鷹尾俊一の彫刻──「横たわる像」をめぐる超想(4)──鷹尾俊一の『ピエタ』へ向けて

鷹尾俊一の彫刻
──「横たわる像」をめぐる超想(4)──

清水正





鷹尾俊一の『ピエタ』へ向けて

 

小山田二郎の『ピエタから

 今年2014年は小山田二郎の生誕百年にあたる。小山田二郎と言えば『ピエタ』である。わたしは1978年1月、多磨霊園裏の小山田家のアトリエで『ピエタ』に出会った。小山田二郎の妻で画家である小山田チカエに招待されたその席で出会った。当時、小山田二郎は妻子を捨てて若い女と失踪中であり、チカエは必死になって夫二郎の隠れ家を探索していた。  
 わたしはチカエに案内されて、二郎と生活を共にした高円寺のアパートを訪ねた。取り壊し中のアパートにすでに窓はなく、がらんどうの部屋は寒々としていた。チカエは「あの壁に二郎は絵を描いていたの」と言った。よく見れば、無数のひっかき傷のような模様が刻まれていた。庭に井戸水を汲むポンプが壊されずにあった。「ここでマリアのおしめを洗ったりした」チカエは新婚当時の貧乏暮らしの一端を懐かしそうに語った。チカエにとって二郎は永遠の伴侶であった。どんなに貧乏しても、キャンバス代わりの壁があり、絵描きとしての夢があった。二人は初めて授かった子供に魔理亞という名前をつけた。
 わたしは高い天井のアトリエに飾られた『ピエタ』の前に釘付けになった。とつぜん地震が襲った。魂の震えと地震の揺れが呼応した。わたしにはよくあることだ。後にわたしは小山田二郎の画集を入手し、『ピエタ』について書いた。(「小山田二郎の『ピエタ』を参照)



 二郎の『ピエタ』は、たとえばミケランジェロの『ピエタ』とは受ける印象がまったく異なる。後者のマリアに呪詛はなく、驚くほどの平静な悲しみが漂っている。わが子イエスの死をこれほど安らかに受け入れられる母の偉大な寛容と信仰の深さを読みとればいいのだろうか。大きく開いた両足で支えられたイエスの痩せた体は、まさに子供のように華奢である。この体からは六時間におよぶ十字架上の苦悶を伺うことはできない。イエスは死体というよりは、深い眠りの中にある子供のようにさえ見える。マリアのたくましい脚と両腕に支えられたイエスに、三日後に復活する神秘を湛えた肉体を感じることはできない。マリアの憂いを含んだ悲しみの顔は、悲嘆と苦悶をうち深くに押さえ込んでいるとも思えない。安らかに眠る我が子を慈しむような眼差しを下方へ向けている。
 小山田二郎ピエタ』のマリアの両目は大きく見開かれ、天空へ向けられている。この眼差しの彼方に神の存在を予想することはできない。この両目は虚空を見つめ、呪詛と憤怒に充ちている。平たい頭部の両端からピラミッド状に広がった黒いマントは激しい魂の戦慄を堅く押さえ込んで固まっている。抱え込んだわが子イエスは石膏で固めた死体そのものである。頭部は白骨化し、復活を微塵も予想させない。この硬直化した肉体は、魂を抜かれた硬直した死体(物体)として反り返っている。物質としての重量感は伝わってくるが、魂の浮揚感は伝わってこない。
 ミケランジェロの『ピエタ』において、イエスの体はマリアの両脚に支えられ、上半身は右腕に抱え込まれて、眠り(死)から覚醒(復活)を予想させるポーズとなっている。復活を内在させたイエスの体は死体というよりは、一時の眠りに入った生ける肉体としてマリアの両腕に抱かれている。憂い顔のマリアはわが子の復活を確信した魂の安らぎの中にある。


 小山田二郎のマリアからは救いようのない憤怒と悲嘆の叫びが発せられている。この終焉を拒まれた慟哭こそが、わが子に向けられた愛の唯一の証であるかのように、マリアは呪詛と憤怒のただ中にとどまっている。
ミケランジェロの『ピエタ』には、謂わばアポロン的な整合性が感じられる。ニーチェの言う、ディオニュソスを内部に湛えたアポロンではなく、文字通り、調和のとれたアポロンであり、この整ったマリア像からは、慟哭、叫び、苦悶の震えが伝わってこない。マリアはわが子を失った母の悲しみを体現していない。このマリアはまるでキリストの若き花嫁のような初々しさを保っている。その憂いを含んだ顔には、苦悶と嘆きの皺が刻まれていない。予定調和的な信仰と祈りの姿がアポロン的な像として現れているだけで、不信と懐疑の淵から沸き上がる苦悶と悲嘆はまったく見られない。

ドストエフスキーが『白痴』で描く、ハンス・ホルバイン作『死せるキリスト』に対する衝撃の告白を聞いた後では、ミケランジェロの『ピエタ』は余りにもきれいすぎる。第一、イエスの死体そのものが〈死体〉としてのリアリティを持っていない。この死体からは六時間の十字架上の苦しみに耐え抜いたイエスの苦悶が微塵も伝わってこない。手足に打たれた釘跡、両胸脇に差し込まれた槍の傷もない。苦痛、恐怖をまったく刻印していない、深い眠りに陥った、脱力した肉体そのものである。この『ピエタ』のイエスに、復活を確信させる死を感じることはない。換言すれば、〈死〉も〈復活〉も絵空事であり、ズシンと響いて来るものがない。予定調和的できれいで穏やかなのだ。
このアポロン的な調和こそが最高美の体現なのだと思うひとにとっては、ドストエフスキーが衝撃を受けたハンス・ホルバイン作の『死せるキリスト』や小山田二郎の『ピエタ』は余りにもその美の概念から逸脱したもの、グロテスクで醜悪なものと映るかもしれない。


