どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載7)

どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載7)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


赤塚不二夫森田拳次の漫画 


ギャグは単なる皮肉や否定や茶化しではない。赤塚不二夫の漫画はナンセンス・ギャグ漫画である。すべての意味をギャグ化することで一瞬の内に〈無〉の中へ放り込んで無化してしまう。が、赤塚不二夫の無限の深さを持った〈無〉(すなわち底のない面としての穴)を覗いて見ると、そこには無限の〈あい〉の花びらで埋め尽くされている。
 赤塚不二夫のギャグはもちろん虚無であり、キョムでもあるのだが、その本質は〈あいに満たされた無〉であり、〇(零、ゼロ、丸)なのである。赤塚不二夫森田拳次はこの点において一致している。〈丸出だめ夫〉は〇(丸、無)から出てきた有(存在)であり、作者・森田拳次は〇からどんなものでも創出することができる。タイムマシーンも、人間の感情を持ったロボットさえもすぐに作り出すことができるのである。