小林リズムの紙のむだづかい(連載374)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。


清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

小林リズムの紙のむだづかい(連載374)
清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演などを引き受けます。

D文学研究会発行の著作は直接メール(qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp) で申込むことができます。住所、電話番号、氏名、購読希望の著書名、冊数を書いて申し込んでください。振込先のゆうちよ銀行の番号などをお知らせします。既刊の『清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第六巻はすべて定価3500円(送料無料)でお送りします。D文学研究会発行の著作は絶版本以外はすべて定価(送料無料)でお送りします。なおД文学研究会発行の限定私家版を希望の方はお問い合わせください。


清水正の著作はここをクリックしてください。

http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/searchdiary?word=%2A%5B%C0%B6%BF%E5%C0%B5%A4%CE%C3%F8%BA%EE%CC%DC%CF%BF%5D


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。


小林リズムさんがエッセイ本をリンダパブリッシャーズ(http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru)から刊行することになりました。本のタイトルは『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった八日で辞めた話』発売日四月五日。
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru

http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
小林リズムの紙のむだづかい

【もっと傷つきたい】



 
怒りや憎悪ってどれくらい継続するんだろう?

これまで生きてきて「悔しい!」と思ったことはあるけれど「この世から消えてくれ!」と藁人形を作って呪いたくなるような人には出会ったことがない。その時々でムッとしたりイラッとすることはあっても、怒りや憎悪が長続きすることがない。根に持たないタイプと言えば聞こえがいいけれど、単純に忘れっぽいだけだと思う。もしくは人に対する執着心がひとかけらもないとか。

たとえば私の母は女子高通いだったけど、40代になった今でも同窓会のときは気を遣うという。なんでも昔の男を取り合ったとか取り合わないとかで関係のよくない友達同士がいるのだそうだ。彼女たちを引き合わせるのはよくないから、集まるメンバーも分裂させなければいけない。20年以上も前の恋愛がいまだに尾を引いて関係が修復されないなんて、ちょっと考えられない。でもそんなことはよくあることなんだっていうのはなんとなくわかる。わかるけど、理解はできない。それくらい傷ついたり感情をぶつけあったりしたことがないからだと思う。

誰かと大喧嘩をするのって、怒りだろうと憎しみだろうと感情をぶつけ合う行為だから壮大なものだ。むかしマザーテレサが「愛情の反対は無関心」という言葉を残していたけど、本当にそうだと思う。怒りの根源になるものは「なんで私のことわかってくれないの」とか「なんで私をないがしろにするの」とか「あなたに受け入れてもらえなくて寂しい!」という気持ちだと思うから、相手に関心がないとできることではない。
相手に関心がなかったら、よっぽど痛いところを突かれた場合でない限りは、憎しみや憎悪も簡単に忘れられるんじゃないだろうか。問題なのは言われた内容ではなくて、誰に言われたかだから。

これまで私の横を通り過ぎて行った人のなかに色々と腹立つことを言ってきた人もいたけど、言ってきた人よりも言われた内容のほうが濃く残っている。それも怒りや憎しみという形ではなくて、単なる「悔しさ」として原動力になってくれている。相手がいないから憎悪の矛先を向けられない。だから悔しさとして消化するのかもしれない。

もっと本能的に生きたいな、と思う。私はもっと傷つく体験があったほうがいいと思う。傷つかないために生きているわけじゃないのに、傷つくことを異様に恐れて避け続けている自分がいるなぁと思った。




 小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
http://ameblo.jp/nanto-kana/

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