随想 空即空(連載43) #ドストエフスキー&清水正ブログ# 清水正

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随想 空即空(連載43) #ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

自然と神

 ドストエフスキーは『白痴』の中で余命いくばくもないイポリート少年の口からロゴージンの家にあった〈死せるキリスト〉(ハンス・ホルバイン作)について次のように語らせている。引用は新潮文庫木村浩訳に拠る。

 

 これは十字架にのぼるまでにも、限りない苦しみをなめ、傷や拷問や番人の鞭を受け、十字架を負って歩き、十字架のもとに倒れたときには愚民どもの鞭を耐えしのんだあげく、最後に六時間におよぶ(少なくとも、ぼくの計算ではそれくらいになる)十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体である。(中略)キリストの受難は譬喩的なものではなく、現実のものであり、したがって、彼の肉体もまた十字架の上で自然の法則に十分かつ完全に服従させられたのだと、キリスト教会では初期のころから決定していることを、ぼくは知っている。この絵の顔は鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、眼を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた。(中略)キリストのすべての弟子や、未来のおもだった使徒たちや、キリストに従って十字架のそばに立っていた女たちや、その他すべて彼を信じ崇拝した人たちが見たとしたら、こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか?(中略)この絵を見ていると、自然というものが何かじつに巨大な、情け容赦もないもの言わぬ獣のように、いや、それよりももっと正確な、ちょっと妙な言い方だが、はるかに正確な言い方をすれば、最新式の巨大な機械が眼の前にちらついてくるのである。その機械は限りなく偉大で尊い存在を無意味にひっつかみ、こなごなに打ちくだき、なんの感情もなくその口中にのみこんでしまったのである。しかも、その存在こそはそれ一つだけでも、自然全体にも、そのあらゆる法則にも、地球全体にも値するものではなかろうか。いや、その地球さえも、ひょっとすると、ただこの存在がこの世にあらわれるためにのみ創りだされたのかもしれないのだ。つまり、このいっさいのものが屈服している、暗愚で傲慢で無意味に永久につづく力の観念をこの絵は表現しているもののようである。(中略)この死者を取りまいていた人びとは、自分たちの希望と信仰ともいうべきものを、ことごとく一気に粉砕されたこの夕べ、かならずや恐ろしいわびしさと心の動揺を感じたにちがいない。(下巻160~162)

  キリスト教圏の小説家にとって自然と神の問題は大問題で、すべての事象は自然の内にあると考えれば、当然神への信仰はなくなることになる。余命幾ばくもない結核病者のイポリートは自らの死に直面して、キリストか自然かを問うている。とりあえず、この問いの内容検証は後に回して、内村鑑三の同じような問いの場面を見てみよう。

 

  嗚呼誰か神意と自然の法則とを区別し得るものあらんや。神もし余の愛するものを活かさんと欲せば、自然の法則に依て活かせしのみ。余輩神を信ずるものはこれに由て神に謝す。しかれども神を信ぜざる者は或はこれを医薬の効に帰し、或は衛生の力に帰し、治癒の源なる神を讃美せざるなり。神の何たるを知り、自然の法則の何たるを知らば、神は「自然に負けたり」との言は決して出ずべきものにあらず。(25)

 

  しからば祈る何の要かある。神は祈祷に応じて雨を賜わず、又聖者の祈祷に反して種々の艱苦を下せり。祈らずして神命に従うに若かず。祈祷の要は何処にありや。

  これは難問題なり。余は余の愛するものの失せしより後数月間、祈祷を廃したり。祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしには枕に就かじと堅く誓いし余さえも、今は神なき人となり、恨を以て膳に向い、涙を以て寝床に就き、祈らぬ人となり了れり。(25~26)

 

 神に祈っても願いが叶えられないことは無数にある。むしろ願いが叶えらることはごく稀である。わたしはキリスト教の神を信じていないので、神に向かって願い事をしたことはない。人間の願い事に関して徹底的に沈黙を守る神は、地上世界に正義・公平・真理を体現する神とはそもそも無縁な存在に思える。人間の善悪観念などに全く頓着しない神は人格神などとは関係なく〈自然〉そのものとさえ言える。サバンナでの弱肉強食の場面を見て、善悪など口に出すことはできない。ライオンが生きるためにシマウマを捕食するのを〈悪〉と見ることはできない。殺すか殺されるかの生の舞台を必死で生きている動物に対して善悪など持ち出すこと自体が愚かしく思える。愛する者が死ねば、残された者はその悲しみを抱いて生きるほかはない。時の経過によって悲しみは徐々に和らぐが、なくなるわけではない。祈りによって慰めを得ようとする者のその〈祈り〉を否定する気などさらさらないが、神を絶対視してそれに帰依する気もない。鑑三はキリスト教への信仰を失えば神に祈ることもやめるだろうが、わたしにとって〈祈り〉は慰めを得んがためのものではなく、ただ祈るだけである。慰め、救済、願望成就とはなんの関わりもない。運命を運命としてそのまま受け入れる〈祈り〉があるだけである。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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目次

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