 
 余命いくばくもないイッポリート少年は問う「キリストのすべての弟子や、未来のおもだった使徒たちが見たとしたら、こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか?」「もし死というものがこんなにも恐ろしく、また自然の法則がこんなにも強いものならば、どうしてそれに打ちかつことができるだろう」と。なぜ、ホルバインの『死せるキリスト』を前にしたドストエフスキーてんかんの発作に襲われそうになり、イッポリート少年はこういった疑問を抱くのか。それは彼らがキリストの死と復活を、その場に立ち会った者以上にリアルに深く考え続けていたからにほかならない。
 イエスは人間なのか、神の子なのか。後者なら、なぜイエスは十字架上で、みんなが見ている前で自らの死を免れる奇蹟を起こさなかったのか。生きているうちには、死んで四日も経ったラザロを、「ラザロよ、出よ」の一言で蘇らす奇蹟を起こしたイエスが、今は十字架から下ろされ、その顔は「鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれがり、眼を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放って」いる。
 そこにあるのは神の子の死体、三日後の復活を約束された神々しい死体ではない。まさに神に対する自然の勝利を証す、醜悪で恐ろしい人間の死体なのである。神の存在に関してドストエフスキーは生涯を通して苦しんだ。神は存在するのか、しないのか。フョードル・カラマーゾフは二人の息子を前にしてこの問を発した。イヴァンは神は存在しないと断言し、アリョーシャは神は存在すると答える。フョードルはイヴァンの考えを肯定するが、アリョーシャを「モイ アンゲル=Мой ангел」(わたしの天使)と呼んでいる。ドストエフスキーは死ぬまでドミートリイの言う「神と悪魔が永遠に決着のつかぬ戦いをしている」、その広大無辺の内的世界をのたうち回って創造を続けた作家であった。もしドストエフスキーキリスト教信者と言うなら、彼はベルジャーエフの言うように、それまでのキリスト教を計り知れぬほど深く掘り下げた信者なのだ。
小山田二郎の『ピエタ』はドストエフスキー文学の洗礼を浴びている。死せるキリストの頭は明確に白骨化している。これは復活の拒否、神に対する自然の法則の勝利を宣言している。問題はキリストのセメントで固めたような胴体部である。ここにはソーニャらしき女性も埋め込まれている。死せるキリストにソーニャが内在しているとすれば、この明らかに白骨化した死体も、復活の可能性を残している。
 わたしは『罪と罰』に登場する、一家の犠牲となって淫売婦に身を堕したソーニャを、十九世紀ロシアの首都ペテルブルクに降臨したキリストだと思っている。二人の女を斧で殺害したラスコーリニコフは、シベリアに流刑された後でも、自らの〈преступление=踏み越え=殺人〉に〈грех=罪〉の意識を感じることはできなかった。が、この殺人者に作者ドストエフスキーは復活の曙光に輝く場面を与えた。
 イルティシュ川を眼前に、丸太に腰掛けたラスコーリニコフの前に緑色のスカーフを被ったソーニャが現れる。緑色は聖なる者の証である。ソーニャはこの時、実体感のある〈幻〉(видение)として現れている。
 キリストと言えば、金髪、痩身、白人の男というイメージが強い。キリストは黒髪、縮れ毛、デブ、丸顔、黒人、黄色人であってはならない。人間の罪と苦悩を一身に背負って十字架上で息を引き取ったイエス・キリストの顔や身体は苦悩、苦悶、悲痛を体現していなければならない。大口を開けて笑ったり、食べたりしてはならないし、糞便やセックスもしてはならない聖なる男性としてイメージされている。
 ところで、鷹尾俊一の『横たわる像』を『ピエタ』像のイメージに重ねて観ると、この像は胸部の膨らみから女性的であるように見えるが、同時に十字架上から下ろされたキリストのようにも見える。小山田二郎の『ピエタ』において死せるキリストの胸腹部に埋め込まれていた女性(ソーニャ)が、鷹尾俊一の像においては、明確に全身体に顕現している。
 はっきり言おう。鷹尾俊一の『横たわる像』は死せるキリストであり、同時にその死体を抱き抱える聖母マリアでもあるのだ。
 絵画史上、彫刻史上、聖母マリアと死せるキリストを一体化して顕現させた作品はないだろう。『横たわる像』に死せるキリストとなって横たわることができる。聖母マリアとなって死せるキリストを抱きかかえることができる。このマリア・キリスト一体像を背後から抱きかかえることもできる。鷹尾俊一の『横たわる像』には畏るべき秘儀の深淵が横たわっている。

参照
小山田二郎の『ピエタ
 三月三十日、小山田二郎の画集を買った。帰り、私は電車の中で、印刷された白黒の『ピエタ』をむさぼるように見た。するとどうだろう。そこには、実に多くの人間の顔が隠されていたのである。私は正直いって驚いた。白骨のように描かれた死んだキリスト、その頭部近く接吻するかのような若い女の顔、しかもそれがゴリラのような女の顔と重なり、また見ようによってはソーニャのごとき、実に静かな白痴のような女とも重なり合っている。キリストの顔の中にも二、三の男の顔がうめこまれているかのようだ。キリストの胸部、腹部にも顔が描かれ、死んだキリストを抱きかかえている“ある者”(聖母)のふところには、明らかに浮かびあがってくる人物が四人ほど描かれ、けずりとられている。何故、これほどの人物が(主に顔貌であるが)を描き、それをけずりとるようにして秘め隠したのか。しかも画布の右上、左上にも人物の鋭い眼が描かれ隠されているのである。私がはじめてこの本物の『ピエタ』を見たときに感じた迫力、その秘密がこんなところにあっのだろうか。
 『ピエタ』の死んだキリスト、これは、ドストエフスキーがハンス・ホルバインの描いたキリストを見て、てんかんを起こしたという、その画をはるかに凌ぐ迫力と絶望の力をもってぃる。キリストをかかえている、男とも女ともつかぬ黒衣の人物、その顔は、悲嘆、恐怖、憤怒、絶望、呪詛‥‥‥どの言葉をもってしてもいいつくすことのできない表情で描かれている。その眼は何を見ているのか。何かを見ているようで、何も見てはいない。天空に向けられたいわく言いがたい眼である。要するに『ピエタ』に明確に描かれた二人の人物(聖母とキリスト)は、それ(画)を見る者を決して見てはいない。だがこの画を見ていると背筋がぞっとするような、あやしげな薄気味の悪い迫力で見詰められるような触感を覚えるのだ。その秘密は、この画にぬりこめられた種々な面貌を持った人物の眼が、きッと、こちら側を見すえるからなのだ。しかし、この徹底してうすら寒い、不気味な画の中にも、愛はあったのだ。それは死んで硬直し白骨化したキリストに接吻する女性のふくよかな、正面図として見ると泣いているような女性によって表現されているのである。
 小山田二郎はこの『ピエタ』によって、人間の究極的な場面における運命そのものを描いている。そこには、愛、呪い、死、叫び、驚き、それらを全部包みこんで、そういった人間のどうすることもできない運命そのものを表出しているのである。この画は小山田二郎の最高傑作といっていいのだと思う。ここには彼の世界観、宇宙観といったものが、多くの謎と秘密を隠しながらも、痛ましく、救いがたく、叫びのごとく、呪詛のごとく、誰も立ち入ることのできない厚い壁でさえぎりながらも、透明なガラス箱に封じ込めているのである。芸術家は、ニーチェのごとく誤解よりも正解をおそれるというであろう。小山田二郎の『ピエタ』を正解するということは慄きに近いものがある。
 私がこの画を見た瞬間思ったことは、この画はドストエフスキーを熟読し、その世界を突き抜けた者にしか描き得ないということであった。この画を描いた小山田二郎に強いた、このおそるべき緊張、その狂気じみた、人間の運命に関する呪詛、愛、これはいったい何であったのだろう。この画を前にした者、少なくとも芸術を理解できる者は、彼のその極度の緊張と対抗できるだけの精神的(霊的)エネルギーを発散しなければならないのである。すばらしい芸術作品は、それを見る者を決して無傷のままにしておくことはない。この『ピエタ』から発する得体の知れないエネルギーは、この画を見る者のすべてに襲いかかり、とり憑き、まとわりつき、一瞬も休ませてはおかないのである。おそらく、そのエネルギーは、作者小山田二郎自身に向けて最も強く発し続けているだろう。それを自覚しているのも小山田二郎であり、それに生涯対抗していかなければならないのも小山田二郎であり、そこから一刻も早く逃亡を企ろうとしたのも小山田二郎であろう。残念ながら、私は彼の代表作は『ピエタ』しか見てはいない、彼が当時(高円寺時代)描いた『ピエタ』前後の創作群を見れば、彼が当時、何を創造しようとしたかを、もっと的確に看ることは可能であろう。今は、まだその時がきてはいない。
 
