文芸入門講座課題レポート


わたしたちは越境して、
  もう一度、戻ってこなければならない。

  ――批評形態としての疑問と、
ドストエフスキーが成しえなかった課題について――





城前 佑樹



  人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」
             カート・ヴォネガットスローターハウス5


  乾きたる天(てん)唇(しん)もどきうごかせど「磔刑名誉」しらずに過ぎぬ                          城前佑樹




  ぼくは偶然に出遇ふことがらのなかに宿命の影をみつけ出す。
        吉本隆明『初期ノート』より「第二詩集の序詞(草案)」から





  いりくち  「こんなことに一生をつかっていいんだ!」

 まず、ある美談から話をはじめてみたい。ある日本の男性詩人の一エピソードである。
 かれが少年の頃のはなしだ。少年の通っていた小学校は都内でも最低の成績の学校といわれていたため、かれの父は塾に通うよう息子に勧めた。少年は遊び仲間と別のみちをゆくことに後ろ髪をひかれる思いでいたものの、塾の自由な雰囲気にだんだんと充実や素晴らしさを感じるようになる。
 この塾で読書のたのしさにも出会ったかれは、あるときファーブルの『昆虫記』をふと、手に取ることになる。あらゆる昆虫の生態を綿密な観察で追った、かの有名な本である。少年はこの本を読み、大きなショックを受ける。
なにゆえにそのようなショックを感じたのか。
 昆虫が糞を丸めてころがしたりしているのをファーブルは精密に観察しているわけだが、こういうおじいさんは日本人にはいないな、とかれは感じたそうだ。日本人は役にたつことしかしない。特におじいさんは役に立つことしかしない人が多いけれど、この人は役に立つかどうかわからないようなことをやっている。そんな役に立つかどうかわからない、人から見たらつまらないと思えるようなことで一生をつぶすことができるんだということを、はじめて『昆虫記』を読んで感じて感動した、とかれは語っている。
 恐るべき感受性である。それに比して、わたしが小学生の時『昆虫記』を読んだ際感じたことは、「なんて昆虫の生き様は神秘的なのだ!」ということや、「徹底的な観察方法が凄い!」といったものだった。要するに、自我確立の内的な必然性のおもみを引き受けていなかった、ということになろう。
 この少年の正体はいまは亡き吉本隆明だが、このエピソードには後年批評家として名をなす吉本の原型、いや、日本的批評家の原型があるといえる。すなわち、批評家には作品や作家のじぶん自身への引き受けが不可欠だ、ということである。小林秀雄が「モオツァルト」で云ったところの「評家が口づけに呑まねばならぬ批評の源泉」とも言い換えられようか。ファーブルのおそらくは思想なき意識活動を、じぶんの世界へ思想をもって引きつけた、それが感動をよびさましたのであり、それを打ち返す  書きぬくという批評活動の結果まではあと一歩だったのだ。
 さて、わたしがおそらく吉本少年から十年ほどの遅れで自我確立の内的な必然性のおもみを引き受け、その自我確立、だけでなく、その先にある生活の確立、ひいては世界の確立の肖像の描きに苦悶するなかハッとしたのが、今回の課題図書『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻だった。自身が講義でも、またこの著でもいうように、清水先生は十九のときからドストエフスキーとくんずほぐれつを繰り返してきた。以前、『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』を中高生のころ(先生の言葉でいえば表層のみをなぞるだけというかたちで)なんとか読み終わりに辿りついたわたしは、ドストエフスキーの本を読んでいるうちは没入したが、もう一度その世界に戻ろうとは思わなかった。わたしは近代文学をまったく読まず現代文学へと進んだ。ドストエフスキーの偉大さは分かった。もういい。しかし、そうして見切りをつけた過去のじぶんはこの著(『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻)を読み、文字通り、
 「こんなことに一生を懸けていいのか!」
 と眼が開かれる思いがした。まるでスイングスピードが滅法速い野球の打者のように、作品ならびに作家を限りなくじぶんに引きつけてこの現実へと打ち返すこと。これが「批評の源泉」だということを先生は十九の時から判っていた筈だ。最初の著書に「ドストエフスキー体験」と銘打ったのだから。
 しかし、開眼したのは事実だが、『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻におけるその批評方法においては疑問を呈せざるを得ない。このことについては次章で詳しく述べてみたい。打者の打つ球をこれまた批評をするものとしてわたしがバットもて打ち返そうというので、滑稽なことになるかもしれない。だが、どんなに芯に球が当たる確率が低かろうと、打ち返したはいいがラリーが続かなかろうと、わたしは何度でも、真剣に、スイングしていく。


