迫 り、さらに広がっていく側面が強かったので、清水先生の文 学観は内に閉じておらず、外に開かれていると自分なりに捉 え直しました。
 
清水先生はご自分のことをロシア文学研究者ともドストエ フスキー研究者とも位置づけていません。文芸批評家という 表現を使っています。
 
正直なところ、留学前の僕は、アメリカ文学研究者よりマー ク・トウェイン研究者、といったようにより領域を絞り込ん だ研究者による研究や言説をありがたがる傾向が強かったよ うに思います。
 
しかし留学を経て、考え方が、ほぼ真逆に変わりました。 むしろ、清水先生のように、あちこち自由にアンテナを張り 巡らせ、常に自分の見方を固定せず、いろいろなものに開い ている姿勢を取り続けることの方が実は難しく、それでいて 物事の真実に近づくには、より大切なことだ、という風に捉 えるようになっていました。

そんな中、受講科目を選択するために清水先生の授業概要 が掲載されていたシラバスを見ると「阿部定事件を読む」と 書かれていました。そもそも、正直なところ阿部定も彼女が 起こした猟奇的な事件についても知らなかったのですが、逆 に面白そうだと思って受講を決めました。
 
清水先生は普通の文学研究者だったら、関心も抱かず、通 り過ぎてしまうであろう、この事件をさまざまな角度から捉 え直し、分析した内容を私たちにライブ感ある語り口で共有 してくれました。
 
解体と再構築、と先生がしばしば言及する、既成概念や常 識的な見方を疑い、今まで誰も光を当てなかったものに光を 当て、別の新しい見解や事実を発見していく清水先生の対象 に対するクリティカルな読みや捉え方は、ここ数年にわかに 脚光を浴びるようになったメディア・リテラシー教育に根っ このところでつながっているような気がします。
 
というのは、事実より個人的信条や感情へアピールする フェイク・ニュースが氾濫する「ポスト真実」( post-truth) と呼ばれる今の時代、目の前に提示された情報を「果たして 本当だろうか」と批判的に捉える姿勢がますます重要になっ てきているからです。
 
こうであらねばならない、こうであるはずだ、という思い 込みから意識的に自由になることの大切さ、それを実践して いくために、常識的・支配的な情報やものの見方から必要に応じて距離を取り、主体的に思考していくことの重要性を清 水先生から学ばせていただいたと考えています。