 右記の文章を書き終えてから、数日たったある日、私は小山田二郎の『ピエタ』に近似した構図の画を発見した。ひとつは、キリスト教大事典(教文館発行)の図版編に収められているアヴィニョンピエタ(板絵・一四五○ー一四六〇・ルーヴル博物館)であり、もうひとつは大系世界の美術13・ルネッサンス美術(学研発行)に収められているボッティチェルリの《ピエタ》である。しかし構図は似ていても、小山田二郎の描く『ピエタ』から受ける衝撃は、それら二つの《ピエタ》とは全く異質なのである。小山田二郎の『ピエタ』は、死せるキリストをピラミッド(墓)型の聖母のふところに封じ込め、そこにぬりこめられた秘密を解く者、あばく者を、呪い殺すかのような不気味な迫力をもっているのである。周知のように、ドストエフスキーはホルバインのピエタから受けた衝撃を『白痴』のイッポリートやムイシュキンに託して語っている。だが、小山田二郎の『ピエタ』を見てしまった私は、彼の『ピエタ』こそ問題にしなければならない。信仰、キリストの復活、愛‥‥それらの問題を、私は小山田二郎の、硬直し白骨化したキリストを前にして考えていかなければならないのだ。『ピエタ』に厳然たる“死の世界”を見てしまったからには。
 小山田二郎の『ピエタ』は、死せるキリストを巨大なピラミッドの内部に封じ込め、一瞬のうちに氷結させてしまったかのようだ。永生も復活も信仰も、そこでは徹底的に拒絶され、愚弄されているかのようだ。それは神に対する、芸術家の大胆な挑戦とも受けとれる。全身全霊をもって彼は問う。神よ、この硬直し氷結したキリストが復活するのか、と。ここにあるのは、誰も逃れることのできない厳然たる死があるのみではないか、と。小山田二郎は、この“死”こそ永遠であり永生であると主張しているかのようだ。ーー。死せるキリストに寄り添い接吻する女性の愛、その愛の力が、この巨大なピラミッドを瓦解させ、氷結したキリストを蘇生させることができるのだろうか。
 小山田二郎は『ピエタ』に、自分自身の運命をこそきざみこんだのかもしれない。『ピエタ』が作者自身の自画像のごとく感じられるのは、はたして私だけであろうか。生きながらにして、美に殉死したキリスト、それが小山田二郎であるような気がするのである。
 (「ドストエフスキー狂想曲」第Ⅵ号。1978年6月30日。清水正小山田二郎の『ピエタ』」より)

ホルバインのキリスト像をめぐって
清水正ドストエフスキー『白痴』の世界』(鳥影社)より。

 『白痴』の主要テーマが死と復活にあることは言うまでもない。であるから、ムイシュキンが初めて訪れたロゴージン家の広間で一枚のキリストの絵に気づくのも偶然ではない。それは長さが一メートル八十センチ、高さ三十センチのもので、そこにはたったいま十字架から降ろされた救世主の像が描かれている。これはロゴージンの父親が二ルーブリ足らずで購入したハンス・ホルバインの絵の模写である。
 死刑執行寸前の男の話、てんかん、そしてこのハンス・ホルバインのキリスト像といい、作者ドストエフスキーは自らの体験や精神病理を惜しげもなくムイシュキンに賦与している。さらに言えばナスターシャに対するムイシュキンの激しい憐れみの感情でさえ、愛人ポーリナに対する作者のそれを反映していよう。しかしここではあくまでもホルバインのキリスト像に焦点をしぼって話を進めていくことにする。
 このホルバインのキリスト像を一契機とするムイシュキンとロゴージンの対話は、作者ドストエフスキーのキリスト観、即ち死と復活に関する彼の深い洞察の吐露といっても過言ではなかろう。ムイシュキンは「私は一度この絵を外国で見たことがあるけれど、いまだに忘れられない」と告白し、ロゴージンはこの絵を見ているのが好きだと告白する。けれどもわれわれが留意しなければならないのは彼ら二人はこの絵を眼前にして語り合ってはいないということである。ムイシュキンがこの絵を確認した瞬間、すぐにロゴージンはその場を離れている。彼ら二人はすでにこの絵を脳裡にくっきりと焼けつけてしまっているのである。ロゴージンがこの絵を通して、ムイシュキンに聞きたかったのは「あんたは神を信じているかね、どうかね?」というこの一点のみである。面白いことにムイシュキンはこの問いに応えない。彼は神を信ずる、信じないという、この二つのうちの一つを言明しないのである。興味深いことなので、二人の対話を見てみよう。

「おれはあの絵を見てるのが好きでね」ちょっと口をつぐんでから、またしても自分の質問を忘れたかのように、ロゴージンはつぶやいた。
「あの絵をだって!」公爵は思いがけなく心に浮かんだある考えに圧倒されて、ふいに叫んだ。「あの絵をだって! いや、人によってはあの絵のために信仰を失うかもしれないのに!」
「そうでなくても、失われかけてるよ」思いがけなくロゴージンがいきなり相槌をうった。二人はもう出口のドアのすぐそばまで来ていた。
「え、なんだって?」公爵はいきなり足をとめた。「ねえ、きみはどうしたんだ! 私はちょっと冗談を言ったのに、きみはそんなにまじめになってさ! でも、私が神を信じるかなんて、どういうつもりできいたんだい?」
「いや、たいしたことじゃない。ただちょっとね。ずっと前からきいてみたいと思ってたんだよ。だって、近ごろは信じていないやつが大勢いるじゃないか。ところで、この話はほんとかね(あんたは外国暮しをしてたんだからね)――ある男が酔った勢いでおれに言ったんだが、おれたちのロシアには、ほかのどこの国よりも、神を信じねえ人間が多いんだってな? 『この点ではおれたちのほうがよその国よりも楽なんだよ。だっておれたちのほうが他の連中より先へ進んでいるんだから』ってやっこさんは言ってたがね……」