  〈わかる  わからない〉比較批評と、
〈わからない  わからない〉比較批評の、比較考証

 批評方法の検討については冒頭からとにかく難点を突き詰めていく方策もあろうが、ここでは別のアプローチの仕方を提出してみたいと思う。
清水正ドストエフスキー論全集』第四巻では、手塚治虫の漫画版『罪と罰』とドストエフスキーの原作『罪と罰』を比較して論考を進めている。清水先生は言う。「ドストエフスキーを読み続け、批評し続けてきた者にとってこの手塚治虫版『罪と罰』は余りにも幼稚なものに思えた」、また、「彼が描いた漫画『罪と罰』は原作『罪と罰』に及びもつかないことは明白である」とも。この姿勢は、漫画版結末のリアリティの方に先生が軍配を上げるところ以外、一貫している。あくまで原作を絶対的なものとして、漫画をそれに沿わせる形で論考が進むのだ。
ここで、この批評方法を抽象化してみる。
先生にとって原作の方はまだまだ神秘的であり、魅力的であり、前述したように絶対的である。これは何かの存在に似ていないだろうか。そう、「神」である。人間の存在には「神」の意向をすべて測り知ることはできない。ここに〈踏み越え〉の必要性が生じるのだが、この〈踏み越え〉については後述する。現段階では、この定義が不十分であることを認識しつつ原作を〈わからない〉ものとして置いておこう。
漫画版の方はどうだろう。終始、手塚の立ち回りに否定的な文章が繰り返されている。バフチンのいうドストエフスキーのカーニバル的要素などは漫画なりに描かれている、と一部評価する場面も出てくるが、先生は自身のドストエフスキーにおける網羅範囲に手塚は全く及んでいない、と自負している様な文面である。わたしのこの文では、原作の謂いと対置して漫画版を先生にとって〈わかる〉ものとおいてみる。
ここまできて『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻は、〈わかる〉ものと〈わからない〉ものとの比較による論考という事となった。〈わかる〉ものと〈わからない〉ものとの比較。わたしは、この二つをテーゼ、アンチテーゼとし最後にジンテーゼを創り出すのではないかと期待したが、終わりには「〈虚無〉の白紙を凝視する」という宣言が為されたのみだった。もちろん、これは「入門編」でありドストエフスキーの文学にはさらに深遠なものが埋まっている、それにはもっと刻苦勉励して読むに読むべきだ、という声が聞こえてきそうだ。しかし、〈わかる〉ものを利用して〈わからない〉ものの絶対性を補強するのはいかがなものか。これは弁証法といった近代的方策よりも後退する態度であり、わたし個人としては、内容はべつにして首肯しかねる事は確かである。
〈わかる〉ものが〈わからない〉ものにすっぽり包含されている『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻と、全く違う方策を講じたある著作がある。
それは『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(内田樹・著)という著作である。
わたしなど恐ろしくて手も出せない程だが、周知の通りラカンレヴィナスともに難解に輪をかけて難解な哲学者である。著者である内田自身もまえがきの中で、自分はレヴィナスについてはかなり長期にわたって集中的な読書をしてきたが、いまだにレヴィナスが「ほんとうは何を言いたいのか」よくわからない、ラカンについては、レヴィナスよりさらに何が言いたいのかわからない、と語っている。そうした状況で、そこに「同じ種類の難解さ」を「腑に落とし」、「話を複雑にする」ことによって議論を「継続」して「時間」の解決を待つ、という読解戦略からはじまる長い旅のような読書はかなりのスリリングさを湛えているのだが、レヴィナスラカン読解の説明はここでは省く。
重要な観点は、この著作が〈わからない〉ものと〈わからない〉ものとの比較による論考だ、ということである。〈わかる〉ものによる〈わからない〉ものの補強ではなく、〈わからない〉ものと〈わからない〉ものを摺り合わせ、まるで集合Aと集合Bを力技でじりじりと重ね合わせるようにして読み解いていく、という方策はコロンブスの卵と思われた。
しかし、この〈わからない  わからない〉比較批評は〈ラカン  レヴィナス〉での比較であったためできた離れ技ではないか、という疑問が湧く。かれら二人は二十世紀の同時代人であったため、摺り合わせができたのでは、というのもありそうな話である。それと対照的に〈ドストエフスキー  手塚治虫〉ラインは、両者の生きた時代、国籍、職種等々同じ立場とは全くもって言い難い。
清水正ドストエフスキー論全集』第四巻のような批評態度となるのは必然なのであろうか。ならば漫画版『罪と罰』を持ち出してきた事自体が、解釈として新しさを生み出す契機になりにくいという申し訳ない事態になるが、それは間違いである。漫画版『罪と罰』において、手塚治虫は〈踏み越え〉をしっかりと提示していなかった。では、かれは〈踏み越え〉を現代において見失っていた、或は失効していたと思っていたのか。否、「神」なき世界で、人間随一の科学が幅を利かす世界で、かれはそれを模索してはいたのである。ドストエフスキーが『罪と罰』におけるラスコーリニコフの「あれ」に「老婆殺し」だけでなく「皇帝殺し」の意を含めたことは、『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻を読んでも分かることだが、十九世紀のロシアでは「皇帝殺し」で済んだものが、二十世紀の日本ではそうはいかない。しかし、両者の作家全体としてわたしが判断した二人のベクトル方向は、決して別の方角を向いているわけではないのだ。

