「畑中純の世界」展を観て(連載1)

畑中純の世界」展を観て

あっ、好きだ。
片山瑞穂(文芸学科四年)


あ、好きだ。
純さんの漫画を開いてすぐそう思った。
エロティックなペンのタッチも、ごつりとしながらも丸みを帯びた主人公達も、言葉選びも全て、荒々しさの中に不思議と生命力を感じさせる何かを含んでいる。そしてそれと同時に作者のエネルギーと繊細さをゆらゆらと詰め込んでいるように見えた。

わたしはこの手の作品に弱い。
個性的かつ大胆でありながら、繊細さとエロティックな儚さをを漂わせ、作者の意図が至るところに散らばっている。わたしはいつもそれらを読むとき慎重に読もうと努めるのだが、それは埃のようにはらはらとわたしの手をすり抜けどこかに飛んで行ってしまう。それの繰り返しだ。
読み進めていると、読み解けそうで読み解けない何かをわたしはいつまでも追っている感覚に襲われる。つかめそうでつかめないものに人は非常に弱い。
なんだか好きな人の心の奥を探っているようで、ああわたしはまた作品の中に恋心を置いてきてしまったのだなと思う。
わたしをこんな気持ちにさせる作者の畑中純さんとは一体どんな人なんだろう。作品を読んでいるうちにふとそんなことが頭に浮かんだ。

それからしばらく経って、奥さんである眞由美さんの「まんだら屋の女房日記」を読む機会があった。
一番初めに感じたのは、眞由美さんの可愛らしさである。年上の女性に対して失礼に当たるかもしれないが、畑中純の女房として生きてきた芯の通った姿と同時に、彼女の文章から滲み出る少女らしい純粋無垢な可愛らしさが印象深い。日記を書きながらふふっとほほ笑んでいる眞由美さんの姿がなんだか想像出来てしまう程だった。
そして、純さんは「親父」という言葉がよく似合う日本男児という印象である。あたたかくて深い優しさを持った大きな人。
眞由美さんやお子さん、そして漫画に対して深い愛情を持って向き合っていたのが伝わってくる。
勢いのよい凜としたタッチは彼の情熱を、美しいエロスと、人情物語には彼の深い愛情が溶け込んでいるはずだ。
彼は漫画の他にも絵画、版画、文学をこよなく愛したという。確かに彼の作品はどこか純文学的で、漫画を読んでいながら小説を読んでいるような錯覚に陥ることがしばしばあった。おおらかさの中になんとも言えぬ深みがある。そんな印象だ。
きっと多方面の芸術作品を愛していた彼だからこそ描ける作品があったのだと思う。

畑中純の世界」展からは彼の創作に対する底知れぬ情熱と深い愛情が資料館に漂っていた。
色とりどりの絵や線や写真から、それらは部屋中いっぱいに広がり、わたし達を圧倒する。資料館にはひんやりとする程クーラーが効いているはずなのに、なぜだかもわりとした熱気が立ち込めているようだった。
わたしは一つ一つをじっとりと見つめ、のんびりと歩いた。展示物はこちらに何かを訴えかけているようでもあったし、やさしくほほ笑んでいるようでもあった。ゆっくりと歩いていると、ふと誰かと一緒に歩いている感覚がわずかに肌をかすめた。
ここには畑中純がいる、わたしはそんなことを思って、ふふっと笑って「畑中純の世界」展を後にした。