 ごらんの通り、ロゴージンは自分の質問自体を忘れているし、問われたムイシュキンも即座に応える必要を感じていない。ここでわれわれは、ムイシュキンは作者が「キリストの具現化」を目ざしたものだから、当然彼は神を信じているなどと早急に断定してはならない。ムイシュキンはロゴージンの問いに対してきっぱりと応えていないのであるから、その応えていない現実を見据えるべきであろう。ムイシュキンが応えるのは、イエス、ノーのかわりに無神論者の学者の話と人殺しの百姓の話である。これをロゴージンの言葉で要約すれば「神を信じないってやつがいるかと思えば、人を殺すときにもお祈りをあげるほど信心ぶかいやつもいる」ということになる。さらにムイシュキンは錫のものを銀の十字架と偽って二十コペイカを要求した酔っ払いの兵隊の話をし、続いて乳呑児をかかえたひとりの百姓女の話をする「それはまだ若い女で、赤ん坊も生れてようやく六週間くらいみたいだった。すると、赤ん坊が母親に生れてはじめて笑顔を見せたらしいんだ。これは母親の顔つきでわかったことだがね。見てると、その百姓女はさも信心ぶかそうに十字を切るじゃないか。『おかみさん、どうしたんだな?』ってきくと相手は、『いえ、あなた、はじめて赤ちゃんの笑顔を見た母親の喜びっていうものは、罪びとが心の底からお祈りするのを天上からごらんになった神さまの喜びと、まったく同じことなんでして』と答えたもんさ。これはその百姓女が言ったことだよ。ほとんどこれと同じ言葉でね。じつに深味のある、デリケートな、真に宗教的な思想じゃないか。この思想のなかにはキリスト教の本質のすべてが、つまり、人間の生みの親としての神にたいする理解のすべてと、親が生みの子を思うと同じような神の人間にたいする喜びのすべてが、いや、キリストの最も重要な思想がことごとく、いっぺんに表現されているんだからねえ! しかも、それを言ったのが、ただの百姓女なんだからねえ! そりゃ、母親というものは……それに、ひょっとしたら、この百姓女はあの兵隊の女房かもしれないんだからねえ。ねえ、パルフョン、きみはさっきたずねたけれど、私の返答はこうだよ。――宗教的感情の本質というものは、どんな論証にもどんな過失や犯罪にも、どんな無神論にもあてはまるものじゃないんだ。そんなものには、何か見当ちがいなところがあるのさ。いや、永久に見当ちがいだろうよ。そこには無神論などが上っ面をすべって永久に本質をつかむことのできない、永久に人びとが見当ちがいな解釈をするような、何ものかがあるんだ。しかし、肝心なことは、この何ものかがロシア人の心に、誰よりもはっきりとすぐ眼につくということなんだ。これが私の結論だよ! これこそがロシアの中からつかむことのできる、最初の信念の一つなんだよ。パルフョン、やらなければならないことはずいぶんあるよ! このロシアの国では、やらなければならないことはずいぶんあるよ! 私の言うことを信じてくれたまえ。」
 ごらんのようにムイシュキンは神を信ずると応えるかわりに「宗教的感情の本質」について言及し、それでもってロゴージンの問いに対する返答としている。
 ムイシュキンの語るところを虚心に聞けば彼が神を信じていることは明白である。彼は「はじめて赤ちゃんの笑顔を見た母親の喜び」は「罪びとが心の底からお祈りするのを天上からごらんになった神さまの喜び」と全く同一であるとし、それは「真に宗教的な思想」「キリストの最も重要な思想」であるとする。さらに彼は先にロゴージンが語ったある酔漢のことば「ロシアには、ほかのどこの国よりも、神を信じない人間が多い」に対して、むしろロシア人こそ他の誰よりも宗教的感情を持ち合わせていると見る。その何よりの証拠が先に引用した乳呑児をかかえた百姓女のことばにあるというのである。
 この場面をくり返し読んで見えてくるのはムイシュキンのキリスト者としての、というよりはロシアにおける救世主としての姿である。彼はまさに「乳呑児をかかえた母親」としてロシアの子供たち(この物語に登場するすべての人物であるが、特にロゴージン、ナスターシャ、イッポリート等)に接しているのである。彼はいわば救世主としての使命をおびた愚者・白痴である。
 ところで私は、もう一度、ムイシュキンの語った、つまりどんな論証(議論・推論)や過失や犯罪や無神論によっても決して宗教的感情の本質(真髄)を明かすことはできないということ、に立ち戻って考えてみたい。ムイシュキンは四人の変った人(無神論者の学者・十字を切って仲間を斬り殺した百姓・十字架売りの兵隊・乳呑児をかかえた百姓女)の話を披露した後で最後に宗教的感情の本質について言及する訳だが、彼の言う宗教的感情の本質に一致するのは百姓女だけである。単純化していえば過失(十字架売り)、犯罪(仲間殺し)、無神論(博覧強記の学者)らは宗教的感情の真髄からずれているということである。何ならここでわれわれは『罪と罰』のラスコーリニコフを想起すればよい。彼は自己の犯罪理論によっても犯罪そのものによっても、宗教奇人ソーニャの持つ宗教的感情(信仰)の絶対性に一歩も近づくことができなかった。シベリアの監獄でいくら論理的思考を展開しても、彼には自らの犯行をどうしても罪とすることはできなかった。であるから、ムイシュキンの語る“宗教的感情の本質”は論証や犯罪や無神論によっては決して把捉することができないのである。
 そしてこのことはムイシュキンその人を理解する場合にも全くそのままあてはまるであろう。何しろムイシュキンは救世主としての愚者・白痴であり、彼を真に理解しようと思えば、われわれは論証や犯罪や無神論からはなれていなければならないのである。
 私はここで、ハンス・ホルバインの描いたキリストが好きだと告白したロゴージンに向かって放たれたムイシュキンのことば「いや、人によってはあの絵のために信仰を失うかもしれないのに!」――がまざまざと蘇ってきた。このムイシュキンのことばが「いや、人によってはわたしのために信仰を失うかもしれないのに!」と聴こえたからである。
 ハンス・ホルバインの描いた死せるキリスト、ナスターシャの死体のかたわらで白痴にもどったムイシュキン、彼らは等しく生ける間は救世主としての愚を生きたのである。

 はじめわたしたちはバーデンから、パリに行くかイタリアにはいるかしたいと思っていたが、余裕がなかったので、しばらくジュネーヴに落ちついて、そのうちに事情がゆるせば南のほうに移ることにした。ジュネーヴへむかう途中、夫がだれかから聞いていた美術館の絵を見るためにバーゼルに一泊した。その絵はハンス・ホルバインの作で、非人間的な虐待を受けて十字架からもうおろされ、腐朽するにまかせられているイエス・キリストをえがいたものだった。ふくれあがったその顔は傷で血みどろになり、おそろしいようすをしていた。フョードル・ミハイロヴィチはその絵につよい感動を受けたらしく、打たれたようにその前に立ちつくしていた。けれども、わたしはそれを眺めていられなかった。その印象はあまりになまなましく、それに特に体の具合もよくなかったから、わたしはとなりの部屋に出て行った。それから十五分か二十分たってもどってみても、夫は、釘づけになったように元の場所に立ちつくしていた。興奮したその顔には、何度もてんかんの発作の最初の瞬間に見たことのある例のおどろいた表情が見られた。今にも発作が起こるかと思いながら、わたしはそっと彼の手をとって別の部屋に連れ出し、ベンチに掛けさせた。さいわいそれは起こらずにすんだ。彼は次第に落ち着いたが、美術館を出る時に、もう一度その感動的な絵を見ようといってきかなかった。
(アンナ・ドストエフスカヤ「回想のドストエフスキー」松下裕訳)

 一枚の絵がひとの魂を引っ掴んではなさないということはよくあることだ。その前で一時間も二時間も立ちつくすということもよくあることだ。ドストエフスキーはハンス・ホルバイン描くところの一枚のキリスト像にそれを体験した。若い二度目の妻アンナはその際の事情を実に巧みに描いている。しかしそれは外部から見られた事情であって、この時、ドストエフスキーの内部にどのような衝撃波が貫いていったかは不明である。それを知るためにはわれわれは何度も『白痴』の世界に立ち戻らなければなるまい。