 ドストエフスキーの生涯における〈省略〉、
              手塚治虫の他作品における〈踏み越え〉

 清水先生は『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻の中で、手塚漫画に顕著にみられる〈省略〉〈誇張〉〈変形〉にふれ、『罪と罰』の漫画化にもその手法をふんだんに使った手塚治虫の欺瞞を撃った。原作に忠実に漫画化する、もしくは原作を超えた漫画化に挑むのならば、こうした方法論ではドストエフスキー自身の粘着質で執拗なリアリズム描写に追いつくことができないと云うのである。
ドストエフスキー的世界の再現という観点からみればそうだろう。
しかし、わたしたちの世界の捉え方、感じ方から照らしてみればどうだろうか。
勿論、作家という存在はわたしたち大多数には見えない世界を構築しなくてはならない、という命題はあるだろう。
だが、わたしたちが思い返したとき、人生の航跡に残るのは、脈絡が強くのこった物語だろうか。否、時代の巡りが速い現代では特にそうだが、それこそ手塚漫画のような〈省略〉〈誇張〉〈変形〉に満ち満ちた、また漫画のコマ割りの如きバラバラになったワンシーンワンシーンであるように思う。人の意識野でのあらわれこそが真なのだ、と現象学は告げている。ならば、現代はドストエフスキー化を過ぎ、手塚治虫化をしたといえるだろう。
〈踏み越え〉を通じた復活の曙光による輝きを封じられた、現代の〈虚無〉の正体がこれである。
さて、この現代への変化は、ドストエフスキーの生涯における〈省略〉から始まったといっても過言ではないと思う。この〈省略〉は全人間いや全生物に共通する〈省略〉である。当たり前の事実から記述を進めてみたい。ドストエフスキーの最後の小説は、近年日本でも新訳が出たりしてブームになった『カラマーゾフの兄弟』である。有り体に言えば、この小説はかれの人間観、世界観が高密度のかたちで浮き彫りにされた小説であるが、現在出版されている『カラマーゾフの兄弟』は実は第一部であり、続編が構想されていた事はあまり知られていない。
 ドストエフスキーの死で続編が書かれることは無かったが、この続編にこそ、かれの文学的技術、技量で測るべきでないあからさまな〈踏み越え〉が描写される筈だったのだ。
 現在読むことができる『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ家の三男であるキリスト者のアリョーシャが、ある子の葬式で子供たちに取り囲まれ大団円、というところで終わる。しかし、続編では、アリョーシャは一人で首都に行き、さまざまな思想活動に従事した挙句、最終的にはロシアの皇帝を暗殺する、あるいは暗殺しようとして死刑になる、という構想が立てられていたようである。
 これこそ『罪と罰』では暗喩的に示唆されているのみだった〈踏み越え〉の先鋭的かつ裸形としての活写ではないのか。ここにはなんの文学的秘密も隠されてはいない。また、現にドストエフスキーの死の一か月後、皇帝は本当に暗殺された。
 だが、歴史にifは無いように、『カラマーゾフの兄弟』の続編も執筆されることは無かった。これはドストエフスキー自身の〈省略〉であったようにわたしには思われる。かれ自身には抗すことが出来なかった魂の〈省略〉であるように思われる。にも関わらず、現実は想像力から悪魔のバトンを渡されたように〈省略〉を現世界で〈踏み越え〉へとあらわしてしまった。それからの世界の歩みは明瞭である。
 手塚は二十世紀というその世界のなかで、かれ自身が表現化できるほど把握していたかは判別できないが、新たな〈踏み越え〉そして復活は困難だという想念にぶつかったのかもしれない。そう考えると漫画版『罪と罰』のラストシーンの作り変えも合点が行く。また、清水先生が「おちょくる」という表現で糾弾する手塚の手法も、かれ自身のニヒリズムとそこに端を発す「この現代にあっては『神の世界』と『神ならざる世界』の二分法すらなく、よって小なる〈ジャンプ〉しかない」という思いのあらわれだ、という気もする。
 そんな手塚にも、〈踏み越え〉を描き得ようとした作品が幾らか見受けられる。その最たるものは未完と言われる作品『火の鳥』であろう。『火の鳥』設定自体、人間を規定する命という存在事実からの〈踏み越え〉である。なかでも手塚存命中での『火の鳥』最後の編である「太陽編」のラストは如実に〈踏み越え〉を表している。古代と未来が相関して絡みつき進んでいくこの物語は、主人公の男が女と「あたらしい世界」を志向して歩もうとする場面で終結している。奇しくも、最後のコマは「復活の曙光に輝く『罪と罰ラスコーリニコフとソーニャ」の様に、男が女とともに読者に背を向け、奥手に光る太陽であろう存在に向かっていく場面で終わる。
 が、手塚は「太陽編」のその後を描こうとはしなかった。
 これも、ドストエフスキーが、このあとにはあたらしい物語がはじまっている、としながら、この話は終わった、として『罪と罰』自体に区切りをつけた事とのアナロジーが感じられる。生きた時代もその時代背景も違った二人が向いているベクトル方向は決して別の方向ではない、というのはこういう理由からである。
 もちろん、清水先生が『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻でなかなか了承できないという素振りをみせている、手塚治虫の表層の次元においての「遊び」という手法は、ドストエフスキーの時代では許され得なかった思想発露であるが、そこに手塚の生きた二十世紀という時代での、ある意味では十九世紀以上の表現における難点が隠されているように思われるのである。


