どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載4)

どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載4)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から
清水正


四番目の対談者はビートたけし。映画とお笑いが主なテーマ。

 たけしはお笑い芸人のビートたけし、および映画監督・北野武として対談に臨んでいる。たけしは漫才ブームに乗ってテレビに出まくっていたころから異才を放っていたが、今や単なるお笑い芸人の域にとどまらず、テレビ番組の企画サイドでも活躍している。また、軍団のメンバーを引き連れてのフライデー襲撃事件、オートバイによる瀕死の事故、芸能界からの追放と復帰など、たけしは実生活の場面でもスキャンダラスな話題を提供しつづけた。
 たけしは、芸能界から干されていた一時期を除けば、やはり現在優位型、木村敏の言い方を借りればポスト・フェストゥム(祭りの最中)的な時間を生きている。分刻みのスケジューをこなしていかなければならない超人気者は流暢に過去に思いを寄せたり、未来に対して鷹揚に構えて生きることが許されていない。次々に現れる〈今〉という小舟に乗り移っていく力と技量が求められている。立ち止まることは何よりも危険なことと見なされる。
 赤塚不二夫が『天才ばかぼん』、森田拳次が『丸出だめ夫』を連載していた昭和三十年代は、日本がまさに高度経済成長期にあたっており、日本中が速さと高さを求めていた。ゆるやかに、のんびりと、しみじみといった形容が許されない、スピード(新幹線開通)と高度(所得倍増、ビルの高層化、東京タワー)が何よりも優先された、よく言えば夢と希望にあふれた元気はつらつの時代であった。学生による政治的な運動も活発で、当時の若者は国家や革命、秩序や反秩序に関して無関心であることはできなかった。当時はノンポリでさえ、一つの政治的立場を意味していた。今日の暖簾に腕押しのような、無気力・無関心・カラオケ的自己充足の時代ではなかった。