 その絵には、たったいま十字架からおろされたばかりのキリストの姿が描かれていた。画家がキリストを描く場合には、十字架にかけられているのも、十字架からおろされたのも、ふつうその顔に異常な美しさの翳を添えるのが一般的であるように思われる。画家たちはキリストが最も恐ろしい苦痛を受けているときでも、その美しさをとどめておこうと努めている。ところが、ロゴージンの家にある絵には、そのような美しさなどこれっぽっちもないのだ。これは十字架にのぼるまでにも、限りない苦しみをなめ、傷や拷問や番人の鞭を受け、十字架を負って歩き、十字架のもとに倒れたときには愚民どもの笞を耐えしのんだあげく、最後は六時間におよぶ(少なくとも、ぼくの計算ではそれくらいになる)十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体である。いや、たしかに、たったいま十字架からおろされたばかりの、まだ生きた温かみを多分に保っている人間の顔である。まだどの部分も硬直していないから、その顔にはいまなお死者の感じている苦痛の色が、浮かんでいるようである(この点は画家によって巧みに表現されている)。そのかわり、その顔はすこしの容赦もなく描かれてある。そこにはただ自然があるばかりである。まったく、たとえどんな人であろうとも、あのような苦しみをなめたあとでは、きっとあんなふうになるにちがいない。キリストの受難は譬喩的なものではなく、現実のものであり、したがって、彼の肉体もまた十字架の上で自然の法則に十分かつ完全に服従させられたのだと、キリスト教会では初期のころから決定していることを、ぼくは知っている。この絵の顔は鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、眼を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた。ところが、不思議なことに、この責めさいなまれた人間の死体を見ていると、ある一風変った興味ある疑問が浮かんできた。もしかりにこれとちょうど同じような死体を(いや、それはかならずやこれと同じようだったにちがいない)、キリストのすべての弟子や、未来のおもだった使徒たちや、キリストに従って十字架のそばに立っていた女たちや、その他すべて彼を信じ崇拝した人たちが見たとしたら、こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか? という疑問である。もし死というものがこんなにも恐ろしく、また自然の法則がこんなにも強いものならば、どうしてそれに打ちかつことができるだろう、という考えがひとりでに浮かんでくるはずである。生きているうちには自然に打ちかち、それを屈服させ『タリタ・クミ(訳注 女(むすめよ、われ汝に命ず、起きよ)。マルコ伝第五章、第四十二節)と叫べば女は立ちあがり、『ラザロよ出よ』と呼べば死者が歩みだしたというキリストでさえ、ついには打ちかつことのできなかった自然の法則にどうして打ちかつことができようか! この絵を見ていると、自然というものが何かじつに巨大な、情け容赦もないもの言わぬ獣のように、いや、それよりもっと正確な、ちょっと妙な言い方だが、はるかに正確な言い方をすれば、最新式の巨大な機械が眼の前にちらついてくるのである。その機械は限りなく偉大で尊い存在を無意味にひっつかみ、こなごなに打ちくだき、なんの感情もなくその口中にのみこんでしまったのである。しかも、その存在こそはそれ一つだけでも、自然全体にも、そのあらゆる法則にも、地球全体にも値するものではなかろうか。いや、その地球さえも、ひょっとすると、ただこの存在がこの世にあらわれるためにのみ創りだされたのかもしれないのだ。つまり、このいっさいのものが屈服している、暗愚で傲慢で無意味に永久につづく力の観念をこの絵は表現しているもののようである。そして、この観念はひとりでに見ている者の胸に伝わってくるのである。この画面にはひとりも描かれていないが、この死者を取りまいていた人びとは、自分たちの希望と信仰ともいうべきものを、ことごとく一気に粉砕されたこの夕べ、かならずや恐ろしいわびしさと心の動揺を感じたにちがいない。彼らはすべてめいめいなんとしても奪い去られることのない偉大な思想をいだいていたことであろうが、しかし彼らはこのうえない恐怖をいだきながら、その場を去っていったにちがいない。また、かりにキリスト自身が刑の前夜にこのような自分の姿を見ることができたなら、はたして彼はあのような態度で十字架にのぼり、いま見るような死に方ができたであろうか? こうした疑問も、この絵を見ているうちに、ひとりでに心に浮かんでくるのである。
(イッポリート「わが必要欠くべからざる弁明」)