  表層の武装、ソーニャの処女膜破られの〈省略〉

 副章の題に「表層の武装」と冠してはみたものの、わたしは例えば蓮實重彦のいう『表層批評宣言』も手にしたことが無いし、また、「表層」という語のもつポストモダン言論での意を含むものとしての知識を、さらさら持ち合わせていない。二十世紀において「表層」という語が担う事となった大役を、二十一世紀から遠く遠望するのみである。だが、清水先生は『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻で「表層」という語を全くもって、薄弱なものとして捉えている。この両者の捉えの差異については、わたしはとやかく言う権利を持っていない。
 重要なのは、二十世紀は「無意味性に思想あるいは意味性を課した」時代であったのだろう、ということだ。そこでは「フォルム」そのものが「主題」となる。確かにこの見方は「政治の時代」の存在を抜きにして語っている、という批判を免れかねない。だがしかし、その「政治」も現在から遠望すれば「スタイル」でしかなかったのではないか。そんな時代ではあくまで「どのように表層を武装させるか」が重要になってくる。それ以前にも、人間の「表層」である皮膚感覚に訴える藝術はあったかもしれないが、その剝き出しの「表層」は呼応を目指すのみで、価値の差異への志向には向かわなかった。ドストエフスキーが掘り下げるように人間の暗部深部へと降りて行ったのは、「見かけ」は所詮「見かけ」に過ぎないという、十九世紀末を憂うかれ自身の時代観からの要請だったのだろう。
 ドストエフスキーによってほぼ書き尽くされた「主題」の時代である十九世紀が終わった。そして、二十世紀に生まれた手塚治虫は漫画家として出発した。かれは至る所で、自分にデッサンの習熟体験が無い旨を語っているが、そのなかでかれがとった手法は「人物のデフォルメ」というものだった。これは云わば漫画での「表層の武装」なのではないか。原作での描写が大幅に〈省略〉されたのも、この「武装戦略」として意識的になされたのかもしれない。
 この二人は描き方としてタイプが異なってしまったのは、清水先生のいう様に「手塚のドストエフスキー読解の浅薄さ」から来たというのはもちろんそうには違いない。ただ、それは時代というものを無視した考えで、時代要請による戦略がそもそも食い違いの原因というのも想像に難くない。
 そうしたなかで、二人がそろって描いていないものがある。
 それはソーニャの処女喪失がいつ、どこで、誰によってなされたか、という描写である。この処女喪失を、処女膜の破られ、という風に換言すると、現在論議をすすめてきた「表層」とも絡んでくることになる。ここでドストエフスキー手塚治虫も性別として男性であることに注目したい。男性が作家となり作品のなかで女性を登場させて描くとき、大抵の場合、物語のながれに沿わせて理想化するなり、類型化するなりが通常である。しかし、その理想化、類型化を逆手にとり、彼女たちを物語のキーパーソンに仕立て上げるという技法もないわけではない。ドストエフスキー手塚治虫も、『罪と罰』という作品でのソーニャという女性をそうした技術の産物として利用しているように見える。清水先生流の言い方で云うなら「表層のみをなぞるように読む」とソーニャは、純潔無垢を貫いていたが家庭事情や碌でもない人々の思惑により、売春婦にまで貶められてしまった悲劇のヒロインという風にみえるのである。
 これに異を唱える考えをあたえられた契機として、清水先生はある女子学生の反応をあげている。彼女はあるとき冷笑的な笑みを浮かべながら「ソーニャが処女だなんて何の確証もない」と言った、と。ドストエフスキーがその決定的な場面を描いていない以上、そこにはあらゆる類推が許されるし、「大主題」を「大手腕」で描き切ってみせたドストエフスキーならば「男性性」と「女性性」の神秘についての考察を隠しこませたというのもありえる話だ。冷静に考えれば、ソーニャがイワン閣下に体を売る以前に処女を失っていた、となると彼女を頼みの綱として〈神〉の世界へ〈踏み越え〉をしたラスコーリニコフの信頼自体が瓦解することになるが、これへはソーニャが鞭身派(フルストゥイ)での会合で男に降臨した〈キリスト〉との性交により処女喪失を経験したのだ、という反論も容易に立脚できるし、ここでは等閑に付しておく。
 こうした仮説の乱立に、読みの多様性の深淵を読み取るのは良い。だが、かれら二人がともに描こうとしなかった(または描き得なかった)という事自体から得られるものはないか。前述したように、二人は「無意味性に思想あるいは意味性を課した」時代の過渡期にそれぞれ位置している。それが文学界であれ漫画界であれ。あくまでドストエフスキーはその先鞭をつけたのみに思われるが。その「表層の武装」をソーニャの処女喪失にも込めたとは考えられないか。男性が悦楽にひたる最初の女体にとって、最後の「表層」は処女膜である。それが破られていたにせよ、破られていなかったにせよ、「表層」なことには変わりはない。
 その「表層」である処女膜を神聖なものとして、どこかしらでソーニャが純朴に失ったと描くことは、二人ならできた筈だ。それを(敢えてなのか、無意識なのかは不明だが)書きはしなかったということ、これについては正反対の因子が二つ考えられる。
 一つは、書かないということによって、処女膜という「表層」を時代に沿うように「武装」させたのではないかということである。それも読んでいる時には「上っ面」を撫でるだけになるように滑らかに。そして、ソーニャを物語のすすみの中では聖女に仕立て上げるのとは反対に、物語とは逆行して、停止することができる物語的現実の中では彼女を、想像力による読解によって処女膜という「表層」を突き破った者だけが、人間として理解できるようにした。「武装解除」がいよいよ困難となる時代への挑戦という事だろう。
 もう一つは、時代の流れに逆らって「表層」の「武装」を「解除」したのではないか、という事である。ドストエフスキーは、処女性などといったものにびくともしない女性たちの群れを先取りして幻視していたのかもしれない。手塚治虫の時代には女性の解放はもう声高に叫ばれていたので、手塚にそれは当てはまらないかもしれないが、手塚も女性の時代というのを幻視したというのは確かな事だろう。
 男は「武装解除」をする方で、女は「武装解除」をされる方だ、という二元論はあからさまな暴論であることは間違いない。しかし、そうした、やり手、と、やられ手、が存在することは事実である。表層的に見ても『罪と罰』のもっとも大きな事件である、ラスコーリニコフによる老婆殺しはそれを端的に示している。ただ、そこに正しいか正しくないかの倫理観を持ち出すことは、この「表層」の議論においてもっと広く言えば『罪と罰』において、大きく揺さぶられる事となる。


