穴澤万里子  清水先生

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講演  清水正・『罪と罰』再読

 

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水先生

穴澤万里子

 

本原稿の依頼を受けて、清水先生との思い出を振り返って みた。
 
授業に出席する演劇学科生について楽しそうに語られ、そ の学生たちが出演する公演を、よく顔が観たいからと最前列 で観劇されていた。私に度々執筆や発言の機会を与えてくだ さった。日芸での十七年間、変わることなく見守ってくだ さっていた先生を改めて思う。ある時は真剣に、ある時はふ ざけながら、先生は私に今も心に残る名言と、勇気を与えて くださった。自らの生き方を提示することが教育なんだと先 生から学んだ。もし先生に出会わなかったら、私は研究者の 道を投げ出し、文句の多い人間になっていたかもしれない。
 
授業や大学での仕事をこなしながら、清水先生は半世紀に も渡って(!)ドストエフスキーの研究を続けられ、同時に多くの書籍を出版されている。先生の書籍はいずれも質、 量、共に大作である。そこに私は先生の研究者としての「意 志」を感じる。ご体調が優れなくても授業を行い、時に飲み 会にも参加される。驕りや気取りと無縁の先生は、常にユー モアを忘れず、学生に寄り添っておられる。そこに先生の教 員としての、人間としての強い「愛情」と「精神」を感じ る。先生はブレない。清水先生は今、ほとんど死語になりつ つある「情熱」の人、真の情熱の人だと思う。
 
私が研究しているモーリス・メーテルリンクは「青い鳥」、 「ペレアスとメリザンド」など、日本人にもお馴染みの作品 を書いた詩人、劇作家、エッセイ作家である。一八六二年八 月二十九日、ベルギーのゲントに生まれ、一九四九年五月六 日、フランスのニースのオルラモンドで亡くなった。一九一一年にはノーベル文学賞を受賞している。私は数多くの彼の 作品の中でも、初期の「象徴主義」と言われる戯曲を中心に 研究している。アラン・ヴィアラの『フランス演劇』による と、当時のメーテルリンクの作品群は、「想像力を搔き立て るためにフォルムを排除し、想起させるものの中より見られ るものの中で、触れて感知できる空間よりも霊的な空間で、 意味はさほど重要ではないということをほのめかそうとす る。自然主義が理解力に価値を置くところにあって、想像力 を求めた 1 」。
 
一見するとドストエフスキーとの接点は見当たらないが、 メーテルリンクが書いたエッセイの中に、清水先生を思わせ る一文がある。正確に言えば、メーテルリンクが尊敬する古 代ギリシャの哲学者プロティノスの言葉を引用している箇 所だが、わざわざこの文章を引用しているところをみると、 メーテルリンクの考えも同じと捉えてよいだろう。少し長い が、ここに記したい。
 

  「知性は知性的な対象を観るが、それは〈一者〉が注ぐ光 の助けを借りて観るのである。つまり、知性はそれらの対象 を観る時、実は知性界の光を観ているのである。しかし自 分の注意を光にではなく、照らされた対象に向けるなら、 対象を照らしている光の源は純粋な姿では観えない。逆にも し知性が対象を観えるものにしている明 クラルテ るさだけを観るた
めに目の前の対象を無視するなら、知性は光そのものと、 その光源を観ることになる。といっても知性は己れの外部 に知性界の光を観るのではない。この場合、知性はちょう どこのような目に似ている。外部の未知の光を見ることの ないまま、知覚以前の段階で突然己れの固有の明 クラルテ るさや、 己れの内部からほとばしり、闇の中心のように見える輝き に襲われる目に。これは目が自分以外のものを見ないよう にまぶたを閉じ、己れの内部に光を生み出す場合と同じで ある。あるいは手で押すと目が内部にかすかに光を感じる のと同じことなのだ。この時、目は外部のものを何も見ず に、見るという行為を最も純粋に行なっている。なぜな ら、光を見ているからだ。かつて目が見ていた他の一切の 対象は光り輝いてはいたが、光そのものではなかった。こ のことから知性が自分以外の対象に対して、いわば目を閉 ざし何も観ないようにして己れ自身に集中するならば、知 性が観るのは、外的な存在の中で輝いている外的な光では なく、突然内部に純粋な明 クラルテ るさで輝く己れ自身の光なので ある 2 」(モーリス・メーテルリンク著、山崎剛訳『貧者の 宝』)
 
清水先生はメーテルリンクの言うところの「己れ自身の 光」を強く持った方だと思う。先生を慕い、先生から学んだ 学生は数多くいる(勿論、私もその一人だ)と思うし、先生が撒かれた種は確実に実を結び、先生の精神は継承されてい ると感じる。清水先生を師と仰ぎ、研究と教育に打ち込む山 下聖美先生がその一つの例であろう。私が先生から得た宝物 の中には、その山下聖美先生との出会いもある。
 
清水先生、ドストエフスキー論執筆五〇周年、おめでとう ございます。そして長年の教員生活、心からお疲れ様でし た。
1.Alain lain Viala, Le théâtre en France , Presses Universitaires de France, Paris, 2009, pp.397-398.
2.Maurice Maeterlinck, Le Trésor des humbles , préface de Marc Rombaut et lecture d ’ Alberte Spinette, Éditions Labor, Bruxelles, 1986, pp.70-71. (邦訳、『貧者の宝』、山崎剛訳、平河出 版社、 1995 年、 68-69 頁)。
(あなざわ・まりこ   明治学院大学文学部芸術学科教授)