 ドストエフスキーが二十分も三十分も凝視し続けたハンス・ホルバインのキリスト像は、余命いくばくもない十八歳の少年の口を通して語られる。おそらくこの少年の赤裸々な告白は、ドストエフスキーその人のものであったろう。初めて訪れたロゴージン家において、イッポリートはこのキリスト像の前で五分ばかり立ちどまったと語る。いくら死を目前にした天才的少年でも、たかが五分間でこの絵の意味する所をこのように的確雄弁に語れるものではなかろう。フォンヴィージナ宛ての手紙(一八五四年二月)で明らかなように「棺の蓋が閉ざされる時まで不信と懐疑の世紀の子」であるドストエフスキーが、そして同時に「反対の論拠が多くなればなるほどますます信じたいという渇望が強くなる」ドストエフスキーが、十八歳の少年の口をかりてホルバインのキリスト像を語っているのである。
 ドストエフスキーバーゼルの美術館で確かに「十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体」を目撃したのである。この「死体」が復活するのでなければ信仰は成り立たない。だが…とドストエフスキーは自問する、この責めさいなまれた人間の死体を眼前にしながら、どうしてこの受難者の復活を信じることができるだろうか?…と。「人によってはあの絵のために信仰を失うかもしれないのに!」とムイシュキンが語ったことばはそのままドストエフスキー当人にもあてはまるだろう。ドストエフスキーがキリストの復活を文字通り信ずる者であったとしても、それはイッポリートに託した「不信と懐疑」の坩堝を一度通過してきた上でのことである。ドストエフスキー自身が語っているように、イエス・キリストの復活を信じたいという渇望は、イッポリートのそれのように「反対の論拠」が多くなればなるほど強くなるのである。このことを充分に踏まえた上でもう一度フォンヴィージナ宛ての有名な手紙の一節を見ておこう「…神は時折りは、わたしがまったく安らかな気持でいられるような瞬間を授けて下さいます。そんな時わたしは人を愛し、他人からも愛されるのを見いだしますし、まさにそういう瞬間にわたしは自己の内に信仰のシンボルを作りあげたのですが、そこではわたしにとってすべてが明快で、神聖なのです。そのシンボルとはきわめて簡単なもので、こうなのです。つまり、キリスト以上に美しい、深い、共感できる、合理的な、男性的な、完璧なものは何一つ存在しない、いや、存在しないだけではなく、熱烈な愛をこめて言うなら、存在するはずもない、ということを信じるのです。それだけではなく、かりにだれかが、キリストは真理の外にあることをわたしに証明し、また、キリストが真理の外にあることが実際であったとしても、わたしとしては真理とともにあるよりもキリストとともにとどまるほうが望ましいでしょう。」
 ドストエフスキーの言わんとしていることは単純なことである。真理よりもキリストとともにありたいと言明しているドストエフスキーにとって、イッポリートの「不信と懐疑」はもはや何ものでもなかろう。たったいま十字架から降ろされたばかりのキリストの姿、それは先に触れたように「六時間におよぶ十字架の苦しみに耐えた一個の人間の赤裸々な死体」であり、それを具体的に見れば「顔は鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、眼を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた」そういった「責めさいなまれた人間の死体」である。このイエスの「死体」は真理である。この「死体」が復活するなどということは論理的思考に慣れた近代人のとうてい承知するところではない。バーゼルの美術館でホルバインのキリスト像に釘付けになったドストエフスキーが凝視したのは真理としてのイエスの「死体」である。おそらくこのことはドストエフスキーだけではなく、イッポリートが的確に描写したように、イエスをとりかこんだすべての弟子達にとっても同じであったろう。彼らは十字架上で六時間の苦しみに耐え、そして死んでいった一人の人間の「責めさいなまれた死体」に立ち会ったはずである。
 問題は、それにも拘らず、イエスが復活してくるということであろう。ドストエフスキーは先のフォンヴィージナ宛ての手紙で、このイエスの“復活”がたとえ真理の外にあっても、真理よりはそれを信じたいと言明したのである。もちろん、信じたいということは信じているという信仰の表明ではない。だが私は正直いってこういった言葉上の詮索にはうんざりしている。素直にドストエフスキーという作家の心に眼差しをおくれば、やはり彼は信仰者以外の何者でもないように思う。信仰者か無信仰者かという二者択一的な問題ではなく、信仰者としてのドストエフスキーの裡に果てしなく深い懐疑が潜んでいたということ(だからこそ彼はホルバインのキリスト像の前に立ちつくすほどの感動・衝撃を受けたのである)、そういった心的事実を率直に認める方がいいように思う。確かにドストエフスキーは、人間の心は神と悪魔の永遠の戦場だと言っているが、その「永遠の戦場」を提供している心そのものが実は神への信仰を前提として成り立っているのではないかということである。イッポリートは一見、神を否定するような言説を吐いているが、それは自分自身でもよく分からぬ、だが何人によっても壊されようのない確固たる“信仰”を前提としているのである。彼の言う“自然の法則”とは、生きている時には死者(ラザロ)をも甦らせるほどの前後未曾有の一大奇蹟をなしたイエス・キリストその人をさえ無言のうちに呑み込んでしまうところの“死”そのものを指している。まさにホルバイン描くところの死せるキリスト像は「いっさいのものが屈服している、暗愚で傲慢で無意味に永久につづく力の観念」(死)の勝利をたたえているかのようだ。だからイエスの「死体」を眼前にした弟子達は必ずや「自分たちの希望と信仰ともいうべきものをことごとく一気に粉砕され……恐ろしいわびしさと心の動揺を感じ……このうえない恐怖をいだきながらその場を去っていったにちがいない」のだ。そうだ、イッポリートの洞察した通りであろう。問題はこの“弁明”を聴き終った読者のうちにある。この十八歳の余命いくばくもない生意気なロシアの小僧っ子をニヒリスト呼ばわりすることは簡単なことだ。現に登場人物の一人であるリザヴェータ夫人はイッポリートを小僧っ子呼ばわりして一向にはばからない。尤も、この作品中、彼女ほどイッポリートの素直な心根を直観していた人物もまれであったことを忘れてはならないだろう。
 止まれイッポリートはホルバインのキリスト像に死の勝利を宣言したが、それでもってその真理に承服している訳ではない。むしろ逆に、彼は事実としての“死の勝利”に心底憤怒しているのである。何故なら、彼はその死の事実よりは、イエスの復活をこそ信じたい少年だからである。言葉をかえれば、彼は、自分でも気づかぬ信仰の前提となっている“神”に抗議の牙をむいているのである。
 イッポリートは「イエスの死」に立ち合った弟子達と同じ地平に立っているのであるから、この作品中の人物のなかで「イエスの復活」に立ち合うことのできる最短距離に位置していたとさえ言える。おそらく復活は「十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体」を凝視し、このうえもない恐怖にうち慄えた者こそが信じたのである。
 先に私は、イッポリートの言う“自然の法則”は“死”そのものを指していると書いたが、この点についてさらに言及してみよう。彼は“自然”について「何かじつに巨大な、情け容赦もないもの言わぬ獣」「最新式の巨大な機械」と形容し、さらに「何やら巨大ないやらしい蜘蛛のようなもの」「あの暗愚にして冷酷な全能の存在」とまで言い切っている。つまりこれを言い換えれば、イッポリートはイエスの「責めさいなまれた死体」を通して“自然の法則”(死の勝利)を見ているというよりは、“旧約の神”をこそ見ているのである。そう思って彼の“弁明”を続けて引用してみよう。

 姿をもたぬものが姿をあらわして、心に浮かぶことがあるものだろうか? しかし、ぼくにはときおりあの限りない力が、あの冷酷でもの言わぬ暗愚な存在が、何か奇怪なこの世のものと想像もできないような形となって、眼の前にあらわれたように思われるのだった。誰か蝋燭を持った男がぼくの手を引いて、何やら巨大ないやらしい蜘蛛のようなものを指しながら、これこそあの暗愚にして冷酷な全能の存在だと説きふせにかかり、ぼくが腹をたてたのを冷笑したらしいのを覚えている。ぼくの部屋の聖像の前には、いつも夜お燈明がともっている――その光はぼんやりして弱々しいけれど、とにかく物のけじめはつくし、そのすぐ下なら本を読むことだってできる。それはもう十二時すぎたころだったと思う。ぼくはすこしも眠くなので、眼をあけたまま横になっていた。と、ふいに部屋のドアがあいて、ロゴージンがはいってきたのである。

 何とも不気味なイッポリートの幻視である。彼は姿を持たぬ「あの暗愚にして冷酷な全能の存在」である旧約の神が「巨大ないやらしい蜘蛛」のような姿で、「燈明がともっている」自分の部屋に顕在化してきたのに立ち会ったのである。そして彼はこの章の最後にきて、「ぼくは蜘蛛の姿をしたあの暗愚な力に、とうてい屈伏することはできない」と断言して自殺をほのめかす。彼は一日も燈明をかかさなかった『悪霊』の人神論者キリーロフの前身的存在と言ってもよいが、ここで吐かれた彼の断言は重要である。おそらくここで、イッポリートは十字架上のイエスをまざまざと想起した上で、「暗愚な力」に屈伏することはできないと大見得を切っているのである。つまり彼は、責めさいなまれたイエスの死体を通して「暗愚にして冷酷な全能の存在」(旧約の神)そのものを断固として拒否する立場を表明したのである。
 そこでわれわれは、イッポリートの神に対する反逆をより鮮明に浮彫りするためにも、十字架上で発せられたイエスその人の言葉に照明をあててみよう。

 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」、するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」、イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。(マタイ福音書第二七章四五〜五〇)

 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」、/ひとりの人が走って行き、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」、イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた(マルコ福音書第一五章三三〜三七)

 時はもう昼の十二時頃であったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた。「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。(ルカ福音書第二三章四四〜四六)

 そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。そこに酸いぶどう酒がいっぱい入れたある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。(ヨハネ福音書第一九章二八〜三〇)