  わたしたちが、卵、か、壁、に分けられるとして
                 わたしが、壁、であったならばどうするのか

 今では日本を代表する、そして世界でも人気の高い作家である村上春樹が、2009年に「社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞」を受賞した。その際のかれの受賞スピーチが国内外で広く話題になった事があった。かれは、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」と主張した。そしてかれは言う、その壁がどんなに正しく、その卵がどんなに正しくないとしても、自分は卵サイドにいる、また、壁はひとを時に損なう「システム」の表象であり、小説家としてのじぶんはそれに抗し、ひと一人一人の尊厳に光を当て続ける、と。このスピーチはイスラエルパレスチナの紛争といった政治的観点からかなりの批判を受けたが、ここでは政治的問題はひとまず置いておく事にする。
 正しい、正しくない、は誰かが定めなくてはいけないし、あとは時代や歴史といったものが決めていくものなのだろう、とかれは言う、しかし卵の側に立たない作家にいかほどの存在理由があるのだろう、とも。わたしはこの趣旨に最初に触れたとき、その実直な姿勢に感動するとともに、なにか心にしこりのような違和感を覚えたのを忘れられない。その数年前からリアルタイムでかれの著作を追っていたわたしは、こうした当時のこの感覚を言語化する事が出来なかった。他の人物のあらゆる批判文を読んでもこれが解消する事は無かった。
 そして、今、わたしはしこりをこの夏の読書体験の力を借りて語ってみようと思う。
 前章の議論を引っ張ってくると、ソーニャがイワン閣下と姦通する前に処女を喪失していたとしたら、彼女は「表層」の突き破りを自分の運命のなかで選び抜いた、といえる。と同時にソーニャの裏面が露わになり、イワン閣下の〈やさしさ〉がいきなり急浮上する。ドストエフスキーは意識的にであれ無意識的にであれ、ひとの表裏を渦に巻いてしかと直視した人物であるから、正しさ正しくなさを渦巻くよう描き切っている。ルージンの描写など例外はあるが、ドストエフスキーはそこに安易な倫理観を持ち出しはしない。というよりもそうした倫理観を持つ読者の姿勢を拒絶する。
 前述した村上春樹のスピーチに照らすならば、ソーニャは卵で、他の例えばイワン閣下などは壁だろう。しかし、ドストエフスキーの描写から考えて、ドストエフスキー自身は卵につくとも壁につくとも判別しづらい、否、判別を引き延ばそうとするような態度をとっている。
 こうは考えられないか。わたしたちが壁と卵に分けられるというのは、百歩譲って前提としておこう。しかし、今卵であったあなたが、永遠に卵であれる、卵として維持できるとは限らない。少し踏み外しただけで、例えば安倍公房『壁』のように壁へと変容してしまう可能性がある。或は、壁という存在は、割れた卵の殻の集積なのではないか。わたしたちは割れても痛みを感じないのかもしれない。何も感じずに壁の一部へと吸収されていくのかもしれない。
 村上春樹は、自分自身が壁である可能性を一度でも想像した事がなかったのか。厳しいことを言えば、エルサレム賞という「システム」に迎合した時点で壁に取り込まれているのではないか。
 そう、わたしは思う、わたしが既に、壁、であったらどうするのか、と。
 わたしがこの問いにどうにか下すことが出来る決断は具体的でない、つまり抽象的なものに過ぎない。文学がまだその魔法を失っていないのならば、崩れてしまった殻とただれてしまった黄身白身を拾い集めて、元の無傷の卵自身に戻る努力を文学が援ける。文学にわたしがはからずも携わっている以上、壁から卵をそうして呼び戻すという事をすべきだと思う。ただ温かい目を向けるだけではなく。
 ただ、ドストエフスキーも(そしてそれを踏襲した手塚治虫も)人間である以上、倫理観を超えた愛憎が放出してしまう事がある。それがルージンという人物に、老婆アリョーナという人物に憎悪という形で結実した。かれらは壁であろうか。もしくは卵であろうか。どちらとも取れるような二人である。この二人は著作のなかで揶揄し、殺し、こっぴどくやっつけられている。しかし、清水先生が強く警告するように、ひとを殺害したラスコーリニコフの方がよっぽど卑劣とも言える。そして、ラスコーリニコフの方は復活の曙光に輝き、二人は浮かばれないままである。
 かれらは救済されないままなのか。十九世紀に生きるならば、ひとを憎まなければならないのか。いや、いま二十一世紀でもこれは未だに切実な問題だろう。わたしたちが皆、神の世界へ〈踏み越え〉ができればいい。しかし、勿論そんなことにはなるわけがない。わたしたちは神の世界と地の世界との間でうろついている。このような世界では、壁、と、卵、という二元論ももう意味をなさないのではないのだろうか。そんな混沌としたこの場所で、神の世界に〈踏み越え〉をなさなくてもいい、誠実に生きるにはどうすれば良いのだろうか。


  ふたたび、吉本隆明、「往還の思想」、〈踏み越え〉を超えて、

 ドストエフスキーは、ラスコーリニコフの神の世界への〈踏み越え〉のその後を描かなかった。同様に、手塚治虫もこの青年のその後を描かなかった。しかし、青年ひとり救われたところで世界は変わらない。書き手二人は、青年に共感した、もしくは、すると思われる読者を救済したつもりでいただろうが、救われたかれ、かれらにも、その後、があるのを忘れてはならない。神の世界へと入ったはいいが、じぶん一人だけでいいのか思い悩まない、とは言い切れない。またこのかれらが救済されたとしても、まだ地には未だ救済されないひとたちがいるのは事実ではある。
 わたしは唯の傲慢なのかもしれない。わたしの言っている事はすべて絵空事なのかもしれない。皆が救われることなどありえはしない。わたし自身、じぶんのステージにみんなが上がってきてしまった場合、ウェルカムな気持ちでない部分が絶対にのこると思う。それに、じぶんがもっと上にあがりたいみたいな気分がやはり蟠っている。
 そんなじぶんにとって、今の時点で縋れる、縋っているといえるのは「往還の思想」なのかもしれない。この思想は、鎌倉時代浄土真宗の開祖、親鸞が編み出したもので、わたしはこれを吉本隆明の著から知った。キリスト教の文学に仏教を接続するのは、見当違いと見る向きもあろうが、この論展開は〈踏み越え〉のその後を追おうと手探りでいった結果によるもので、宗教の教義などを超えたところにある人間のあり方は、まだこの段階をくぐりきっていない、とわたしは思う。この段階は、永遠に解決されないかもしれない。しかし、今より九百年近く前にこうした思想が提出され、二十一世紀に入っても古びていないのは驚異だろう。
 では、「往還の思想」とは何なのか。ひとの苦悩を浄土で往生し救済する事にかかわる、往相・還相という考え方の提示から議論をすすめたい。往相とは、浄土へ往く道であり、還相とは、浄土から還ってくる道の事である。ここで確認しておきたいのは、例えばじぶんの力で慈悲をおこして往生しよう、というのは往相の慈悲の次元だ、との事だ。つまり、じぶんの目の前のひとを憐れんで助けても、世界のすべてのひとの救済には繋がるのは難しい、という風なものだろう。それならば、すべてのひとを助けおおせるにはどうすればよいのか。そのために還相としての慈悲が必要になってくる。この地上でのはからいに別れを告げ、浄土を選び仏となり、そこからもう一度地上にもどって自在にひとびとに慈悲を注ぐ、これが還相としての慈悲である。そして、親鸞は還相の慈悲こそが、全てのひとを助けおおせる事ができるというのだ。
 しかし、宗教への信心をもたないわたしたちは、現世から浄土に行き仏になって、そこからまた現世にもどってくる、という考えに疑問をもたずに肯うことは、おそらくできないだろう。そこで、吉本隆明はこれを現在的な言葉に翻訳して、往相の課題を「喫緊の課題」、還相の課題を「永続的な課題」とした。例えば、これは勢古浩爾の『最後の吉本隆明』中の説明だが、喫煙は健康にもよくないし他人にも迷惑がかかるから止めようというのは、「喫緊の課題」、つまり往相レベルである。だが、なぜ健康に悪いとわかっていながら、ひとはそれを止めようとしないのか、「人類はなぜ一時しのぎにすぎないような快楽とか、嗜好品や麻薬」をたしなむのかという「人間の本性にひそむ問題」を解く事が、還相の課題なのだそうだ。
 この思想の応用は、日常にも無数に存在している。前述の『最後の吉本隆明』では、赤い羽根募金に応じるべきか否か、困っているひとを見たら助けるべきか否か、線路に落ちたひとを助けるべきか否か、犯罪被害に遭っているひとを助けるべきか否か、貧困にあえぐひとを助けるべきか否か、と挙げ、吉本隆明は助けたければそうすればいいし、そう思わなければしなくていいと答える、と紹介している。もっと驚いた事には、親鸞はむしろ「助けるな」と言っているそうだ。「往生の妨げになる」と理由を説明しているらしい。
 わたしたちはいかに此処でいうところの往相に毒されているか。いや、毒されているという否定的な物言いは間違っている。往相をゆかなければ生き抜く事は困難になる。更にいえば往相をゆけないのなら、還相を通って還ってくる事すらできない。しかし、わたしたちが夢やぶれたとき、同調圧力にけおされたとき、自由なく身動きがとれないとき、どちらが真のひかりへの道だろうか。
 以前、日本大学藝術学部文藝学科准教授の山下聖美先生の授業で、清水先生の宮沢賢治注文の多い料理店」論の感想を提出した際、わたしが文面に吉本隆明の話題を出したところ山下先生にこう問われた事があった。彼女は清水先生に聞いたこととして、オウム真理教には地下鉄サリン事件といった一連の出来事があるにもかかわらず、吉本は教祖の麻原彰晃を「宗教家として世界でも有数の人」と評価すると云った、それについてどう思うか、と。
 わたしは、その時も「往還の思想」に触れた。じぶん自身(城前)は麻原を、「宗教家として世界で有数」などとは微塵も思っていない。オウム真理教が行った行為は到底許されるものではないし、その頭であった麻原はひとではないと思う気持ちを抑えきれない。吉本も一般市民としては、オウムの犯罪を根底的に否定すると明言している。しかし、吉本は、思想として市民社会のあり方を超えようとする思想者として、次のような旨を語った。危険な要素がない宗教や思想などありえない。そうした中で、オウム真理教の行為は親鸞に照らしていえば、造悪論の種にはいるだろう。完全に還相の次元でことばを発する事ができる親鸞ならば、「麻原、あいつは極悪深重できっと往生しやすいよ」と言うにちがいない。しかし、吉本自身は、往相と還相の二重性に阻まれ断言する事ができないという。
 ここからはわたしの想像だが、吉本はこの思想によって被害者とともにオウム真理教および麻原をも救おうとしたのではないか、と思われる。容易に予想される反感として、「麻原が救われるのでは、被害者の方々は浮かばれないのではないか」という態度がある。これについては何も言うまい。というよりも、何もいう事はできない。しかし、わたしは、この沈黙を大事にしたいとおもう。その中で、一言だけ言っておきたい。やり手、やられ手にひとを分離させ、そのレッテルにしたがって座敷牢に閉じ込めるのと、野次馬に流される事なく、それぞれがそれぞれに救われるのとでは、どちらが宏大な思想の地平だろうか。
 ドストエフスキーの文学は、前述した比喩でいうと、座敷牢、から人間を解放した事は間違いない。それは〈踏み越え〉という行為に限りなく近い。しかし、手塚治虫の時代になり解放された人間たちは、流されるままに地を這う事となった。〈踏み越え〉ののちに見た地平は〈虚無〉に過ぎなかった。鎌倉時代には仏教があり、十九世紀末にはロシア正教があったような〈絶対的なるもの〉を見失ったからである。