 四福音書に書かれたイエスの受難劇の最終場面である。マルコ、マタイによればイエスは息を引きとる寸前「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ぶ。これはこのことばだけを見れば実にイエスの激しい悲嘆と絶望の表明である。だがこのことばは旧約詩篇二二のはじめの一句であり、それはやがて「わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう」(第二二篇の二二)というように、神の讃歌へと肯定的に転調していく。概してこの詩篇二二はイエスの受難劇そのものを生々しく予告しているが、大事なことは、彼がいかなる受難、神の執拗な沈黙に際しても、神への哀訴・祈り・讃美を忘れないということであろう。逆にいえば神の讃美が筆舌につくしがたい嘆きと絶望の中から発しているということである。「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。」(一〜二)。詩篇はこの痛ましい哀訴と絶望の極みから突然、神の讃美へと転調する「しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。」(三〜五)。だが神の讃美もつかの間、詩人は再び自身の運命の深い嘆きへと落下する「しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出しかしらを振り動かして言う、『彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ、主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ』と。」(六〜八)「わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手を足を刺し貫いた。わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。」(一五〜十九)。まさに詩篇は、単純に全能の神の讃美を歌っているわけではない。胸しめつける神への哀訴は、自己の運命に対する呪いと嘆きと絶望の淵からうねる波動となってせりあがり、神の讃美は神の全否定にも似て声高に歌われる。
 終始沈黙する神の前で、イエスの受難劇は詩篇二二を全うした。あとは三日目のイエスの復活を待つばかりである。しかし、ここに十八歳のロシアの小僧っ子イッポリートは激しく痛ましく反逆ののろしをあげた。イエスは「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」と大声を発しながらも、神を讃美し、神の子として息を引きとった。だがホルバイン描くところの死せるキリストが復活するとは考えられない。イエスユダヤ教の一異端分子として、神の子を僣称する不届きな愚か者として、単なる文字通りの人の子として、裁かれ、つばをかけられ、鞭打たれ、多くの見物人の残酷な好奇の眼差しにさらされ、嘲笑と悪罵の渦の中を自らの十字架を背負ってゴルゴダの丘へと着いた。そしてイエスは何らの奇蹟をもおこし得ず、朝九時から午後三時までの六時間に及ぶ十字架上での苦難の末に息をひきとったのである。ここに見られるのは神の子イエスではなく、単なる無力でみすぼらしい一受刑者の姿である。「わが神」はイエスの嘆きを聞かず、苦難を救わず、ただただ沈黙に終始した。十字架から降ろされた「死体」は厳かに、不気味に“死”の勝利を宣言しているだけだ。これが「わが神」の正体か、だとすれば私はこの暗愚で冷酷なもの言わぬ獣に屈服することはできない。私は神に屈服し、それを讃美するのではなく、自殺によってその神に対する反抗を全うしよう。――以上がロシアの小僧っ子の“神”に対する反逆劇のあらすじである。
 この二週間後の死を宣告された少年の“弁明”は、もちろん彼の付焼刃の観念的次元から発露しているのではない。彼は作中、もっとも自分の身を通して死をはらんだ存在ともいえる。すべての人間は「死への存在」だとしても、ハイデッガーの言う通り、人間は多くの場合、頽落存在として自らの死を忘却することで生を享楽している。人間は必ず死ぬものだとしても、とりあえず自分は死から免れている。そう思って今日一日を生きるのである。ところがここにわずか十八年を生きた一人の少年は、自らの死(の時期)を医師によって宣告されてしまう。もはや彼にとって死は抽象的な哲学上の問題ではない。彼はまざまざと自分の死を恐怖のうちに感じ続けていなければならない。彼は“二週間”をかけて銃殺される死刑囚であり、それはある意味でイエスの六時間に及ぶ十字架上での苦しみより深いかもしれない。神の子イエスの苦難は聖書の成就のためであり、復活へ向けての準備とさえいえようが、イッポリートの死へ向けての受難は単に彼のつかの間の生存を痛く愚弄するだけでそこには何らの救済も保証されていない。彼は聖像の前に毎夜燈明をともす“信仰者”でありながら、神へと絶対帰依することができない。彼はイエスの復活を信ずる心より、数倍もの強さで、自然の法則、死の勝利、終始沈黙して救済せぬ神をこそ信じてしまうのである。
 イッポリートがハンス・ホルバインの死せるキリスト像に見た「死の勝利」は、その絵の所有者であるロゴージンの確信でもあった。イッポリートの幻視の中で姿なきものが姿を現わす場面、「冷酷でもの言わぬ暗愚な存在」が「巨大な蜘蛛」の姿で現出する場面であるが、そこで彼にその存在を指し示した者、即ち「誰か蝋燭を持った男」、つまりこの男こそロゴージンに他ならない。イッポリートに「死せるキリスト」の復活の絶無、絶対的な死の勝利を保証し、「わが神」(全能の存在)の紛うことなき正体(巨大ないやらしい蜘蛛)を見せつけるのは、「墓場」の主・ロゴージンをおいて他にはないのである。ロゴージンという姓はモスクワの異端宗教墓地ロゴージスキーから採られたということであるが、まさにロゴージンの家は、ハンス・ホルバイン描くところのイエスの「死体」を収納した墓地なのである。おそらくロゴージンは毎日毎日このホルバインのキリスト像を凝視し、イッポリートと同様「死の勝利」を確信するにいたったであろう。も少し厳密な言い方をするなら、イッポリートは「死の勝利」を認めつつも、同時にイエスの復活に望みを託している。彼は自ら確信する自然の法則、死の勝利、復活の絶対不可能を、さらに烈しい力で拒否されることをこそ願っているのだ。ところがロゴージンはイッポリートのこの微妙な心理を鋭く看破していながら、深夜、幽霊(привидение)と化してイッポリートの部屋を訪問する。彼は最初、得体の知れない「蝋燭を持った男」と化して「暗愚にして冷酷な全能の存在」を指し示し、その後「十二時すぎ」に今度は自分自身の姿でイッポリートの部屋を訪問するのである。彼は終始無言のまま、イッポリートに嘲笑の眼差しを送り続け、やがてドアを開けて部屋を出てゆく。翌日の朝九時、女中のマトリョーナに起こされたイッポリートは、深夜の訪問者が“本物のロゴージン”ではなかったことに気付き、次のように表明する。「ぼくがいまくわしく描写した奇怪な出来事こそ、ぼくが断固として《決意をかためた》原因なのである。したがって、この最後の決意を促したものは、論理でも演繹でもなく、嫌悪の念にほかならなかった。このように奇怪な形をとってぼくの心を傷つける人生に、ぼくはもうとどまってはいられない。あの幽霊がぼくを卑小なものにしてしまったのである。ぼくは蜘蛛の姿をしたあの暗愚な力に、とうてい屈伏することはできないのである。」