〈絶対的なるもの〉を見失ったという、小林秀雄「無常という事」と同じ結論、
                   だけれど、その先へ



 この視点は『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻のなかでも、清水先生が「手塚は科学の進歩など相対的な価値は礼賛しているが、〈絶対的なるもの〉には信を置いていない」と強調している。わたしのこれまでの論議とも重なるところで、意見を同にするところだが、これについては不気味に既視感があった。そのため、書棚を記憶のみ頼りに漁っていたところ、小林秀雄の「無常という事」の末尾そのままだったのである。小林は言う、「現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と。わたしたちのこれまでの道のりは、戦後以前に辿られていた、という情けない事となった。それでも、この批評の伝統に厚塗りをしていかなければならない。
 吉本隆明は「往還の思想」を晩年さらにすすめようとした。かれは、じぶんが還相としてのことばを語り切れないのは往相と還相の二重性の矛盾があるためとして、この二重性を超える新たな倫理を模索したのである。それが「存在倫理」というものだったが、かれの死によってそれも深められる事もなく終わった。
 この吉本の姿勢は何を意味するのか。わたしの想像としては、混乱を極め、混沌と化すこの世界で、もう一度〈絶対的なるもの〉を措定しようとしたのではないか、と思われる。あくまで今の時点での吉本の限定的な発言をみると、オウム真理教の一連の事件そしてアメリカの9.11を経たうえで、従来の相対的な倫理による双方の正義の主張し合い、また相手の悪の言い合いの循環を断ち切るために、人間の存在自体に対する絶対的な倫理を必要としたようである。
 しかし、〔いま、ここ〕の現代人には現実においての存在とは別に、ヴァーチャルな存在も隠し持っているという特質がある。〈絶対的なるもの〉がひと一人一人に複数存在する場合、〈絶対的なるもの〉が即座に相対的に変わってしまう。
 〈絶対的なるもの〉があることによって〈踏み越え〉が可能になるという論理は、まず間違いないことだろう。〔いま、ここ〕では「〈絶対的なるもの〉が即座に相対的に変わってしまう」と前述したが、もしくは、「〈絶対的なるもの〉が無限に増殖する」という事にはならないか。それでは「絶対的」なる語の語義に反するかもしれないが、〔いま、ここ〕では〈絶対的なるもの〉は程度の差こそあれ、無数に存在しているとは考えられないか。現在という時代は〈虚無〉の時期を過ぎ、〈絶対的なるもの〉の乱立、沸騰の時代となっているのかもしれない。現にヴァーチャルな世界では、人間的な存在意識からの〈踏み越え〉が多数行われている。だが、それが自覚的に行われる事は稀だ。また、ソーニャ的な聖なる巫女がいる事も稀である。そしてここが重要な問題だが、ヴァーチャル・リアリティにおいて、バフチンの云うカーニバル化と、その反対の、徹底的な無視は紙一重と思われる。こうしたたちの悪い状況のなかで、誰かの〈踏み越え〉をやすらかに見守る事は、還相をたどるほかないのか。わたしたち一般には一生を賭してもたどれるかどうかも分からないのに。


でくち  ロベール・ブレッソンラルジャン』が完璧な沈黙をしいた事について

 ドストエフスキーが後世に遺した影響は計り知れない。これは絶大なものがある。現に手塚治虫ドストエフスキーに感銘を受け  成功したか成功したかは別にして  『罪と罰』漫画化に踏み切ったのだ。
 そのなかで、ロベール・ブレッソンというフランスの映画監督は、ドストエフスキーに沿うという名目を背負ったうえで、この不世出であるロシア一の文豪の引力から、自然な素振りを纏って自由になろうとした。たしかに清水先生の様な、ドストエフスキーに忠実な創作をのぞむひとびとからは、いかにもブレッソン自身の独自な映画観と映画文法によるフィルム化であるので戸惑いが予想される。ブレッソンはかれが生涯に監督した二十の数にも満たない映画のなかで、『スリ』『やさしい女』『白夜』の三作でドストエフスキーの小説を原作として映画化を行っているが、わたしが例えば『白夜』を観たところによると、あくまで原作に忠実というよりは、映画や映画という形式が花開いた二十世紀に忠実にフィルムへと焼きつけをしているように思われるからだ。
 わたしはこうした三作のなかで『白夜』しか観じていないし、どこがどのように〈省略〉〈誇張〉〈変形〉されているか、については記述を差し控える。この段階で、『清水正ドストエフスキー論全集』第四巻で為されたような議論を繰り返す事は、わたしが意図するところではない。必要なのは、わたしのこの論のすすみで言うなら、吉本隆明の「往還の思想」を血肉化しようとするとともに、それが許されないわたしたちに寄り添う思想、いや思想ということばが重すぎるなら、考え、を塗り足していく事である。
 さて、考えという存在はあちこちに落ちているように感じられる。いま世界にはメディアの拡大化により、膨大に情報が飛び交っている。しかし、それは比喩的に云えば「拡声器」で、使いまわされたせいぜい数個の考えが増殖して伝達されているだけではないか。もしくは、数多の糸電話で伝言ゲームをしているだけではないか。確かにわたし自身もその自覚はある。意図的に「拡声器」にしかならざるを得ないのではないか、と思う事もあった。沈黙をたいせつに保ち温かい目を向ける事も許されず、テレビのワイドショーのように反射的な喚きを繰り返すのを強制される。わたしは本稿で「壁から卵を呼び戻すという事をすべきだと思う。ただ温かい目を向けるだけではなく」と村上春樹に異を唱えたが、ここで考えると、わたしの自己矛盾に気が付く。考えがじぶんの生き方から来ているとしたら、というかじぶんの生き死にこそが考えである。わたしは固有の考えをもっていない、という事だろう。
 その中で、藝術というフォルムを知ったのは幸せだったかもしれない。わたしが短歌をやっているのとも関係があるかもしれないが、フォルム自体が考えとなる事に救われた。また、わたしのものは批評とは呼べないかもしれないが、その真似事を通して思想の辿り路をゆき、その道中でじぶんなりの考えを今一度発見する事もできた。そして、この章を最終章として、ロベール・ブレッソンの遺作『ラルジャン』のラストと重ねあわせて締めくくりを迎えたいと思う。
 ブレッソンの結果的に最後の作品になったこの映画は、ドストエフスキー、ではなくもう一人のロシア文学界の雄、レフ・トルストイの中編小説「にせ利札」が原作である。セリフも少なく極めて映画的であるため、あらすじを語るのはほとんど無意味という気もするのだが、一応の体として記しておく。「ラルジャン」という語は「金銭」の意のフランス語で、この映画は文字通り「カネ」がひとを無慈悲に翻弄するのを描いた映画である。勿論これは表層のみをなぞった場合ならだが。
 物語は、日々の小遣いのやりくりに困った少年二人が、偽札を気紛れにつかうところから始まる。二人は店でその偽札をつかうが、店員はそれを見破る事ができずに二人は作戦をまんまと成功させる。あとになり、その店員の夫でもある店主がそれに気づくが、もう手遅れである。店主は妻を責めるとともに、その偽札を意趣返しとして又もやつかう事にする。しかし、その二人の素性も分からず、直接報復することはできない。店主はその偽札を無関係な客に渡す。以後、偽札を渡されたこのイヴォンという客をキャメラは追っていく事となる。かれは偽札と知らずにそれを飲食店でつかうが、見破られて裁判にかけられ職を失い、挙句の果てに金銭の欲しさに強盗の運び屋の仕事をするも、手違いで捕まってしまう。そうしてかれは刑務所に送られる。かれは会いにくる妻に、刑務所を出たらもう一度やり直そうと言うが、この夫婦は一人娘をジフテリアで失い、妻もやがてイヴォンを見捨てる。かれは自殺を企てるが死に至るまえに病院に搬送され、一命をとりとめる。刑期を終え社会に戻ってきたイヴォンだったが、はした金欲しさにホテルで殺人を犯してしまう。かれはその後、仲睦まじい田舎の家庭に居候し平穏の日々をすごすが、ある夜、その家族全員を斧で撲殺してしまう。映画はそのあと急にイヴォンが警察に自首し、連行されていくところで終わる。
 原作はトルストイという事になっているものの、この映画のモチーフとしてドストエフスキーが含まれていると考えるのは比較的容易である。斧で家族を惨殺するというのに、わたしはすぐさま『罪と罰』を連想した。ただ前述したように、話の流れでどうこうと議論するのはこの映画には至極不適切だろう。ご覧になっていないひとには申し訳ない事になるが、『ラルジャン』はどこまでいっても文学的経験や絵画的経験といったものではなく、映画的経験となるべきものである。演劇の舞台などで装置や照明などだけに注目する事が演劇的経験そのものを積み重ねるとはならないように、空間藝術でもあり時間藝術でもある映画の裸形をしかと受け止めるべきだと思う。
 話の筋を追うのみならば、ここには『罪と罰』が描き得なかった〈踏み越え〉のその後などない、という結論に至る。はたして、それは真なのか。
 実は、わたしがこのロベール・ブレッソンの遺作『ラルジャン』を観る事に相成ったのは、映画監督の黒沢清の著『黒沢清、21世紀の映画を語る』という著についてのブログhttp://beaubeau.jp/yuki/cinema21siecle.htmlhttp://beaubeau.jp/yuki/l%27argent.htmlhttp://beaubeau.jp/yuki/l%27argent-2.htmlを見、興味をおこしたからである。このブロガーは、この著での黒沢清のことばを紹介している。黒沢は二十一世紀の映画はあまりにも不吉で、暴力や死、不幸であふれているとしながら、まったく救いがないというわけではない、という。救いはあって、それは映画のすぐ外側もしくは隣に存在しており、じっと待っているとフレームの外側からいよいよ希望の光が差し込んでくるのではないか、とし、そんな予感を感じさせる二十世紀の傑作としてこの『ラルジャン』を挙げている。このブロガーも『ラルジャン』の暗澹たる結末のどこに希望、救いがあるのかと訝しがる。
 そこで、このブロガーは黒沢に直接聞きに行く。この疑問にさらり、と答えた(ように思われる)黒沢のことばが圧巻である。映画のラストシーンをここで追っていく。老婦人一家を惨殺したイヴォンは、バーのような場所に来て一杯酒を飲む。その後、このブロガーも奇妙だといっているのだが、イヴォンはバーの外に出た姿はみえずに警察に来て自首をする。すると、バーにいたひとびとがその事をしって皆右のほうへ移動していき、警察の入り口で逮捕されたイヴォンが出てくるのを見ようと、誰彼が大声出すというでもなくただ押し黙って中をじっと見続ける。
 黒沢は、ここに希望をみる。かれらのさきにみているものこそ、希望ではないか、と。
 ドストエフスキーの時代、〈踏み越え〉のさきにはひかりがあった。ラスコーリニコフは最後に復活の曙光に輝くのであり、ドストエフスキーにとってその選択、決断は必然であったのだろう。そして、どんなに見放されようと、そこにはソーニャの温かいまなざしがあった。
 時代がくだり、手塚治虫が登場するとその時のあゆみの速さに〈踏み越え〉が注目される事は少なくなった。現に漫画版『罪と罰』のなかで、ラスコーリニコフが広場で懺悔するも、それはだれの気を留める事にもならなかった。文字通り、その果てにあったのは茫漠たる〈虚無〉である。
 そして今、わたしたちはなにからはじめるべきなのだろう。
 その一案はこの〈ブレッソン  黒沢清〉ラインでの影響の贈与にあらわれているのではないか。わたしは本稿で吉本隆明の「往還の思想」にふれ、還相をたどる重要性とそのとてつもない難儀さを強調した。わたしたちは還相をたどるには〔いま、ここ〕に縛られすぎている。しかし、その場所から  あるときにはラスコーリニコフの老婆殺しのようなかたちで  〈踏み越え〉がなされる事がある。わたしたちはそれに追随するのはほとんどの場合困難だし、またするべきでない。わたしたちが希望、救いのために行わなければならない事は、それがちいさなものであれ大きなものであれ自分自身の〈踏み越え〉から戻ってくる事である。また、〈踏み越え〉から戻ってくる者にたいして、カーニバル化するのでも徹底的に無視するでもなく、ひとつの意思をもって見届ける事である。眼を見開かない限り、ひかりが差し込んでくる事はない、そして、わたしたちが共時的な沈黙を持たない限り、啓示としてのことばは聴こえてこないのだから。