 この場面を読んですぐに想起されるのはラスコーリニコフとスヴィドリガイロフの最初の出会いであろう。『罪と罰』ではスヴィドリガイロフが幽霊の話を切り出し、ラスコーリニコフは遂にその正体を看破することができなかった。ところがイッポリートはラスコーリニコフよりさらに一歩すすんだ洞察をみせる。彼は自分の部屋に入ってきたロゴージンが「幻でも夢でもない」(не видение,не бред)ことを確信していながら、同時に「ふと、これはロゴージンではなく、ただの幽霊ではなかろうか」とも考える。ラスコーリニコフは、スヴィドリガイロフの語る実体としての幽霊(привидение)を病者の妄想・幻覚としての幽霊(призрак)と解釈する次元にとどまっており、従って彼は幽霊(привидение)の話を展開している当のスヴィドリガイロフ自身が幽霊(привидение)であるかもしれないなどとは微塵も疑わなかった。尤も、ラスコーリニコフだけを責める訳にもいかないだろう。『罪と罰』の読者もまた百二十年もの長きにわたってラスコーリニコフ並みの次元でスヴィドリガイロフを見てきたのであるから。止まれ、イッポリートは実在する人間の姿をかりて出現した“本物のロゴージン”が実は幽霊(привидение)であったことに愕然とする。
 二人の女性を殺害した一青年の小部屋に出現したスヴィドリガイロフという幽霊は、遂に自らの正体を暴かれることがなかった。ラスコーリニコフは眼前に存在する幽霊を見ながら、その幽霊の存在を否定する滑稽を生きた青年である。彼は幽霊としてのスヴィドリガイロフを認識できなかったように、自分自身の犯罪(踏み越え)の意味さえよくは認識できなかった。「犯罪に関する論文」に書かれた、良心に照らして血を流すことを許すといった非凡人の思想が、彼の犯罪と直接的な関係を持たないことはいうまでもない。彼は自らの「非凡人の思想」を信じた以上に、自らの「卑小」さに悩まされたであろう。二十三歳の犯罪者は、自殺を決意した十八歳の少年に自らの踏み越えの原因を説きあかされてしまうのだ。イッポリートは語る、自殺という最後の決意を促したものは「論理」でも「演繹」でもなく、「嫌悪の念」(отвращение)に他ならなかった、と。深層心理学的観点に立てばロゴージンの幽霊はイッポリートの分身に他ならないが、問題は、その分身が実体としてイッポリートの前に出現してきたことであろう。分身がロゴージンという悪魔の姿をとって現われたにせよ、現われたということが重要なのである。悪魔の出現を目撃した者が、なぜイエスの復活を否定することができようか。にも拘らず、イエスの復活を信じ願っているイッポリートの眼前に「暗愚にして冷酷なものいわぬ全能の存在」を指示する「ロゴージンの悪魔」しか出現しない、その侮辱的な己れの現実に彼は烈しい「嫌悪の念」を抱かずにはおれないのである。
 ロゴージンの姿をした幽霊は、なぜ沈黙し嘲笑するのか。われわれはここでイヴァン・カラマーゾフと彼の前に出現した悪魔を想起すべきなのであろうか。イヴァンの悪魔と同様、ロゴージンの幽霊もまたイッポリートその人に「何を隠そう、私はあなたなのですよ」と語ったかもしれないではないか。「燕尾服を着て白いチョッキと白いネクタイ」をしめて現われた、このちょっとふざけた感じのする悪魔を、もしイッポリートがおじけづかずに近よって凝視すれば、それは“ロゴージン”という仮面をつけた自分自身であることに気づいたはずだ。幸か不幸か、イッポリートは眼前に出現して、そして立ち去った幽霊の正体を確認せずに眠りに落ちた。
 イッポリートの言う「奇怪な形」とは、彼自身の深層に隠蔽された“悪魔”がロゴージンという幽霊の姿をとって彼自身の前に出現してきたことである。幽霊の沈黙と嘲笑は、そのことでもってイッポリートに彼自らの正体を鋭く告示する。だが、ロゴージンの幽霊を自分自身の“分身”と明晰に認識できないイッポリートは「嫌悪の念」という、生理的次元においてしかそのことを承認できない。老婆アリョーナに烈しい生理的嫌悪を感じたラスコーリニコフが、犯行前、決して自身の“卑小さ”に気づかなかったように、「最後の決意」を実行する前のイッポリートもまた、自らの裡に潜む“悪魔”の存在に気づいていなかった。もちろん彼はそれを他者化(ロゴージンの幽霊)することで、自己を正当化する心の詐術にさえ気づいていない。彼の「嫌悪」という生理的不快感は、二人の女性を殺害しておきながら自らの犯行に罪を見出し得なかったラスコーリニコフの苦悩(罰)と近似していよう。
 理論家ラスコーリニコフ(理性と力の意志を信じた犯罪者)が最終的には宗教奇人ソーニャ(ラザロの復活を信ずる娼婦)の前に屈服したように、どうしてイッポリートは全能の神の前に屈服し得ないのであろうか。それは彼の分身であるロゴージンの幽霊が指示した全能の神の正体にある。「限りなく偉大で尊い存在(キリスト)を無意味にひっつかみ、こなごなに打ちくだき、なんの感情もなく口中にのみこんでしまった」、そのような全能の神(死)が支配する、この世の現実にこれ以上とどまることはできないというのである。彼はロゴージンの幽霊の出現に出会うことのできる幻視者でありながら、復活したキリストの姿を見ることはできない。ここにイッポリートの最大の不幸、信仰のつまづきがある。「限りなく偉大で尊い存在」であるキリストが、もしホルバイン描くところの「死体」でありながらも、イッポリートの前に復活してくるのであれば、全能の存在である神は決して「巨大ないやらしい蜘蛛」の姿をとって現われることはなかったであろう。
 もしわれわれ人間が本当に「死への存在」にとどまるならば、ハイデッガーのいう本来的現存在の先駆的覚悟性はまゆつばものに堕さざるを得ないだろう。もし「死への存在」ということに充足するのであれば、イッポリートの言う「嫌悪の念」こそ認めなければならないだろう。尤も、われわれはここで“死”というものを熟考してみなければなるまい。ハンス・ホルバインの描いた「死せるキリスト」は、キリストの「死体」を描いているのであって、キリストの“死”を描いているのではない。これはきわめて重要なことではないのか。われわれは生きる過程で他人の死体を何度か目撃し、そのことを持って、すべての人間は死ぬ、と結論を下している。だが実は、われわれは他人の“死”を目撃することはできない。われわれは死の寸前を生きる人間の苦しみと悲しみに立ち会い、死後の死体によりそうことはできても、決して、その、文字通りの意味で瞬間である“死”を目撃することはできない。“死”は決してとらえることのできない“瞬間”であるが故に、私にはそれは“永遠”と感ぜられる。ハイデッガーは自らの哲学の体系から予め慎重に神学を排除し、理性的認識の次元にとどまって生ける現存在の諸様態に照明をあてた。だが、その大労にも拘らず、彼の基礎的存在論(「存在と時間」)は、人間の生きてある根拠を示し得ない。理性は遂に、人間の誕生前と死後に関しては無力無能力であることをさらす他はない。人類の長い歴史は、人間は死すべき存在であるという、そういった誰でも承知している絶望的“事実”によっては生きられなかったことをこそ証明している。永世を想定しない「死すべき存在」を説く哲学者に、現存在の様態を本来的、非本来的と二分類する資格はない。二十世紀の哲学者は世界を予め説明できる範囲にせばめた上で明晰であろうとした。ところで、ソクラテスプラトンの昔からフッサールの今日まで、限りなく明晰であろうとして、その明晰の極限で神秘に直面しなかった哲学者があろうか。尤も、ハイデッガーのすごみは彼の未完の基礎的存在論にあるのではなく、鷹のような鋭い眼差しで時そのものを捕獲しようとしたことにあろう。だが、イッポリート流のことばで言えば、時そのものに果敢に立ち向かった二十世紀最大の哲学者でさえ、その「暗愚にして冷酷なものいわぬ」時そのものにのみ込まれてしまったということである。
(1986・9・17〜10・2)